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崎野萌。その魅力。

RAVE塾「南無阿ティアラ」で、崎野萌さんの演技を拝見した。RAVE塾作品では常連だが、前回の「Wteen」は出演されず、久しぶりのRAVE塾。
それもそのはず、前回の「Wteen」の時は、劇団ココア「魔女エステリーゼの事件簿」に出演中だった。

RAVE塾での崎野萌さんが演じる役は、毎回、どこか抜けている、おバカキャラのようなものが多い。今回も英語の成績でそれが表現されている。
そんな彼女が、他の作品では全く違った顔をみせるのだから、観劇がやめられない。

彼女は「南無阿ティアラ」の前、おぶちゃ「葬送曲」という作品に出ていた。
劇団に入った新人。しかし主催に手籠めにされるも、数年後には劇団を牛耳るほどの力を持っている。
前半は夢を追うピュアな大学生。だから、”手籠めにされた”という表現を用いた。しかし後半の姿を見ると、実はそうではなく、それも計算された野心家だったのかと思わせるほどだった。その姿は、まるで別人のようだった。
劇中では、さほど描かれていなかった彼女を変化させた”時間”。崎野萌さんは、彼女は自分の中に落とし込み、最終的に前述したような変化を見せることで、そこにない時間を表現している。

崎野萌さんを追いかけて行く中で、特に忘れられない作品がいくつかある。
一つ目は、追いかけ始めて2作品目。観劇した作品としては3作品目。
「デジタルホムンクルス」
ゲームの中、デジタルの世界での話。ライブハウスで行なわれた公演は、客席との距離が近い。幸い、ほぼ最前に近い席だった。
冒頭、彼女が出てきて驚愕の長セリフ。それも、全く噛むことなく、それどころか聞きやすいトーンとスピード。そこで圧倒された。そして号泣するシーン。
彼女はその愛くるしい笑顔と、綺麗なすまし顔から、それらを特徴とする役も多い。最初に観たマチコ先生でも、メイン級ではないのにその可愛さに心が惹かれた。
他の役、例えば、2020年の「恋愛工作」では美人としての役だった。2019年の「裁判部へ行こう2.0」でもそういった役。見た目が可愛い、綺麗だけでは一目見て終わるが、彼女はそこにプラスアルファがあるので、観るものを惹きつける。

その彼女が、デジタルホムンクルスでは号泣する。顔を崩し、泣き、涙か鼻水か分からないくらいに崩した顔。それまで観てきた可愛さを出したものとは違い過ぎて、その姿は衝撃的だった。その瞬間、彼女の演技に惚れてしまった。
もし、追いかけ始めた作品としてこの作品での姿を観ていなかったら、ここまでハマっていなかったかもしれない。
それまでにもシリアスな作品はたくさん観てきた。号泣するシーンも観てきた。でも、崎野萌さんのその姿は、俯瞰して観ることが出来なかった。見入ってしまった。

この日、初めて面会で会おうと決めていた。
そもそも、マチコ先生(2018年)でその姿を観て名前を覚えた。だが、本人に言うと怒られるかもしれないが、その時は演技というよりその可愛さが目をひいた。しかし、何か引っかかるものがあり、しばらくSNSを追いかけてみてその魅力を探った。
それから1年後、決して忘れることなくマチコ先生の特典会で会い、初挨拶をした。
その状態での初面会。かなりドキドキして心拍数が上がっていた。当時は、覚えてもらっているわけないという想いや、元々の人見知りもあってのことだと思っていた。
でも今ならはっきりと分かる。
あの演技を観たからだ。あの演技を観て、心底、心が震えた。感情移入できる役ではなかった。それなのに、あれだけ心が揺さぶられた。そりゃあ、まともな精神状態でいられるわけがない。マチコ先生の時にはそこまで心拍数が上がらずに会えた。それが二回目でその状態は、ほぼ間違いなく、あの演技だと思う。

結局、崎野萌さんが色々な人と話していたのもあるが、それにしても声を掛けるのが遅くなり、面会も終わってしまうんじゃないかと焦ったのも覚えている。差し入れも何がいいか分からず、定番の休息時間を買って持っていった。
ほんの数分、マチコ先生の特典会よりも短かったと思うが、挨拶程度の話をして帰った。
その後、歩いて駅に向かう途中も、しばらく興奮状態だった。

その一ケ月後、「裁判部へ行こう2.0」で、再びその演技を観ることになる。
プライドの高い学園のマドンナ役。やはり、こういう役が多い。この後も同様に可愛さを売りにしている人の役が続く。
ただ、崎野萌さんが演じると、そこには見えないドラマが生まれる。
この作品で言えば、プライドの高い女子高生。自作自演までして被害者となる。そうなる過程は作品中では描かれないが、それをしっかりと自分の中で租借し、落とし込んでいる。自分が輝くために、注目を浴びるためには努力を惜しまない。でも、それを大きく表には出さない。そんな役を、裁判中、一番メモをとるという形で表現した。そこに気がついた人は、崎野萌さん演じる貴美子の本性が垣間見ることができる。

