2人の悪魔 #18
愛は冷たく熱を持つ
双方の同意のもと、フェニが名実共にハーゲルのものとなってからそう何日も経たないうちに、ハーゲルの住処には客人が訪れていた。
「待って?俺がこの前ハーゲルにちょっかいかけた日からいつのまにこんな深い関係に??」
「顔が近い」
「いや……そんな冷静にツッコミするとこ?だって考えてもみろ!そこらの暴れん坊共を片っ端からのして叩き潰して壊しまくって遊んでたような男を手駒にしただァ?本気かよ」
「本当にそう思っているなら少しはその口元の笑みを隠したらどうなんだ」
アハッと男は今度こそ勢いよく笑い飛ばした。
「ま、そーよな。えー、でもさぁ、それってハーゲルの許可がないとフェニのこといじれなくなったってことじゃん?ヤダ〜〜!こんな束縛の強い彼氏〜〜!」
「やかましい」
「フェニお前魂売る相手間違えたんじゃねえの?今からでも俺にしとかない?」
「え」
アダムスはハーゲルに駄々を捏ねて無理やり即席で作らせた客人用の椅子に腰を据えながら、甲斐甲斐しく住処の掃除をする男に問いを投げかける。
「あ…えと、坊。申し訳ないんですけど…俺の体って魂1つしかないんですよね…」
「だそうだが?」
「フェニ!本当にいいのかよ!?こんな人里離れたさむ〜いとこに住んでる冷血漢なんかに良いようにされて悔しくないのか!!!?」
「坊はそう言いますけど、ハーゲルって結構面倒見てくれますし…あーいや怒ると怖いですよ…まあでも…その…俺負けたんで…」
「ハ〜〜〜!?!えーもうちょい考えたりとかないワケ〜〜??俺だーめだこれ、イーヴァ!お前からなんか言ってやってよオネーサマ!」
「ええ、私?」
困ったな、どうしようか。
そう口では言いつつ全くそんなこと思っていなさそうな顔でイーヴァはクスクスと笑みをこぼす。
「私はハーゲルの雰囲気が柔らかくなっていいなって思うけれど。言ったじゃない?彼結構優しいのよ、ねえフェニ、あなたならわかるでしょう?」
「フェニ!どーなんだよ!」
「え…えと……」
ハーゲルと違い、フェニは比較的この創造神たちに敬意を払って接しているがゆえに、あまり強気な態度が取れないところがあった。片方からはイーヴァ、もう片方からはアダムス、そして己の向かいには先ほどから何の口も挟んでこないハーゲル。まさにフェニにとっては言い逃れのできない状態であった。
ただ、今ここで自分が失言をした場合にハーゲルが何と言うか全く想像がつかなかったため、フェニは縋る思いで彼ら2人と膝を突き合わせる男に視線を送った。だが、その頼みの綱から発されたのはたった一言。
「お前が思う通りに言えばいいだろ」
「う…」
少しくらい庇ってくれてもいいのに、という思いが一瞬よぎったが、相手はあのハーゲル。口答えするくらいなら何も話せないようにしてやると氷柱を咥えさせたまま雪崩が起きる斜面に体を生き埋めにするような男である。今更期待などしたところでそうそう役には立たぬと悲しいながらも自覚していた。
「俺、が思うに…ハーゲルはその…厳しいけど、性格はっきりしてるし…ほんの少し、たまに優しいときもあると…思います、たぶん」
「ハ〜〜〜!?お前絆されすぎ!そんな甘っちょろい男じゃなかったはずだろうが!血気盛んな野郎共の頂点に立ってただろ?あの頃のアツい気持ちも忘れちまったのかよ」
「だめだよ、落ち着いて」
勢いよく洞窟の壁を叩いたアダムスをイーヴァがたしなめる。
「最近はフェニにたかる他の悪魔をわざわざこの敷地の近くまで呼び寄せて、フェニに排除させてるって聞いたことがあるよ。ハーゲルがフェニの戦闘欲を満たしてあげてる証拠でもあるし、素敵だなあと私は思うけど」
「ヤダ!俺はもっとどろっとした濃い話が聞きたいのォ」
かまってちゃん発動しちゃった、とイーヴァがまたその美しい顔(かんばせ)に蕩けそうな笑みを浮かべる。
「だってハーゲルがフェニに向ける顔ってめ〜ちゃくちゃ甘ァい顔してンだもん。俺あいつのあんな顔初めて見た」
どこにそんな優しい顔残してんだよ!とハーゲルの仏頂面をアダムスが両人差し指でオラオラとつつくも、当のハーゲルは何も知らぬ言わぬとその虚無顔を崩さない。
