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舞台 風に任せて 感想

A班を1回、B班を2回観劇。

劇団東俳。主催の舞台は、以前、シアター1010で観た「法廷の銃声」以来。そして思い入れがある。「法廷の銃声」を観て、劇場でDVDを予約販売していたが、後で買えるかなとそのまま帰宅。その後、販売されず、以降、自分が観た舞台はDVDを買うようになり今ではかなりの枚数が家にある。
そんな悔しさを今でも持ち続け、そして一昨年、所属している中島明子さんと話す機会があり、観劇に行こうとしたがチケット完売で行けず。
そして今回、ようやく劇団東俳主催、それも座プロローグへ。想いが強く、この日を待っていた。
そして幕を開けた「風に任せて」。

小さな村に迷い込んできた「北野圭子」。そこから話は展開していくが、その前の冒頭部分にも伏線がしっかりと。卓三とたえの会話、その関係性も明らかになっていない段階で離されている「経費」の話。父親と娘の関係にも見える。でもそれで経費とは言わないだろう。同じ仕事をしているとしたら経費だけど・・なんて考えているうちに、美和子からの電話が来て、バタバタとし始める。そしてこの美和子が姿を見せるのはだいぶ後。この電話すら忘れてしまうくらい経った後だけれども、このことを覚えていると、更に後半、楽しさが増える。

オープニングのダンスと音楽は、まるでアート作品を見ているかのような時間。
小さな村、人々とのふれあい、優しさ…そんなものをテーマにしていたら、もっと違う音楽だっただろうと思う。実は、そんな物語なのかと思っていた。音楽を除けば、まさにそんなものを表現しているようにも見えなくなかったからだ。
だからだろう、音楽を聴いた時、「これは少し違う」と感じ取った。

助けられた圭子が鞄を開き、あからさまなロープが出てくる。でも、それは観客と、たえにしか見ることができない。そしてそれを見たたえは、舞台から外れたところで卓三と話をする。そして圭子はというと、とにかくメモをとりまくる。会社の新入社員なら、熱意あり・仕事への姿勢良しとして褒められていたかもしれない。
実際、後から分かることとして、本当に仕事の一端だったわけだが。
ただ、この圭子の熱心なメモのシーン。これ自体が、圭子という人間を表現し、そしてなにより、ラスト、圭子の慟哭をより強いものにさせる。

結局、圭子は自分の仕事のせいで人を死に追いやったと思っていた。自分が住んでいる人たちを追い出したことで、もちろん、よくある強引な立ち退きではなく、理解してもらった上での立ち退きだろうが、新しい土地や環境で苦痛を感じたのか、老婆が自殺し、それを悔いていた。
こころで受け止められないほどの苦悩。それはつまり、圭子が真摯に向き合い、本当に相手のために、土地のためになると信じていたからこそ、心をもって接していたからこその苦悩。ビジネスだけであれば、割り切れるはず。割り切らないといけないのかもしれない。
それでも割り切れないのは、人の心と向き合っていたから。
それは、風穴村での「プレゼン」でも感じ取れていた。
そこに加えて、あれだけのメモ。はっきり言って、都市開発にはどうでもいいんじゃないかと思うようなこともメモをとっていた。でもそれが、ラストのシーンに来ると、人の生活・向き合うためのメモだとわかる。ただのビジネスではない。理解してそのうえで、本当に自分の提案をして良いものか、それを判断するために。
それが繋がった時、圭子の慟哭シーンの印象が変わる。
受け止められなかったのも理解できる。そこまで仕事に対して、誇りと愛情を持っていたなら、もし自分がやったことが、幸せとは正反対のことを生み出していると知ったら、心は壊れる。
「メモをとっている」という行為は、新入社員なら褒められる。でも疑念を持つ相手がやたらとメモを取っていたら、「やめてくれ」と言われる。言うまでもなく、風穴村の人たちは後者だった。そして、それを演出するためにも必要だったメモ。でも、それが最後にこんな効果をもたらすとは、予想がつかなかった。

この作品を二回目以降で見ると、当然、たえの印象が変わる。
A班は一回しか見ていないので、入江怜さんはBDで再確認するとして、2回目・3回目として見た大澤実環さんの演技の中には、たえの性格をよく表す、そして考えてみれば伏線にもなっていたシーンがあった。複数回観たからこそ気が付けたのだろうが。
とりあえず、今回は、大澤実環さんの演技だけに特化して書く。

たえは若い。でも、風穴村の管理人という事で任されている。
若い人を管理人の一人にすることでのメリットもあるけど、その仕事は大変だと思う。圭子のセリフの中で、「若い人たちが多いんですね」とあった。村のような小さなところでは、若い人たちはみんな出ていってしまい、老人ばかりが残る。そんなイメージもある。圭子の言葉は当然。そこにこの村の違和感もあるわけだが、風穴村の役割を考えると、若い人たちが多いのも納得できる一方、それでいいのかという想いも巡る。

そしてそんな人たちを見てサポートするのがたえの仕事。最後まで明かせないその役割。いわば、たえも住人と同じ扱いになっている。
そんな中で、どうたえの性格を表現するか。住人寄りにしながら、一方で責任のある仕事を任されている、そんな部分も伏線として表現しないといけない。