他の作品でもそうだ。
落とし込んだ人物ならば、きっとやってしまうであろう仕草や行動を見せる。それは決して目立たないし、台本にも書かれていないだろう。でもそれらがあるからこそ、その人物像が見えてくる。主役級でない役は、どうしても掘り下げられることが少ない。それを、自ら掘り下げて、観る側に伝える演技をする。それが崎野萌の真骨頂だと思っている。
色々な作品を観たからこそ、気が付けたことでもある。一作品では、たまたまかもしれない、台本に書かれているかなと思うが、どの作品でも、小さな役でもそれをしている。
決して、万人が気が付くわけではない。だが、視界の端にでも残ったその小さな演技は、その役の見せ場ではっきりと活きてくる。

だからこそ、主役を張った「疾走乙女!!」と「片翼乙女!!」では、その演技にしびれた。
主役であるから、その人生が掘り下げられる。それまでとは違う。万人が気が付くような仕草や行動も出てくる。台本にも書かれている部分もあるだろう。
この二作品に共通するのは、女性という立場で苦労した姿。差別に苦しみ、戦争で命すら危うい、世間のマイナスの風潮にも負けない強い女性。
十分に掘り下げられたその役を演じた時、崎野萌さんがしたのは、その心の負の部分、闇の部分を纏ったこと。
つらい体験をしてきた人間、苦しみを抱えてきた人間には、やはりその雰囲気が出る。中途半端なものではそれが出ない。しかし彼女が演じた2人は、その闇を纏うだけの苦しみを背負ったもの。
仕草や行動で見せていたものから、今度は目に見えるものではないものを纏ったその姿は、まるでその闇がこちらの首を締めるかのような苦しさを与えてくる。演じていた役が苦しむとき、まさに、その締める力は強くなる。
どちらの作品も換気休憩があったが、全く現実世界に戻れなかったのを覚えている。
結局、そういったものすら背負う演技が、冒頭の「葬送曲」での演技につながってくる。
闇を背負う前と背負った後で、彼女が一変する。その姿を演じ分けられたのは、あの主演作が大きかったのではないかと感じる。

だが、彼女の魅力はそれだけではない。「無」の表現もある。
マチコ先生の中で、無表示に淡々とやりとりをする場面があった。あれだけ”人間”を演じるのがうまいにも関わらず、一昔前のロボットのような無感情の演技もできる。まったく表情を崩さない。
それが発揮されたのが、「DUST STATION」だった。
無表情でロボットの様で、でも無垢な様子の少女。時にそれは怖くも感じさせる。
「片翼乙女!!」は無表情ではないが、感情があまり出ないように努めている感じをうけるくらいに表情を崩さない役だった。
崎野萌さんの無表情の演技が怖さを感じるのは、そこに大きな穴を感じてしまうからかもしれない。大きな闇。吸い込まれそうな瞳。そこに吸い込まれたら、その闇からは出られそうな闇。これは本能的なものかもしれない。獣的なものかもしれない。
人は何もないことを望まない。何もない空間、どこを見てもどれだけ歩いても走っても何もない空間、そんなところに1人で放り込まれたら、きっと耐えられない。
そんなものを感じさせるものを醸し出している。そう感じる。

そんな崎野萌さんだが、舞台を降りるとその優しさにまた心が和む。
「デジタルホムンクルス」の後、「裁判部へ行こう2.0」ではチェキ会があり、そのまま面会ができた。この時はさすがに少し慣れたものの、それでも会うまでは緊張していたが、いざ会ってチェキを撮ると、凄く丁寧で、でも時々面白いことを言ったり、少しこっちをいじってきたりと、とにかく飽きさせない。人見知りと聞いたが、それをみじんも感じさせない。プロと言えばそれまでだが、その雰囲気に一気に打ち解けることが出来た。

それまでチェキ会ってそんなに一度に枚数も撮ったことなかったけど、この時は追いチェキまでしてしまうほど、楽しい時間になってしまった。
このギャップも魅力の一つだろう。

そんな崎野萌さんはRAVE塾では、細かい演技などないように見える。演じる役も似たような役が多いが、可愛いだけの役ではない。
少し成績が悪い劣等生。それぞれの役が大きく掘り下げられることはない。セリフも決して多いわけではない。それなのに、ほぼレギュラーと言っていいほど出演されているのは、学園を舞台にした作品だからこそ、より自然な演技が必要で、それは特にドラマのない役にほど求められる。

崎野萌さんは、自分の与えられた役を輝かすことが出来る。そして自分の与えられた役を使って、周りも輝かせることが出来る。
だから彼女には色々な役を演じて欲しい。

崎野萌さんを使う人たちはきっと楽しいだろう。難しい役であっても、目立たない役であっても、その作品を輝かすことが出来るのだから。
こんな役を与えてみよう、これはどうだろうと想いは広がる。

自分もそんな想いを感じ、作品に当てはめるのではなく、崎野萌さんのために、崎野萌さんをこう使いたいという欲望のために、一つ作品を書き始めてしまった。
まだ全然進んでいないが、いつか崎野萌さんに渡せる日を迎えたいと思う。

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