月の終わりと始まりはシアター#14 9月の離別 感想


見ごたえがあった。
そして思ったのは、1回しか行けなかったのが悔しいということ。
カーテンコールで、真田うるはさんが言っていたけど、本当にそう思った。

短い時間の中で、4話のオムニバス構成。1話あたりの時間は短いのに、凄く濃厚に感じる。台本を読んでも、さらっと読めてしまうほどなのに。

全ての話に同じ役者が違う役で出ている。それは当然なのだが、まるでこの人は繋がっているのではと思うほどだったのが、若松愛理さんだった。
彼女が演じた4役。
1話目の聖良。
2話目のエア。
3話目の新田優里。
4話目の瓜実日菜美。

この4役、3話→2話→1話→4話と時系列を並べて、若松さんの演じた役だけ見ると、繋がっいるのではないかとさえ感じてしまう。
それは、いわゆる”何を演じても同じ”なのではない。むしろ逆。4話オムニバスという構成を考えると、そんな仕掛けがあっても面白い。

日菜美以外は、どこか心に闇の雫が落ちている。
聖良は、美澄衿依さん演じるはろを痛い女と言い放ち、相手の主観が入っていないと突き放す。一方で聖良は、野市から携帯を奪い、自由を奪う。その自由はないというその淡々とした口調は、怖さを感じる。
そう。心に落ちている闇の雫。決して大きな闇には支配されていないそれぞれの役。しかし感じる怖さ。若松愛理さんを知ってもうずいぶん経つが、ここまでひきこまれたのは初めてだった。
それは、まさに、前述したようにどこかで複数の人間をリンクさせているように感じたからだろう。そんな風に感じさせるには、それだけの力が必要だし、それを持っているからだろう。

1話目。恋する自分を演じ切る姿に満足するはろを美澄衿依さんが演じていた。
人が饒舌に話をできるときは、好きなものを語る時か、自慢話と相場が決まっている。今回は後者。いや、正確には好きな自分としたら、両方かもしれない。
文章で見ると、それは苦労話に見える。苦労話も饒舌に話せるが、本当に苦労したことだと、思いも湧きあがり、そうは行かない。
今回、美澄さんの言葉の話し方、スピードから、これは、苦労話を聞いてほしいとは思ってないと察することができる。察することができるように演じていた。
テンポよく話すその姿は、まさに”痛さ”を表現し、はろのイメージを、観ている側に一気に浸透させる。
物語の最初、よくある彼女の束縛が激しい話、それは原因はどちらだろうねと思わせつつ、美澄さんの演技で、はろに共感させず、男側が可哀そうだと思わせる。
一転、今度は若松さん演じる聖良が出てくると、「なんだ、聖良もか」「類は友を呼ぶ」くらいに思わせて共感できない流れかと思ったら、「(スマホで動画を観る)自由すらないから」という一言で、急に流れが変わる。以降、具体的なことは語られない。そしてある自由は、出ていくことだけ。別離の自由のみ。
淡々と短いセリフで、離れていた共感を引き寄せ、そしてまた短いセリフで怖さを感じさせるほど。怒りの感情を超えた先に待っているこの姿。出ていく自由だけあると言われても、本当に出て行ってしまったら、もっと取り返しのつかないことになるのではないか。そう感じた。
美澄さんの非共感性があって、そしてこの流れにもっていった二人の演技。ラスト数分で、一気にこの舞台全体に引き込まれた。

