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伊勢海老きたりて夏がゆく

今年も我が家に伊勢海老がやってきた。

どこから来るのかと言うと夫の実家からである。
伊勢海老には禁漁期があり解禁日があるらしく今は関西に住んでいる夫も私も同じ九州出身で、その地の伊勢海老解禁は9月中頃。
お義父さんが獲ってくるのか、その周りの親戚がくれるのかもよく聞かないまま毎年有難く頂戴している。

実家に住んでいる頃はこの季節になると、ご飯やさんから
「伊勢海老コースはじまりますよ」
の連絡がきて家族で出掛けて秋を感じていたのだがここ最近は自ら調理である。


初めて伊勢海老を送られた年、そして2年目の年は
「これはちょっと手が出せないな」
と夫に調理を任せていたのだが、3年目ふいに「いっちょやってみるか」
と思い立ちスマホで「伊勢海老 さばき方」で検索し出されたYouTubeをみながら調理をしてきた。

毎年のこととはいえ、年に一回のことなので一応毎回予習なのか復習なのかYouTubeを見返していたのだが2年前からついに予習復習なしに包丁を入れられるようになった。
(背中側は硬いのでもうキッチンばさみを使う)
わかってきたことは、伊勢海老をさばくのはあまり難しいことではないということ。
必要なのは力と覚悟だ。

そうしてまずは夕ご飯用にお味噌汁を作る。
具材は何も入れないスタイルで長年やってきたのにここにきて
「ほんとはずっと豆腐を入れたかった」
と夫が告白してきた。
この「前から思ってたんだけど」系の告白は最初に口をつぐんだのならもう一生黙っといて欲しいのだが夫の実家からの贈り物なので今年は豆腐だけ別に茹でたものを「必要なら個別にいれておくれ」と添えておいた。
私は豆腐は入れたくない。

ネギは大事

伊勢海老だしの効いた汁もぷりぷりの身も大事だが何より愛おしいのは伊勢海老のみそである。
私はこれの為に他を食べていっていると言っても過言ではない。
ほんの僅かなのにこんなにも味覚に残り濃厚で他では替えが効かない。
美味。

そして次は「焼き」でいく。
ここからは夕食ではなくおつまみとしての伊勢海老である。
贅沢。

一見焦げて見えるところがみそ箇所である(焦げてもいる)。
身はマヨネーズ醤油で食べた。
マヨネーズ醤油の後に口にしても負けない濃さのみそをお酒とちびちび食べる。
至福。

九州から関西に来たのでいくら新鮮とはいえもう今日中に食べてしまった方がいいね、と次はマヨネーズとカレー粉を混ぜたものを合わせたものを塗って焼いた。

これは夫が焼き担当だったので出てきたところで私は呆然としてしまった。
頭は?海老みそは?
ちょっと、どこへいってしまったの?
涙がでそう。
私の主役はみそなのに。

「あまり大きくてグリルに入らず、頭は明日の味噌汁用の出汁に使った」
「僕にはあまりみそは重要ではない」
等と言う。
衝撃。

今まで私が美味しい美味しいと食べていたのを見ていなかったのか。
愛する妻のことを片目をつぶって見ていたのか。
涙がでそう。

長年一緒にいても分からないままのこともあるのだ。
伊勢海老味噌汁に豆腐とか、伊勢海老みそに興味がないとか。

翌日、味噌汁を楽しんだあと頭を取り出し、私はひとりグリルで焼いてみそを食べた。
出汁としての力を出してもなお、みそは美味しかった。

網戸にしていたベランダの窓からぶわりと風が吹いてきて今年も秋が来たな、と感じた。





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