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タスケテノカタチ@ダレカ Aチーム 観劇

「これは誰も救われないのではないか」
最後の暗転、その直前のシーンで感じた率直な感想だった。

物語は、ハンドサインの周知を目的として作られたとのこと。助けてと言えない環境、そんな時にハンドサインが周知されていれば、救われる人も多いのかもしれない。
そしてこの物語は、そのハンドサインを必要としている人たちが、どれだの苦しさを受けているか、それをどのように描くか、どこまで描くかで伝わり方が変わってくるとも感じた。

その役を、配信者という形で表現した。自由に配信するように見える中、実はそれが監禁されて配信させられているという事実。
配信者である橘桃花は、回想シーンで描かれていた「毎日ダンスの練習をしていた女の子」なのだろう。両親を亡くして弟と2人。アイドルやその道を目指して、夢を追っていたのだろう。それが突然、監禁されて配信をさせられる。
ある日突然、身に降りかかった出来事は、彼女の心を闇に落とし、怯える日々。性的なものも含め、多くの暴行を受けている事が想像できる。
それでも決して自ら命を断とうとはしないせず、弟の事を気にかけている。
そんな複雑な橘桃花を演じていたのは、百瀬るうさんだった。

今回、観劇に行ったのも、百瀬さんが出演されるということからだった。とはいえ、これまで観た彼女の出演作は、コメディばかりだった。異なる団体、系統の違う作品でも観てみたいと感じていたところに、今作品の出演があり、観劇へ。
そんな百瀬さんが演じる橘桃花を観て、印象が大きく変わり、そしてもっと多くの作品で観たいと感じた。

冒頭に出てくる北垣を勇気づけた桃花の言葉。
「逃げてもいいんだよ」
そしてそれが今では「逃げちゃダメだよね」へ変化している。
この言葉の変化は、そのまま、桃花の心情の変化を表すとともに、そこに至るまでの時間の経過も示している。ここでは描かれることのない桃花の変化。
その変化・時の経過を、桃花を演じた百瀬るうさんはしっかりと汲み取り、自分の中に落とし込んでいると感じた。
「逃げちゃダメ」という言葉の意味には、”諦め”と”覚悟”と、どちらの意味にもとれる。物語を追っていくと、諦めた側の意味にもとれる。
だが、受けた印象は、「弟に会う」という希望を持って、生き続けようとする”覚悟”の様に感じた。でも、決してそれを出さない。出せば、従順には見えないから。従順でないと、もっと酷い目にあうから。諦めていたら、弟に会いに行きたいなんて言葉は出てこない。そこに強さを感じた。

一度しか観に行けず、手元の台本を読みながら思い出しているが、少し違う部分もあるが、両方をミックスした状態でここからは書いていく。

この物語の裏には、救えなかった物語も描かれる。
西野の物語がそれだ。
西野の身に起きたことを知っているのは、北垣、そして東城も知っているような描写がある。そしてその身に起きたことは、父親によるDV。本編では、暴力、それも”ちゃんとした”暴力と表現されている。ちゃんとする前も、友達同士のふざけた暴力とは違うだろう。そう考えると、ちゃんとした暴力というのは、非常に怖いものがある。
化粧が濃いのも、痣や傷を隠すためだろうか。
バスケ部を辞めたのは、精神的なものもそうだろうが、なにより、友達の前で着替えて傷を見られたくないというのもあるかもしれない。
ちゃんとした暴力というのは、心にも身体にも傷をつけるもののことだろう。
そして、それだけならまだ我慢できたとある。暴力だけならと。そして陥る男性が怖いということ。性的暴力もあるのかと推察する。

そうなると、コメディシーンとして描かれる南沢から西野への「そんなんだから西野さんは処女なんですよ」という描写が、途端にきついものに見えてしまう。どこまでの性的暴力かは分からないが、あのシーン、さらっと流れてしまうので、東城も一緒に笑っていたイメージが残っていたが、台本を見ると少し反応が違う。後の場面で、男性が怖いことを話しているだけに、東城も知っていたのだろう。