例えば、圭子に工芸品についてのやりとりからしばらく後のシーンでもかんざしについて触れられるシーンがあった。そこでかんざしに触れる姿は、どこか誇らしげで、自分の仕事を褒められた嬉しさのようなものを感じた。
でもかんざしを作ったのは五太郎。それでも嬉しいのは、一緒に作っている仲間を褒められたからということと、それ通して褒められた村、自分が作っている村を褒められたという意識が、無意識かもしれないけど生まれたから。
その無意識の仕草が、さらっと入れている演技。驚いた。

そして、圭子が村の謎について指摘をし、きまずい雰囲気が流れるシーン。
村の管理人であり、いわば住人すら知らない事実を知っているたえ。ウソをついているという認識は、住人以上にあるのは容易に感じ取れた。
たえは、いつも笑顔で明るい印象。最初の扇風機に当たるシーンなどから、子供っぽさもあり、とてもそんな大変な仕事をしているとは感じさせない。観ていて楽しくなる存在。
無理してでも笑顔に努めていると思われるシーンもあった。
でも、一番辛そうだったのがこのシーン。
その大きな心の揺れを、タオルらしきもので表現していた。一度とって、その時は意味がありそうだったけど、結局、表情が曇り始めて何もせずにそのまま戻す。
あの雰囲気の中、その時間が長く感じ、その間を埋めたくなる人間心理。なんか触ってみたり、でも何もできなくて。たえは真剣に向き合っていたからこそ、人を救うためのウソだと分かっていても、それでも、隠さないといけない葛藤。圭子の言葉に、自分は住人にも隠し事をしていることに改めて気が付かされたのだろうと思った。その時の辛さは、計り知れない。

同じ流れからもう一つ。圭子に対して全員が謝るシーン。その少し前に立ちあがっていた卓三は別として、あの瞬間、たえと琴音が立ちあがって、深々と頭を下げていた。住人たちは全員のそのままの姿勢で謝罪していたのに、この2人だけが。たえは端の方で分かりづらい位置だったけれど、座していた状態から立ちあがって謝罪していたのは際立っていた。
琴音も立って謝っていたけれど、あの状態だと最初は気が付かなかったくらいだった。あの状態なら立ちあがるかなくらい。ただ、たえ一人が立ちあがっていたらと考えたら、ちょっと疑念を持ち始めるし、そうさせないための演出だとしたら、まさに引っかかった。
ただいずれにせよ、あのシーンでより、たえの責任感の強さが際立った。
だからこの作品は、たえという存在に、どの段階で本当の意味で気が付けるかでガラッと視点が変わる。そんな気がして、2回目以降は注目するようになった。
そういえば、拓海が咳き込んだ時、スッと敏江に伝えに行くやりとりもあった。このあたりも、幅広い気遣いがみてとれた。


そしてこの作品、A班とB班での大きな違いは、男女が入れ替わった役があるということ。そうなると、一人、大きく環境が変わる人が出る。
加藤咲。A班では姉と妹、B班では兄と妹になる。咲がいじめられたことがきっかけで、この風穴村に来ることになった。
自分の上にいるのが、姉か兄か。それでずいぶんと環境は変わるのではないかと思った。それはつまり、同じ加藤咲でもバックボーンが変わり、二つの班で唯一といっていいほど、大きく変わる存在だと思った。でもそれは、舞台上では大きく影響しない。それでも、バックボーンが変わることでの変化があるのか、BDが届いたら見比べたい。
共通しているのはどちらも、いじめられていたとは感じさせないという点。そうなると、細かいところで違いがあるかもしれない。
1回しか観ていないA班で演じていた深沢優希さんは、名前は知っていた。オンラインイベントでつい最近拝見し、大喜利で印象に残る回答をしていたし、なにより、なんて優しい表情をするのだろうと思っていた。
その人の演技を初めて観られると思ったら、それだけでワクワクしていて、一回目ということもありストーリーを追うことも迫られ、細部まで観られなかった。だからBDで改めて観たい。

それと今回は小道具が本当に命や人生を表現しているのも良かった。
長寿祈願はもちろんだけど、向かって一番左にかかっていた27のもの。あれと同じものを自分の会社では毎日読んでいて、でも他では見たことがないから驚いた。仏教の言葉集だったはず。
ハンガーがかかっていた言葉が気になって、写真撮影の時に何枚かとったけど読めなかった‥。
そして看板に偽りなし。確かに風穴村を卒業させているのだから、それも納得。
しかし、最後に観た時、琴音が社会復帰するって部分、琴音の過去は一切触れずに社会復帰することだけ言われていた。そうなると、声優のタマゴのタマゴを目指している話が本当は琴音なのでは・・・と思ってしまった。

劇団東俳。冒頭に書いた通り、自分の中で持っていた悔しさが、今回の舞台で少し晴れやかになり、それどころか、最近、応援したくなる人が東俳所属というのが続いている。
それは役者としてだけではなく、人柄や仕事に対しての姿勢などを見て、感じてそう思うわけだから、やっぱりしっかりと、人を、人間を育てている劇団なんだなと実感。だからその役には人間らしさがあり、厚みもある。それは年代を問わない。
座プロローグというホームグラウンドということもあるかもしれない。余計にその温かさを感じた。

A班を観に行ったのは18日。B班を観に行ったのが23日。実は自分の父親が、その間の日に、まさに癌の手術を受けることになっていた。こんなリアルに感じられる経験は本当になく、今回、不思議なものを感じた。
五太郎の何もできないという言葉にも共感できたし、同時に、そんなことはないという銀次の言葉も理解できた。

この作品は、この舞台は、きっと一生、忘れることがない。
観に行って良かった。大切なものを貰った気がする。ありがとう。

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