2話。アイドルの世界を舞台にした話。
真田うるはさん演じる負けず嫌い、とにかく勝ちに執着するラブ。
一方で天然‥ということにしているが、とにかく失敗しないようにする優莉奈さん演じるココロ。
物静かな口調で、アイドルという職業に徹しているかのようなエアを若松さん。
台本を読むと、客席からは場所によっては見えなかったような演出も見えてくる。それにより、ラブの執着心とエアの優しさが垣間見える。劇場で見られなかったのは残念だと思うほど。
妊娠検査薬の入った大切なポーチを忘れてしまったエア。一見すると、隠したい。隠さなければいけないそんな大切なものを何で忘れるんだと思ってしまうが、そのきっかけも優しさからだった。ココロが責められ、それをかばうために出ていったエア。黙って個室にいてもよかったのに、わざわざ出ていく優しさ。
しかし一方で、そこまで本人は隠すことに執着していなかったのではないか。どこかでばれてもいいやと思っていたのでないかとすら思わせる。だから、自分でわざと忘れたわけではないが、忘れてしまう”程度”と思わせる。
産む覚悟をしているのなら、いずれお腹が大きくなれば隠し通せない。早かれ遅かれバレるのならば、見た目でバレない今のうちに、適当な理由をつけて・・と心の片隅で思っていてもおかしくない。アイドルには執着していない。そんな風にさえ感じるのが、マイクがない時の落ち着いた話し方。
そしてそんなエアに憧れ、そしてその優しさを肌で感じ、感謝もしている。そしてアイドルとしてだけではなく、そういう周りに気を遣えて、間に入れる強さもある。そんなところに憧れている。そんなココロを優莉奈さんが演じたのは、絶妙なキャスティングだった。
優莉奈さんを初めて見る人、何度も見ている人、共通したイメージが出るとしたら、それはおそらく、”真面目そう”という類のものではないだろうか。事実、そういう役が多い。自分が作品を書くとしても、そういう役をあてがいたくなる。
「する時はゴムつけないと」と言われた時、勘違いしてひいた表情。あの表情一つ、あの反応でココロのイメージの片鱗を描き出す。
弱弱しく、1話で出てきた女性二人とは対極のように思わせる展開が続く。その中でも、台本では「・・・あでもこれメイクさんがつくってくれたから」と書かれていた部分。この「・・・」の部分の間が、優莉奈さんは絶妙だった。
言い返したいほどではないが、波風立たせたくない、変えたくないけど、強要されたら困る。そんな葛藤が頭の中で渦巻いている。そういうことを考える人だと思わせるには充分な時間だった。そしてここでのやりとりが、大きくその後のココロを引き立てる。

エアの相手が誰か、そんなこと知りたくもないし知ろうともしていなかったココロに、ラブは一方的に告げる。それが真実か真実でないのかは分からない。しかしそれを聞いた瞬間、ココロはこれまでにはない様子を見せる。それまで、悩まなくてもいいようなことを悩んでしまうような、神経質で周りの顔ばかり伺うような印象から一転、初めて表に出た強さ。リボンを取り上げられた時の激情とは違う。同じように感情を出しているが、後半は守るための強さ。この違いを出すために、あの間が凄く生きていると感じた。
優莉奈さんらしい、素晴らしい仕掛けだと思う。
3話目。
漢字まで全て同じ異性のクラスメイト。確かに学生のイジる対象としては最適だ。そして自分に刃を向ける人たちは何となくわかるという優里。これまでもあったからと。
イジりがイジメに発展する。そんなことは珍しくないし、むしろ、いじめの多くはそこからの方が多いのではないか。
しかし今回は違った。クラスメイトたちによる集団ではなく、一人の嫉妬によるもの。
実は、真田うるはさんが演じていた学生役、バーにきたひかりと同じとは思っていなかった。こういう作品の形でもあるし、一人二役くらいに思っていた。
だからこそ、台本を読んだ時に、本当の怖さが分かった。
いじめられていた経験があるのかもしれない。でも優里は強い。おそらく、耐えることにも慣れているのだろう。しかし違うのは、立ち向かう強さもあること。一対一で、自分に会わないことを願えという。会ったら殺すと。嫌がらせをしていた側からすると、それまで何をしても耐え続けた優里に対して、それらはエスカレートしていっただろう。そして別に殺そうだなんて思っていない。ただ、消えてくれればいいくらい。しかし、優里は「殺す」と言い放つ。殺すなんて言葉を、馬乗りになられて言われる経験など、どれだけの人間が経験するのだろう。それは、言われた側からしたら狂気にしか見えない。
嫌がらせやいじめを受けた人間からしたら、それは決して狂気ではなく、本心なのだろう。問題は殺すという言葉の刃物を、突きつけられるか否か。
その狭間を、これも若松さんが上手く演じていて、全ての作品を通して一番ゾクっとしたのは、この優里だった。
この3話。そして次の4話でもそうだが、美澄さんの演技に目を奪われていた。
美澄さんの演技は、これまで即興劇と伝説の勇者が現代に出てくるようなコメディ作品しか観たことがなかった。こういう系統の話で、どういう演技を見せてくれるのかと楽しみにしていたが、その自然さに引き込まれた。

