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心のアレルギー

北海道の人って、
ゴキブリを見たことがないから、
ゴキブリが嫌いな人が少ないらしい。

かくいう僕も、
北海道出身で、
ゴキブリを観たことがなかった。

だからゴキブリにはむしろ会ってみたい、
そんな気持ちがあったのだけど、埼玉に居た時、キッチンに突然現れたゴキブリをみて、「ああ、これは僕も嫌だなぁ」と思った。

(ゴキブリの写真は出てこないので、安心してほしい)

ムシが好きな人だって、
突然家にゴキブリが出たら、
流石にびっくりする。

「自分の縄張りに、勝手に入ってきて、何をしようというのだ。」

そんな気持ちが働くとき、
僕も動物なんだなと思ったりするのである。

好き、嫌いという心の動きは、人間らしくもあり、動物らしくもあり、とても面白い。

でも、やっぱり僕は、
アレルギー反応が出るほどではなかった。

僕はムシの習性をある程度理解しているから、動きも予想できるし、彼らは「嫌われ者」だ。心底、同情する。

そのまま手掴みにして窓から投げ、
キッチンを清潔に保つよう、対策を練った。

なぜみんなムシが嫌いなんだろう?
ゴキブリをきっかけとして、自分の過去について振り返ってみた。

振り返ってみると、
小学生の頃は、なんでも好奇心の方が優っていたのに、中学に行くにつれて、自分の中に冷静に物事を見る癖がついた。

そんな頃が僕にもあった。

例えば、葉っぱの面に毛虫や芋虫がいるのが、なんだか怖いと思う時期があった。耳元にハチのような音が聞こえると、怖くて仕方がない時期もあった。でも高校生の頃には、もうそんなのは、怖くなくなっていたのだ。

それは多分、その大半の芋虫毛虫が、
毒がない種類であることが、わかったからだ。そして、スズメバチと、ハチみたいなアブの見分け方がわかったとき、「ハチみたいな音」にも、恐怖は無くなった。


つまり、
自分には害がないとわかったから、
大丈夫になったんだろう。

僕の場合、知識がついたおかげで、
すぐに純粋な好奇心が戻ってきた。



アレルギーが多いというのは、大変だ。

あ、アレルギーはアレルギーでも、
体が反応するようなアレルギーではない。

「先端が怖い」
「海が怖い」
「片栗粉がさわれない」

みたいな、とにかく嫌い!という、
「社会的アレルギー」のことを言っている。

僕はムシが小さい頃から好きだったから、ムシがめちめちゃ嫌いな人から、僕までムシとして扱われる事があった。
恐らくそれは、小さい頃だから、僕がムシが好きなことを強要するような節があったのだろう。それはムシが嫌いな人からすれば、ただの「害虫」である。

OM-D E-M1 mk2 +30mm F3.5 macro 2022年撮影


「嫌い」というのは、防衛本能である。


大抵は、脳に刷り込まれている意図しない思い込みである。過去に何かトラウマがあったとか、親もなんとなく嫌いだったとか、色々ある。中には、理由すらないものもある。

でもそれは「知らないものを怖がる」ように脳みそができているから、仕方がないのだ。

だから、むしろ嫌いなら、立ち向かえばいい。
と、僕は思っている。

だって好きの反対は、
ムかんシんなんだから。

興味を持って調べていると、
そのうち嫌いなものが、
そこまで嫌いじゃなくなっていたりする。

知識がつくと、怖く無くなる。
なんだか気に入らないなと思っていた人と人だって、実際に会って話してみると、打ち解けあって、マブダチになれたりもする。なれなくても、その人の幸せを祈ることくらいはできるだろう。なにも、友達を百人つくる必要はどこにもないのだから。

知らないというのは、怖い。
だから知ったその時、残った感情こそが、
その人の本心だと、ぼくは思っている。


OM-DE-M1mk2 +150-400mm TC×1.25 2022年撮影



興味がないのなら、
最初からムシしたらいいじゃないか。

ムシできていない、ということは、
ムシろ、ちょっと好きなのかもしれない。

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