「そろそろ帰ったらいかがですかァ」
「出た!面倒くさくなるとすーぐ帰らせようとする癖!」
弱ってる時のお前はめちゃくちゃ素直で可愛かったのに…とよよよと嘘泣きまでして喚くも、男がなびくことは最後までなかった。
「また俺の負けかよ、ハーゲルお前さぁ、俺のことイライラさせる天才すぎない?!なんでお前って俺の神経逆撫でするようなことしかできねーの?マジ最悪」
「それは結構」
一抜け!と竜巻に飲み込まれるような形で姿を消したアダムスを見送った後、イーヴァは「ごめんね、うるさくしたでしょう」と2人に謝った。
「いえ!お姫さんが謝るようなことじゃないです、それもこれも…なぁ、ハーゲルお前もう少しなんかなかったのかよ」
「いきなり現れて茶出せもてなせ何か面白い話でもしてくれって言うような非常識な男のことなんか知るか」
「あらあら」
朝はハーゲル弱いものね、とイーヴァがほんの少し背の高いハーゲルの頭をぽんぽんと撫でた。フェニはそんなことをしたらハーゲルが怒るんじゃないかとハラハラしていたが、予想に反して男は大人しく彼女に撫でられていた。その様子にフェニは心なしか胸の内がもやっとしたが、なぜそう思ったのかはよくわからなかった。
「私もハーゲルが怒らないうちに退散しようかな」
「道中お気をつけて」
「雪道深いンで気をつけてくださいね!」
「ふふ、ありがとう」
またね、と花のような華やかな笑みを残して女が山を降りていく。その背をフェニは見送ると、全くその場から微動だにしなかった己の主人に「お姫さん下山したけど」と声をかけた。
「そうかよ。ったく…余計な客が来ると調子狂うな」
「お姫さんに対しては少し態度が柔らかいよな、なんでだ?」
「アダムスと違ってイーヴァは僕にそう害もないからな」
無碍に扱う理由がない。そう言ったハーゲルの横顔には少しばかり疲労が滲んでいた。それに気づいてフェニは彼の前に膝をつく。
「……んだよ」
「お前がしたいようにしていい、お前のものなんだろ。八つ当たりするでもなんでも好きにしろよ」
はぁ、と小さな溜息。
「殊勝な心がけだこと」
そんな自嘲めいた呟きと共にフェニの頬の上をハーゲルの冷たい掌が滑っていく。鱗の一枚一枚を剥がされるんじゃないかというくらい丁寧な手つきで皮膚の上を氷と思うような冷たさが這っていく。その冷ややかさに思わず目を閉じれば、眼球を撫で回すような冷気が目蓋沿いに伝っていった。
「……お前のそういうところ、嫌いじゃない」
ハーゲルの呟きには僅かに安堵したような色が含まれていたが、その後すぐに鱗の感触を楽しむような微笑に背筋が震えたため、そのことは瞬く間に忘れてしまった。
フェニが思うハーゲルの印象としては、基本は以前と変わっておらず、傍若無人が体を為したもの、血も涙もない冷血漢といったところなのだが、ここのところそれに若干の揺らぎが生まれている。その揺らぎが生まれたのも、フェニ自身がハーゲルの駒になると降伏宣言をしてからである。
「(……優しい、んだよな)」
優しい、と一言に収めてしまうには何か惜しいというか、少しばかり違うような気がする。愛おしまれているというか、花や水、湖の木々を労る手つきと同じ手つきで己に触れられている。それを少しばかり疑問に思って問いかけた際、鼻で笑われたが否定はされていない。
「(…2人きりの時はなんとなくそれに触れる時間が多い気がする)」
「黙って何を考えてる?蕩けた顔して…欲求不満か?」
「なっ!?」
「真昼間からそんな顔して惚けてやがるとは…麓の人間共といい勝負だな。全く…耐えられないようなら夜にまた触れてやる、いい子にしてろ」
「な、違、ハーゲル!その笑い方やめろ!」
どうだか、と口の端に笑みを乗せたままハーゲルは洞窟の更に奥へと姿を消してしまう。フェニはそんな男の見えなくなった背中をぼんやりと少しばかり見つめていた。
「随分冷やっこい手、」
帰ってこない主人をいいことに、先ほどまで己の顔を這っていた指の感覚と体温を思い出して1人、やけに熱い頬をなぞった。
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