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僕のヒーロー願望2 観劇

前説やカーテンコールでの劇団の挨拶。好きな挨拶の一つが、この「劇団わ」での「飛び越えてみせます」という部分。毎回、気分が盛り上がり、観劇へと入る。

前作は、都合が合わずに観劇に行けず、配信にて。そして今回、タイミングも合って観劇へ。
ヒーローが職業として認知された時代の話。
ヒーローと言っても変身しない。特別凄い能力があるわけではないということで始まる。敵や若い世代のヒーローには能力がある。普通に特殊能力がある世界。
能力がある若い世代からしたら、見下されてもおかしくないが、そんなことはなく慕われている。これが一番のヒーローの条件なのではないかと思わせるし、そう思わせるヒーロー像でないと成り立たない。その役を、夢麻呂さんがパワフルに、そして憧れるヒーローを演じていた。

そして弟子たちもいる。弟子という表現は出てこないが、実に楽しそうにヒーローについて勉強し、心得というものを習っている。
新木美優さんは、相変わらず・・と言ったらあれだが、元気な役で見ていて楽しい。過去には狐巫女も演じていたが、今回の小学三年生役も見事にハマる。こんな小学生いそうだなというツボを見事についてくる。
ヒーローと言えばやはり小学生のものという感もある。
分かりやすい特撮ヒーロー作品は、どうしてもターゲットは子供である。多くの人はいずれ”卒業”していく。最近では市民権を得たが、大人ではどうしても冷たい目で見られることも少なくない。ま、個人的には大人になってから見る特撮作品は、意外に心に響くものもあり、なかなかなのだが。
そう考えると、ヒーローは子供のものという考えも根強い。だからこそ新木美優さん演じる松永健はドンピシャで、子供っぽくヒーローに憧れ、そして時に残酷に殴る(笑)。蜂巣さん演じる警察官にだけ特に強く叩いていたのは気のせいだろうか・・。
そのギャップとして、敵の能力にかかってしまい、途端に現実的になる姿が描かれる。この対比が面白くなるのは、健が無邪気であればあるほどそれは大きい。
身長だけではない。新木美優さんは、役が無邪気で元気であればあるほど、その力を発揮する気がする。何度も元気をもらい、そのたびにまた会いたくなる。

そして今回、ヒーローに憧れる存在として、小学生よりも大きい大学生、佐藤兄弟が描かれた。ヒーローなんて、と思い出す人が多い年代。法的には大人として扱われるが、社会人とは違う微妙な年代。社会人になり、現実的なこと、それこそ、健が語っていたようなことを察し、いつの間にかじぶんを殺して生きていて、ハッとした時に気が付く人も少なくない。そんな渦の中に飛び込む前の年代。
それを二人で演じていたが、その内の一人、佐藤偉大役の佐藤菜奈子さんが目に留まる。
思えば、彼女の演技を観るのはまだ2作品目なのだが、前回も不思議と惹かれた。その後、コロナもあったり、昨年は都合合わず舞台で観ることは叶わなかったが、久々に観た彼女の演技に惹かれる。
その理由を今回、探りながら観ていたのだが、その理由の一つが、声にあるような気がする。言葉の一つ一つがしっかりと発音されるのはもちろんだが、舞台という特殊な場所でも、しっかりと伝わる透明さ。
その声の透明さが、まっすぐな役にピタリとハマる。
前回観た作品では刑務官役だった。収容されている女性受刑者たちの苦悩に寄り添い、刑を終わらせればいいというだけではなく、そのためにできるだけ心を豊かにできるようにと働きかける。そんな役から、今回は一転、ヒーローに憧れる役、それも男子大学生役。
男子学生でも違和感がない。それは中性的な顔立ちもあるかもしれないが、その表情が男子に見せる。それも、ヒーローになれそうもないからこそ、ヒーローに憧れるような子供のように見える。
それも透明感のある声だからではないかと思う。
思えば、前回拝見した時は2019年だった。そこから丸4年。その間に色々な人と出会い、またフォローしたものの、そのままの人もいる。そんな中、ずっと気になる存在だったのが佐藤菜奈子さんだった。
そしてその月日は、少し大人っぽい顔立ちになった気がする。それが結果として、男子学生でも違和感なく、むしろカッコよくなっていた。
稽古場チェキの姿を見ると、また別の大人っぽさもあり、どちらでも以前とは違う役ができるのではないかと期待してしまう。

