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春のおもいで

今年の春に出産をしました。
3年ぶり2度目です。

もともと物事に慣れるまでに時間がかかり覚えも悪いので、1度経験した位では何もかもを忘れており、なぞる記憶もないまま手探りで日々を過ごし臨月を迎えようとしていました。

ありがたいことに里帰り出産をすることができたので、3才の娘が祖父母(私の父母)と遊ぶ姿を微笑みながら見守り呼吸をし食べて眠る、というだけの生活で我が世の春を謳歌するうちに体重計の針が突き破ってくる勢いで体重が増えていきました。
怖かった。

ただ、最初の出産でお世話になった産院は先生が高齢でお産をやめてしまっていたので、新しく門を叩いた産院が体重管理激甘だったので誰かに叱られる心配だけはありませんでした。
最初の産院は100g単位で管理され責められていました。
怖かった。

割りと順調に過ごしていた36週の検診の時、急に事件は起こります。
「あれ、逆子になってる!?」
先生の驚きようにただならぬものを感じていると、バタバタと何らかの資料が用意され
「3日後にまた来て。それで逆子が戻ってなかったらその時に日程決めて次の週に帝王切開で産みましょう」
と急展開。急な展開。

一般的に「産まれても大丈夫」とされる週は37週からで予定日は40週に設定されます。
だったはずです。
記憶は曖昧です。

その時バタバタと用意された何らかの資料は「逆子を戻す体操」が図解で説明されたプリントで
「帰ったらこれをやってください」というものでした。

神妙な顔で受け取り、憂鬱な気持ちで帰路に着きます。帝王切開の恐ろしさは古くは母から、直近では親友が、涙なしでは語れないその経験を伝えてくれています。
体操がんばる。
私の中のエンジンが始動する予感です。

その体操というのが、こういうので


楽勝。
とやってみるとかなり辛い。
とても微笑しながら出来るしろものではありません。
ネットで調べると効果のほどを疑う声もあるけど、先生がしろって言うんだから頑張る。と思っていたら
それを見計らったかのように私が登録している出産アプリみたいなやつが「今日のひとこと」を送信してきてやがります。
「この時期の逆子は戻りにくいです。先生と相談して帝王切開を含めて出産の予定を決めていきましょう」とのこと。
タイムリー。
体操は辛いし、アプリ先生もそういうので体操はもうやめました。
覚悟を決めます。カイザーやむなし。
日程が組みやすい、とか考えられるメリットを挙げて次の検診に挑みました。

私のエンジンはそうそうかからぬものなのです。

ところが3日後、検診でエコーをみると逆子が戻ってあるではありませんか。
なんということでしょう。

何もしていないのに…

先生には「体操、がんばったね。あれ、つらかったでしょう?」と言われたので「はい、とても辛かったです。」と返事をしておきました。

これで先生の中に

「体操は効く」
と実績として植え付けらてしまったかもしれません。
でもまぁ、一度は体操もやってみたのでね。
あながち、ね。

改めてまた順調に時は過ぎ、2人目あるあるの「予定日よりちょっと早くなりそうですね」という先生の言葉になるほど、と思いながら遊ぶ3才児と父母を眺める日が続きました。

続きました。

続いて、続いて一向に生まれる気配がありません。
この子も私同様エンジンの始動には時間を要するのかもしれません。

「まぁ、いつかは生まれるでしょ」
と暮らすも予定日を5日過ぎた辺りからネットで「予定日超過」を検索しまくり体験談などを読み漁り始めました。

検診を受ける度に増えるお腹の子の体重に「…産めるの?」と不安がよぎります。

予定日を一週間過ぎても産むがざること山のごとし。
遂に先生が動きます。
「明日土曜にまた来てください。その時書類を渡すので記入しておいてください。月曜に促進剤で産みましょう」
産院は土曜お休みを掲げていますが、先生は休みなしなんでしょうか?本当に尊いお仕事です。

しかし促進剤と聞くと私だってこうはしていられません。
最初の出産は1日予定日を過ぎて促進剤を使っての出産でした。

ここで登場するのがそう、バルーン。

最初の出産での数少ない私に残った記憶。
促進剤使用では朝イチにバルーンなるものを「入れます」

出産は本当に「え?どういうこと!?」ということの連続です。
改めて振り返ってみても「バルーンを入れる」ってどういうこと?って感じです。
どういうことなのか、必要ならば検索をしてみてください。

これから「出産」という長い戦いが始まるっていう時に、このテンションがだだ下がりするバルーン登場!という事態は御免被りたい。
その思いだけで私にもやっとエンジンがかかったのです。
遅すぎると思いますか?私は思います。


そもそも妊婦は動くと陣痛につながる、と言われているのに娘と父母の戯れを眺めているだけでいいはずもなかったのです。
その日の検診が終わるといそいそと巷で良いと言われる「ぞうきんがけ」を母と娘に応援されながらやり抜きました。

そうはしても、もちろん金曜にも生まれず、土曜に促進剤を使うなんちゃらかんちゃらオーケですの書類を取りに行きました。

付け焼き刃、ってやつでした。
が、私に出来ることといったら「ぞうきんがけ」だけ。
エンジンフル稼働で土曜日も廊下を磨きあげて過ごしました。

すると、その土曜の夜陣痛がきて日曜に促進剤なしで出産となったのです。
予定日を10日過ぎ、どこへ行っても「大きいね」と言われる3800g超えの子どもの誕生でした。

ぞうきんがけのおかげでしょうか?
子どもにもやっとエンジンがかかったようです。
(効果は個人の感想です)

新型のなんやかんやのせいで立ち会える人がいない中、出産中私の手をずっと握ってくれていた「横山さん」の手の強さを今でも思い出します。
先生でもなく助産師さんでもなく、ずっと横に付いてくれていた横山さん、誰だったんでしょうか?
とにかく2度目の出産ではバルーンなどのテンション下がる記憶ではなく横山さんの握ってくれていた強く温かな手の記憶が残ったことは嬉しいことの一つです。

そうして今もエンジンを回しつつ育児は続いています。
この子達が自分の人生に責任を持てるようになるまで私のエンジンは時にゆるく時に強く回り続けるのかもしれません。

気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。