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花ぞ昔の香ににほひける

町の不動産屋に勤めていた。
サザエさんでいう花沢不動産みたいな。

70代男性独り暮らし。

貸家探しは難航していた。
今は娘さん夫婦と同居されているそうだが、家を出ることになりアパートではない戸建てで、しかも庭付きの物件を長沼様はお探しだ。
その娘さんの旦那さんと遠方に住むもう一人の娘さん、2人の連帯保証人も決まっているのだか肝心の家が見つからない。

好みが難しいのもあるが高齢の独り暮らしでは「何か」あっては困ると家主さんから断られてしまうのだ。
分からなくもない、世間はまだまだ「事故物件」に厳しい。

しかし遂に長沼様が気に入った「持ち家タイプの庭付き戸建て」が見つかり、「しっかりした方です」という不動産屋(私)の声に耳を傾けてくれた家主さんもOKを出し、ようやくのご契約、ご入居となった。

めでたし、めでたし。

とはいかず、事務所での鍵渡しが終了し長沼さんが新居へ向かった30分後再び事務所へ現れ「場所が分からんから、あんた案内してくれんね?」と言ってきた。

言われてみれば、物件案内が終わると2回も3回も現地へ行くことはないので方向音痴の人なら迷うこともあるかもしれない。
契約書内の資料を見れば地図はあるが、まぁ近くにいる不動産屋に案内してもらおうと考えるのも無理ないな、と思い一緒に現地へ向かった。
車で5分程である。

事務所へ戻ると「場所が分からないとは…」と認知症を疑う社員で多少ざわついていたが「しっかりした方ですよ」で話は終わった。

そして翌日、長沼様の激高TELがかかってくるのである。地元生まれ地元育ちネイティブの私でも聞き取れないくらいお怒りで何やらウォシュレットトイレが壊れている、バカにしているのか、と言っているようだ。
入居前チェックでは何ら問題はなかったはずだ。とにかく、現地へ向かうと長沼様は顔を真っ赤にして電話と同じ様に怒鳴りまくっていた。
「なんででしょう」とか「おかしいですね」などと言いながらトイレをチェックすると、ウォシュレットのコンセントが抜かれていた。
「そういえば、掃除をしたときに抜いたわ」長沼様はそう言いあっさりその場は解散となった。

謝罪の言葉はなかった。

三日後には玄関前に置いていた趣味の盆栽の一つが窃盗にあったと前回と全く同じテンションで電話をかけてきた。
気の毒ではあるが犯罪は警察の管轄である。
私は穏やかに受話器を置いた。

その頃になるともう事務所では「長沼さんは娘さんの旦那さんと上手くいかなくて追い出されたんだ」「そうだ!」「そうだ!」という共通の認識が生まれていた。

その二週間後位には「洋間にきしむ箇所がある!」と呼び出され洋間の端から端を歩きどこが軋む場所かを当てさせらるという、楽しくもないゲームをさせられた。
「ここですか?」と言い当てると「そうだろう、そうだろう、軋むだろう」と大いに騒ぐ。

私の実家だって軋む場所くらいあるが両親は楽しく暮らしている。
「たわんだり、穴が空いていたりすれば危険なので補修になるんですが、現状ではこのままお使いいただきます」とやんわり伝えると、またもや激高していた。

私もうんざりしていたし「もう何かあったらまず娘さんとかに連絡して対処してもらってよ」と上司に言われていた。

しかしその一週間後、再び激高した長沼さんに呼び出されることになる。
何か習字のことを言っているように思うが何せ聞き取れない。
貸家に習字は関係ないので十中八九、私の聞き間違いである。

でもまぁとにかく来い、というので近いしとりあえず向かうと通されたくもないのに和室に通された。
日当たりの良い縁側のはしには畳まれていないままの洗濯物物が小さな山になっている。

内容は忘れたがやはり習字の話ではなかった。が、とにかく続くクレームに話題を変えたいなぁ、と壁など見ていると飾ってある白黒の航空写真が目についた。下の方に「我が自宅付近」と書かれてあった。

「長沼さんのお家、写ってるんですか?」
聞くやいなや「そう!ここ!」と手近にあった定規で指してくれたが良く分からず、分からないままに「立派なお家ですね」と言うと「おれが建てたとよ」と語りだした。

昔「お宅が写っている航空写真を買わないか」という営業がやって来て購入したものらしい。
色んな商売があるものだ。

長沼さんは結婚してしばらく後、土地を決め、今はもう引退しているが大工をしていたので仲間に手伝ってはもらったが、自宅のほとんどを自分で作った、らしい。

へー。

頂いた申込書の職業欄は「無職」だったので長沼さんが何のお仕事をしていたかなど考えたことがなかった。
だからもしかして床の軋みが気になったのか。

「子どもらは学校が遠い、って文句言いよったけどちゃんと通いよったわ」
饒舌である。

だけど、今はもうその家はないらしい。
どうしてかは言わなかったので私も聞かなかった。

その日はそんな話をして解散となった。

それからしばらくすると
「庭をいじってもいいか」
という電話があり、家主さんは大きな木を伐採されるのは困るが土いじり程度ならどうぞ、と言ってくれたのでそう返答すると、それきり静かになった。

一度、庭の様子が気になり確認しにいくと木は無事で石で囲いを作り花壇が出来ていた。


そうして家賃の遅れなどは一切なく7年程経ったある日、娘さんから退去の電話を頂いた。

少し話したところによると長沼さんは体を悪くされ病院に入ることになったのだそうだ。「もし」退院できたとしてももう独り暮らしは無理だろう、とのことだった。

退去立ち会いの日は娘さんが来てくれた。

最後の清掃などはもちろん娘さんがしたのだろうが、お風呂、台所、トイレ、水回りなども綺麗でとても丁寧に使っていたことがわかる。

「お世話になりました」と帰っていく娘さんを「この人が長沼さんの建てた家で学校が遠いと育った子どもなんだなぁ」と見送った。


長沼さんが石で囲って作った花壇には紫蘭しらんが咲くので、家主さんと相談してそのままにしておくことにした。


自分で作ったという家には到底かなうわけないが、もしまたこの貸家の前を通ることがあれば長沼さん、作った花壇は今もありますよ。




気に掛けてもらって、ありがとうございます。 たぶん、面白そうな本か美味しいお酒になります。