舞台は非日常空間。出てくる人たちは作られた役。その役を、演者さんたちは自分の中に落とし込み、その人がいても不思議ではないか空間を創り上げる。
美澄さんは、とにかく演じる役が自然。作ったとは思えないくらい。
舞台上ではなく、自分もバーの離れた席にいて、その場面を見たり聞いたりしているようにすら思えてしまうくらい。舞台と客席の距離感をゼロにする。普通に話しかけたくなるくらいに自然な姿。創作作品は、自然であればそれに越したことはないだろう。それは4話でも見せてくれた。普通の人を普通に演じるのは難しい。バックボーンが見えない役は作るのも大変だろう。それを上手く演じている姿を見て、もっとバックボーンがしっかりとある役を演じたらどうなるのだろう。普通ではない役、1話よりももっと普通ではない役を演じたら・・・と次もまた観に行きたくなった。

4話。
力を持つものが弱者を捕食する構図。そして弱者が転落していく姿を描く。
物語としては、よくある展開。しかしよくある、それはつまり、世の中にあふれているという事になり、そして色々な人の手で色々な形でつくりあげられてきた。だからこそ難しい。
1分で飽きさせてしまうこともできるし、2時間観ても飽きさせないものにもできる。それはまさに、創り手の手腕。
もちろん、この作品は後者。身寄りのないという久。その様子から、周りに引け目を感じながら生きてきたのだろうと推察できる。そして工場長と典型的なドラ息子。福祉的な雇用で出る補助金もあるし、もしかするとそれも考えられての雇用かもしれない。雇った恩で電池が切れるまで使いまわしてやろうという考えもあるだろう。いずれにせよ、そこには善意はない。
美澄さんが演じた麗美を見ると、店の外で久に声をかけ、うまく取り込んだというところが窺える。誰も話す人がいない。慣れたと自分に言い聞かせても、声をかけられ、話をするという味を覚えてしまうと忘れられない。一度潤った喉は、より、そしてまた、潤いを求めてしまう。
そしてバスジャックという愚行に走るが、新しい命を目の前にし、そして謝罪する。彼のやったことは悪だが、彼自身は悪ではない。
しかし最後、未羽の行動で久は射殺される。そして未羽の歓喜の雄たけびで幕を閉じる。
本当の悪は誰なのか。一体何が悪だったのか。インタビューに誇らしげに答える未羽は正義なのか。
七瀬と洋司の台本上の沈黙がそれを問いかける。
真田うるはさんは、自らも言っていたが確かに今回、悪い印象の役が多い。しかしどれも印象に残る。若松さんが全編通して演じた狂気とはまた違う表現の狂気。

全編観終わった後、感じた満足感。そしてもっと観にこられればという悔い。
最初に月シアを観たのは北千住での公演で、この時は劇場がまた特殊だったこともあり、非情に面白い展開だった。最大限にあの空間を生かした創りも面白かった。

今回、自分の中で若松さんに対する印象が大きく変わった。正確には、この直前に、イベント公演で観た時にその印象がぐっと変わったのだが、今回、その変わった雰囲気から見せる演技はまた格別だった。
もう20弱の公演を観ているけど、なんか会う機会を逃して、今更挨拶するのも・・と思って、ここ数年が経過している。今回もちょっと迷ったけど、一歩が踏み出せず。次に出演予定の舞台も、行こうかと思っているところなので、「何を今更」と言われても、会いに行きたいと、本当に思うくらい、心を掴まれてしまった。

今回の女性4人の内、3人は名前も知っていたけど、それを差し引いても本当に良い組み合わせで、この4人での作品をまた観てみたい。この4人なら、どんな難しい作品でも、どんな無茶な設定でもきっと、その役を創り上げてくれて、時を忘れさせてくれるような時間と空間を与えてくれる。本当にそう思う。観に行って良かったと、心から思う。

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