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舞台「疾走乙女!」感想

ノンフィクション作品。人見絹枝さんの物語。名前を聞いてもピンと来ないレベルの知見。
調べていかないのが自分流なので、観劇前の情報は役者さんから流れる情報くらい。
人見さんを演じた崎野萌さんの「人見絹枝さんの生き様がかっこよすぎて恋しちゃいそうだ」という言葉が観劇にとっては大きな情報であり、同時に、それだけ感じさせる人を演じないといけない萌さんの演技に期待が高まった。

結果、観終わった後にその意味が深くしみる演技を観させてもらった。

今回の出演者。いつもはコメディでたくさん笑わせてくれる。崎野萌さんもその一人だった。他の団体さんでの公演でも、シリアスな役はあまりなく、可愛さが売りの役だったり、あざとい役だったり。最初に観た時は、少しとぼけた役で可愛い人くらいの印象。
それでも役者としての萌さんのファンになったのは、数少ないシリアスな作品での役だった。冒頭での一人での長台詞から始まり、号泣シーン、一つ一つ力を込めた言葉の数々。
その時から可能性を信じて追い続けていた。

そして今回。
冒頭は同じように一人、舞台上、スポットライトを浴びてのセリフ。
あの時の記憶もよみがえり、心拍数が高鳴る。

物語は女学生時代から、アムステルダム五輪での銀メダル獲得までの数年間。
学生自体の痛烈な批判。「バケモノ」という言葉。この表現で、この時代がどういう時代か一瞬で分かる。今とは真逆。「女が」「女のくせに」という時代。
男より前に出れば足をかけられ、倒れたところに集団で言葉の刃を振りかざす。
刃を振りかざすのは男だけじゃない。同じ女性からも刃を向けられる。

そんな時代。決して望んで足が速いわけでもない。そんな葛藤が学生のころにはあったはず。もっと酷く悩んだ時もあったかもしれない。そこも物語にできるかもしれない。でもそこは「痛烈な言葉」だけで描くことで、より、観る側の心に刺さり、それは観劇中、ずっと棘のように残る。

そして本編では、二階堂先生と出会い、自分が前に進むことを決意する。このシーンまでに描かれなかった苦悩も理解しようとし、それを自分の中で消化し、取り込んだのが分かる。そんな演技が、崎野萌さんの演技には出ていた。

物語はそこから少しずつ時が流れていく。時が流れれば、人は変わる。弱くもなれば強くもなる。特に何かを成し遂げようとする人は、変わらないといけない。惰性で生きているわけにはいかない。
その数年は、人見絹枝さんの成長でもある。その成長をどのように演じるか。どう観客に伝えるか。成長が感じ取れなければ、それこそ、「主演の人、可愛かったね」で終わってしまう。数年を数年かけて描くわけではない。数年の中から、いくつかのエピソードをぶつ切りにして紡ぐ。場面場面での成長した姿を、その時の姿として演じることで、それなりには見えるけど、やはり繋がった成長を見せてほしい。
描かれていない時間も流れていて、大きく成長していなくても、その時間があるから今に繋がっている。そんな成長を観たい。
この時間経過を、崎野萌さんは丁寧に紡いでいたと感じた。
そしてその節目を、人との会話で感じ取れるように演じていてくれた気がする。この物語で、人とのつながりで成長するのはとても大切。なぜなら、彼女のことを蔑み、バカにしているのは人間だから。人間嫌いになってもおかしくないのに、彼女はそれを人との絆で乗り越える。自分の強さは、一人でできるものじゃない。周りの人たちによって作られ、そして支えられる。自分が弱いのは、そういう人との出会いかないのではないか、いや出会っていても本気で対話しようとしていないのではないか、どこかで人を信じていないから自分の強い心も生まれない。そんなことを考えさせられる。
そんな想いを、萌さんの演じた”人見絹枝”から感じた。

だからこそ、母とのシーンは短くても強烈に残る。
「恥ずかしくなんてないよ。娘なんだから」の部分。それまで不安な気持ちと迷いがまだ少しある表情でいたのに、この瞬間、全てを吹き飛ばして瞳に力が強く宿る。同時に涙を流すのではないかというくらいに光るものが見えた。
それまで、丁寧な言葉で話していた親子関係。あの時代、親が強かった時代。でもあの瞬間は違っていた。
そして「綺麗じゃろ、岡山は」という表現。終盤にも似た表現が出てくる。この時の表情。
崎野萌さんは福岡出身。一時期、福岡に戻っていた時期もあったし、それもあって、感慨深いものがあってあの表現力につながったのではないだろうか。
父親は素直になれないけど、応援もしたくて、何か理由が欲しいところに「教師になる道も開ける」という母親のアシスト。
後半で「女だから」と走る夢をつぶされる教え子の話も出ることを考えると、やはり、この親子は偉大。娘の見ている景色をしっかりと一緒に見て、それで後ろから背中を押した。
大きな絆だなあと感じた。