今回の作品は、前作からのつながりも感じられるのがまた楽しい。
新木美優さん演じた健は、前作では夫婦になったあの2人だと思うと、あれだけ元気な子供になるsのも納得。すでに物語のスポットライトが別のところに行っているのに、刀振り回している姿なんて、子供そのもの、それもあの2人の子供だとやりそうだなと思うとクスりと来てしまう。
佐藤兄弟も、あの2人の子供なのだろうと思うと、佐藤菜奈子さんと高石瑠奈さんのコンビのバランスがとても良く見える。少しキザに、大げさにカッコつけても違和感がない。

この佐藤兄弟が小2病になるのも面白い設定だった。
まさに前述したことと被る。
特撮ヒーローに憧れていた子供が、ちょっと特撮以外の楽しみも知り始め、何なら、ヒーローなんてダサイと言い出す年代。どちらかというと、大人側に近い佐藤兄弟がヒーローを目指していることが笑われてもおかしくないのに、それを気にせずひたむきに前を向いて走り続ける2人。それなのに、ヒーローを目指してると言っても、周りが微笑ましく思ってくれる年代にまでなったら、逆にヒーローに興味をなくし、大人になんかなりたくなくなる。
このアンバランスさが、まるで反抗期のようにも見え、そして一体、ヒーローとは何なのかを考えさせられる。
今、現実にはヒーローという職業は認知されていない。実際に名乗る人もいない。
それでも人は、心のどこかにヒーローを見つける。そしてそれを堂々と、時には密かに応援する。

この作品のサブタイトル、「諦めたら世界終了ですよ」は、あの漫画の名言からとっているのかなと思うが、これが実に的確。
パンフレットを見て感じたが、舞台に立っている人は、諦めなかったからあの場にいることができる。自分の世界を終了させていない。
一方で、客席にいる人たちの中には、何かを諦めてしまい、自分の中で世界を終わらせてしまった人も少なくないだろう。
演劇というものに、非日常的なものを求める。それは決しておかしなことではなく、そしてなぜそうかというと、自分の夢を諦めてしまい、ふと立ち止まったときに感じる閉塞感から逃れたくて非日常を求めることもある。
過去、舞台に立っていて諦めた人も客席にいたかもしれない。その人たちも、思いは複雑かもしれない。
そんな人たちから見たら、夢を諦めずに舞台に立っている人たちは、客席一人一人のヒーローで、だからこそ、観に行き、応援する。
言ってみれば、舞台はヒーローショーなのかもしれない。
世界を終了させていない人たちが作る世界はまぶしく、そしてその人たちに夢を諦めていなかった自分を投影する。
舞台作品には、色々な役が登場する。多くの役があり、感情移入できる役もある。それを演じている人たちはヒーローなのだから、我々も感情移入した役には自分を投影しやすくなるのも当然。

さきほど、舞台をヒーローショーと表現したが、まさにそうなのだ。
テレビで見る特撮ヒーロー作品よりも、握手できる場所で会ったヒーローとでは全く違う。目の前で戦ってもビームは出ないし、巨大ロボも出ないけど、それでもその迫力は違う。
舞台も同じ。映画やドラマも面白いし好きだ。だけど、舞台を観ると、特に良い舞台に会えると、良い役者に会えると、舞台の沼に落ちる。舞台を観たことないという人は、本当、一度良い舞台に連れていきたい。期待を飛び越える劇団わは、おすすめしたい団体の一つである。それを確信した。

改めて、劇団わの作品は好きだし面白い。君バクシリーズも楽しみだし、他のシリーズも楽しみ。今回、新たな魅力に気がついた佐藤菜奈子さんも、劇団わの他の作品で観てみたい。この縁をスタートとして、彼女をどんな風に使うか、どんな役をあてるか、これから先に期待したい。きっとその期待も飛び越えてくれると確信している。

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