そんな物語を伏線にして、橘桃花にも同様の事が起きていると推察させるように進んでいく。DVと同じく、監禁も「助けて」と声を出せない状況。
そして「なんで自分が」という思いは、共通の物である。
西野が感じていた苦しみを、桃花という人物を通して描くことで、西野の苦しさも観ている側には伝わりやすい。
家の外では笑顔を作っていただろう西野。配信という唯一の外界で笑顔を作っている桃花。
その瞳の奥に秘めた暗さを、少しの表情で表現する百瀬るうさんの演技にしびれた。

台本では、小倉と奥澤、桃花の出会いが明確に描かれていない。
それでも、小倉の奥澤に対する歪な思いが描かれているのは変わらない。

冒頭で「誰も救われないのではないかと思った」と書いたが、それはこの小倉の行動が特に大きい。
ラストシーン、エピローグの前、奥澤に小倉は暴行を受ける。そしてこの時の桃花は、自分を騙しているのではなく、本当に奥澤を好きになっているのではないかと思えた。
誘拐犯や監禁者を好きになってしまうという事実も、実際にあることだし、桃花も自分を騙しているうちに本当にそうなってしまったのではないか。そう思わせるものが、百瀬るうさんの演技で見て取れた。ここにも時間の経過を、しっかりと反映させていると感じた。
そうだとしたら。
好きになった人を殺され、そして自分の気持ちを最後まで分かってもらえなかった小倉、報いともとれるが、不器用にしか生きられなかった奥澤。助けに来た北垣は、本当に救えたのかという実感がなく、虚無感に襲われたような表情。
それを全て引き起こした小倉の全ての罪を被った歪んだ愛。

あのハンドサインは、桃花を救うと同時に、本当は奥澤のことも誰かに助けてほしいという想いの表れだったのだと感じた。
その時、誰も救われないと感じてしまった。

しかしその後のエピローグと言えるシーンで、台本とは違って、病院か警察か、そのようなところで桃花が西野の抱きしめられた時の表情で、少なくとも、桃花だけは、その呪縛から目が覚めたのではないかと思った。そうなれば、救いのある物語に変わる。
最後の最後でそう感じられたのは、本当に良かった。
ハンドサインというものは、実際問題、まだ浸透していない。事実、自分も知らなかったし、開演前の質問でもあまり反応がなかった様だった。
もっとも、再演のようなので、前回を見ている人は当然、知っているのだろうが。
そして感じたのは、ハンドサインの浸透する難しさ。

例えば、これが浸透することになればなるほど、救われる人も増えるかもしれない。しかし浸透して誰もが知っているようになったら、今回でいう奥澤のような人間も知るくらいに浸透していたら、今度はそれすら出せなくなってしまう。
手話のような、ある程度の難しさがあった方がいいのかとさえ考えてしまう。

しかし、これで救われる人もいるのは事実。
今作品は、1時間程度の長さでこれだけのものを詰め込んでいた。
もう少し長くとってもらって、ハンドサインを加害者側が知っていた時の展開があるのも、また一つのリアルがある物語になるのではないかと思った。

今回、百瀬るうさんが出演されることで初めてみた団体・ユーキースさんと、その劇場。出逢うことができて良かったと思う。百瀬さんに感謝しなくてはいけない。

終演後の面会も楽しい時間となった。その時間を貰えたことにも感謝したい。おひねりカーネーションも凄いステキなアイディアだった。あの距離感での演劇を見られたことも嬉しい。一つだけ、応援チケットの中には、応援キャストのサイン入り公演台本とあったが、サインがなかったのがちょっと残念。もう一回行けてたら聞いても良かったのだが、初めての団体さんだし、そもそも「サイン入り」が違っていたとしたら聞くのも悪いし・・と思って問い合わせもしなかった。それでも充分に楽しめたので、まあ、今回は・・と。
しかし配信でもあれば、配信チケットも間違いなく買っていた。
それくらい良い作品でした。

また百瀬るうさんが、ユーキースさんの舞台に出演される時には是非観に行きたいと思う。

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