そして絆が核を担うからこそ、W主演の本当の意味が分かる。
鈴原優美さん演じる吉行あぐり。一般的には、この人の方が知名度が高いかもしれない。だからこそのW主演かと思っていた。本来は人見絹枝の物語だから。
でも、この作品を観れば分かる。いかに重要で大切な存在か。

鈴原さんのことを書く前に、この座組は割と見慣れたメンバーだった。だからこそ、この作品のクオリティが高くなったのではないかと思っている。絆が重要だとしたら、それは役を離れたところでもされざれに存在していれば、それは役にも反映される。公演期間だけではない、これまでに積み重ねてきたものがここに出ていると感じた。

鈴原さんと崎野萌さんも仲が良さそうというのは知っていた。鈴原さんはマチコ先生からで、近年はちょこちょこと拝見してた。毎回、服を脱いでいたイメージだけど、周りを明るくさせてくれそうなイメージ。
今回のあぐりもそんなイメージ。周りに合わせて自分の意見を押し殺してしまいそうな絹枝の背中を押し、手を挙げずにいるところを、手を取ってあげさせるタイプ。
絹枝もそれに甘えることのない性格だから、2人の関係性はバランスが取れている。
それはお互いの信頼へ繋がり、長く友情として続く。
鈴原さんの演じたあぐりは、人のために行動できる人。
美容業界への道を進むわけだが、それは人のためとも言える。人がきれいになるのは誰のためか。色々と理由付けはできても、突き詰めればそれは自分のため。そのために、あぐりは勉強し、道を進む。人を幸せにしたい、笑顔で溢れさせたい。そんな想いがあるのは、あぐり自身の笑顔がそれを強く印象付ける。
だからこそ、絹枝のために頭を下げ、土下座までできる。自分の給料を前借りして渡航費用に充てるというのは、これからの自分の生活費も費やすということ。それでもそこまでしてあげたい。そう思わせるものが絹枝にもあるけれど、それを実行できるあぐりも凄い。
そしてそれが自然に、全く大げさではなく偽善にも見えない”吉行あぐり”を創り上げた鈴原さん。今回は脱がないだけに、本当に演技を観ることに集中できた。脱ぐとどうしてもそこが見せ場になるけど、今回はそれがないからこそ、新たな一面を見られて良かった。

実は、「白球乙女!!」は予定があって行けず、配信を申し込んでいた。
しかし申し込んだ日でアーカイブ終了日が違うことに気づかず、最後に見ようと思っていたのでそのまま配信終了してしまい、観られなかった。
その時の後悔が、今回の作品を見てより強く思った。
きっと、白球乙女でも脱いでいないだろうし、高いレベルでの芝居が観られたかと思うと、本当に悔しくて仕方がない。
疾走乙女終演記念で、もう一度、アーカイブ配信してくれないかな。絶対に今度は観るのに。普通に、他にも観たいって人、けっこういそうだけど。疾走乙女を今だからこそね。

そして辰子役の水谷千尋さん。
先生役・・意外と言ったら失礼だけど、とても良かった。先生というイメージがなかなかなかったから意外だったんだけど、力のある声。あの劇場というのもあるけど、普通に声量が大きく、古き良き先生って感じがした。頼りがいのある先生。

一つ印象的だったシーンをあげるとしたら、やはり記者とのやりとり。最前列でもみえなかったけど、配信でしっかりと確認できた涙。その種類は悔し涙。
あれだけ勇ましい辰子が見せる悔し涙は重い。
唇を噛み締め、一つ一つの言葉、単語に力があり、身体を振るわせて教育というものを語る。それでも女というだけでバカにしている記者。女というだけで見下すあの風潮に、本当にイライラするくらいだった。それをしっかりと代弁してくれた辰子。
特にこのシーンでは、「教師というのは、学校出てすぐ学校だから社会を知らない」という
表現があった。だから少しずれているという考え。これは現代においても少なからずあって、その根底には、企業は利益を求めるが、学校はそうではない。部活動は結果が必ずしも求められないがプロはそうではない。結果が出ないと生きていけない。頑張ったけどダメだったねでは許されない。職を失い、生きていけない。それが社会だ。そう言いたいのもわからなくもない。
ただ、「働いて稼いで飯を食う」。それを知ってる。という事は違う。教師だって働いている。利益をあげて稼ぐという意味合いからはずれるが、いわば利益を上げる人間を育てている。それが教師。それは企業人以上に責任と忍耐が必要。それこそ、結果がすぐ見えない。誇りを持たないとできない仕事。
それを女というだけで「働いてもいない」ことにされる。その悔しさ。イタズラにぶつけないで訴える辰子。こういうバックボーンを背負った水谷千尋さんは、今までとは違う、とてもちっぴーと呼んではいけないような凄さを感じた。
終演後、今回はタイミングもあってチェキも撮れなかったけどまた今度、話す機会があったらちゃんと挨拶したい。

個人的に楽しみにしてたのが関口ふでさん。
以前、タコの役を拝見して、その姿でのダンスが自分が座っていた座席の隣で行なわれ、とても印象に残っていた。でもその存在感は抜群で、あの年代の方で唯一フォローしている役者さん。
そして今作品。
本当に良かったとしか言いようがない。その力強さ。たくましさ。誇らしさ。
絹枝は二階堂塾に入る前、少し遠慮がただった。それが力強くなっていく。スポーツの技術だけではなく、二階堂先生の力強さ、たくましさ、誇らしさを学んだからこそ、あの姿になったと予測できる。
そうなると、ふでさんの演じた二階堂は、とにかくその背中が広い。身を預けられる信頼ある背中であると同時に、自分も目指したくなる背中。
背中は自分では見えない。果たして自分が二階堂の様になれたのか。それを教えてくれるのは、自分の背中を目指してくれる人たちがいるかどうか。
そういう意味では、強い背中は繋がっていく。
結果、絹枝の背中は二階堂から受け継いだ背中となるわけだが、目指したその大きな背中を創り上げたふでさんはやっぱり凄い。観ていて気持ちが良い。
細かいところだけどポロシャツもちゃんと「二階堂」がアルファベットで刺繍されていた。あれ、ふでさんがやったのかなってちょっと思った。この前観たAgeRという舞台で、衣装協力のところにふでさんの名前があったので。
でも、今でもあの姿には力を貰える。また配信で観よう。

ここまで書いたけど、止まらなくなるのでどうしよう。
最後に、今、興味がある人を。
河口舞華さんは少年役から乙女役で、今までにない一面を観られて、今感想を書きたいというより、また女性の役で観たい。
少年役の時は、イタズラ好きっぽい顔に見えていて、憎めない感じだったけど、それが今回の役になると、負けず嫌いだけど、ライバルの力をきちんと認められる広い器の少女の顔。その強さは、どこか男性をも圧倒するくらいの強さも見え隠れする。ただの嫌な役なら、その顔が少し憎たらしく見えたのかもしれない。でも応援したくなるのは、その芯の強さが見え隠れするから。
江里奈さんはAgeRでの役が非常にハマっていたけど、今回はまた少し違って好きだったなあ。二階堂とは違う背中を、あぐりへ見せ、導いていく。
美容業界はそれこそ女性が築き上げていくんだと言う、仕事に高い誇りを持った役。高飛車じゃない。一番目に見えて分かる強さは、この人だったのかもしれないと今は感じる。
あぐりはこの人の背中を見て進んでいく。この人だったからこそ、あぐりは成長し、絹枝を支える柱になった。
この2人のエピソードで作品作れるんじゃないかと思うほどだった。

他にも書けばかけるけど、きっとまた同じようなメンバーで作品が創られ、そしてそれを観に行くことになると思ってる。だから今回は、この辺りで止めようと思う。
このチームは、途中にも書いた通り、チームとしての絆が高い。それはこれだけの作品を創り上げたのだから間違いない。
そしてこれだけの感想をアウトプットさせてしまうだけのものを創ったその力は、本当に凄いと思っている。
本当に全員が一人一人の役割を果たすと、これだけの成果が出るという見本。
記者に見せたい。
これだけのものを創ったのは、あなたがバカにしている「女」ですよ。バカにした記事じゃなくて、応援する記事を書いた方が賢いので? と。

まだアーカイブが観られる。ギリギリまで何度も楽しむことにしよう。

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