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観劇「片翼乙女!!」

タイトルを聞いた時、当時、航空業界の単発ドラマも放送されたこともあり、前回が実話を元にしたことも考え、航空業界での女性の奮闘・・? んと思っていた。

ところが、その中身は全く違った。
崎野萌さんがオープニングから、強い口調で語りだす。あれだけの強い言葉、声量、まさに言霊となったそのセリフは、ゾクっとし、鳥肌が立った。

崎野萌さんがオープニングで登場し、長台詞を話す作品は観たことがある。その作品を観て、萌さんの真価が発揮されるのは、コメディではないと考えていた。
前回の疾走乙女を超えてきたその強さは、実に素晴らしい。
強い口調で語るその横で、もう一人の主演、関口ふでさんの目から滴り落ちてくる涙。スポットライトは萌さんに移動し、そちらに客の視線も集中している中、時間の流れが違うのではないかと思うほどの涙の速度。後から思うと、その涙の重みはとても大きく、涙が語っている。

物語は、戦後の復興を経て、70年代というところか。
偶然にも、もう少し時代設定が前の作品を、つい最近観劇した。女性たちが生きるために必死だった時代。生きていくためには、進駐軍にも尻尾を振る。プライドで生きていけない時代。

崎野萌さん演じる咲は、まさに、その時代が幼少期に当たる。駅のホームでの話が出てきたが、今では考えられない様子が、想像できる演技をされていた。
そしてそれをバックボーンにした女たちを演じていた。
今回の作品は、いつも以上にバックボーンが大切だろうと感じた。なにしろ、普通の時代ではない。生きるか死ぬか、戦争が終わり、日本人同士、手を取り合って・・・なんていうのは、後の時代やその時代にある程度安定した生活が約束していた立場の人の言葉ではなかったのかと思うほどの過酷さ。子供でも騙し、自分が生きるため、家族を守るためなら何でもする。
そんなバックボーンがありながら、普通に生きている人たち。そんな人たちを演じるには、役者一人一人の力量が問われている。そんな感じを受けた。

咲も生き抜いてきた女性だった。前作、「疾走乙女」の強さとは違う強さが必要になる。
それは時に怖さも感じさせる。生きるためには、非常にならないといけないこともある。
その怖さを、崎野萌さんから感じた。冒頭の鳥肌は、それを感じたからこそなのだろう。

弟を殺したのではないか、その疑惑を向けられて追い込まれる咲。咲が論破した通り、子供が殺せるわけがない。掲示も分かっていたはず。それでも誰かにぶつけるしかなかった。
近くにいたから、という理由だけで咲をその犯人に仕立てる。そこにこの作品のテーマを感じた。
女性は弱者という認識。弱者はいいなりになる。そうでないといけない。それを咲という強い女性を立たせることで、その認識を否定し、闘う女性を表現していた。

他のシーンでは、女性は立ち上がらないといけないと直接的な表現をし、学生運動では男女なく目的のためにまい進する、そんな姿を描き、作品中にちりばめながら、屈しない咲の本質へと導いた。

だからこそ、崎野萌さんのあの演技になる。
ただ強いだけではない。「疾走乙女」の時の様な、直接的な表現ではなく、にじみ出る強さがそこにはあった。

片翼。
その重みは、ストーリーが展開していくほど、大きく感じる。戦争が終わった後に始まった彼女たちの戦い。舞台上では描かれていないのに、駅でのエピソードが鮮明に頭に浮かぶ。
それは自分が過去に見た文献や資料の影響もあるかもしれない。
でも彼女たちの演技を観て、明らかにその光景が浮かんだ。
夢など持っていても、それを叶えるために羽ばたく翼がもがれている。マイナスからのスタートと言ってもいい。
その背景に向き合い、背負ったからこそ、あれだけの重厚な舞台に仕上がった。
生きるか死ぬかを背負った咲。
そしてその状況をより酷くしたのはカオル。

性同一性障害という言葉が浸透し始めてまだ歴史は浅いかもしれないが、考えて見れば昔からあっておかしくない。むしろ、言えない状況だった。
ここにカオルの過酷さがある。
そしてそれは、咲のものとはまた違う。

父親のことはほぼ語られないが、カオルは女性として抱かれ、咲を出産した。でも、その時も心の中は男性だった。昭和の時代。結婚が幸せの象徴として捉えられ、結婚への道を周りでも作っていた時代。
結婚していないと世間体としても問題があり、カオルは結婚せざるを得なかったのではないか。いや、結婚とも明確には語られていなかった。
その辺りの事情は、いくらでも考察できてしまうが、いずれせよ、シングルマザーとして生きてシングルファザーとして咲を見ていたとしたら、その成長を見るのが辛くなったのかもしれない。どちらで接して良いのか分からなくなったのかもしれない。
戦争で自分だけが生き抜くために捨てた・・・そうでなかったと信じたい。

だが、どんなことがあっても、咲を捨てたことに変わりはない。少なくとも、咲にはそう捉えるしかない。会いたい気持ちがあっても、それを押し殺して、忘れようと思いつつも、苦しい時には”怒り”として糧にし、生き抜く力に変えた。そんな気がする。
ここまでの背景を、崎野萌さんは感じ取ったのだと思っている。
そうでなければ、あの目はできない。最前列で観たあの目。いつも優しさを感じるあの大きな瞳が、この作品では恐怖さえ感じる強さがあった。

このシリーズは、女性蔑視がテーマとしてあるのは分かっていた。しかし今回は、そこに性同一性障害が組み込まれてきた。
先述したとおり、昔からいたけれども、声を上げることができない時代が続いた。言えば「変な奴」と言われ、「男らしく」「女らしく」と言われた時代が続いた。
最近湧き上がった問題ではない。辛く苦しんできた人たちがいたのだ。
いつもながら、ストーリーの予備知識は入れずに観に行く。今回もほぼ入れずに観劇。
だからこそ、カオルの状況には驚いたし、難役をふでさんがやっているなあと思った。
今、書いていて、性同一性障害という言葉も不適切でないような気がしてきた。障害と言うにはあまりに哀しい。
敢えての表現をすれば、ついているかついていないかという身体的な特徴が心を決めるわけではないという事。見た目だけで男、女と区別する。生まれた瞬間、ついていたら男の子、ついていないから女の子と言われる。その時点で「性」を呼ばれる。
そして心が合っていても、ホルモンバランスがおかしいと、「男の身体」として「女の身体」として未熟なままになるということもある。

人と人との繋がりは、心と心のつながり。
心と心が繋がればいいじゃないか。それまで気の合う友達として、親友として、人間として良い関係を気づいていて、裸を見たら想像していなかったものが出てきた。だから「さよなら」するなら、それは本当のつながりではない。
カオルを見てそう感じた。
カオルは一生懸命生きている。きっといい先生だろう。でも戦争が、自分の心と身体の違いが、心に闇を落としたのかもしれないが、きっと人としては、付き合ったら楽しくて優しいのだと思う。そのカオルが、実は心は男なんだと言われたら・・受けいれられる気がする。
咲もそれを分かっていた。
「父親」「母親」ではなく、1人の人間として向き合ったからこそ、最後、関係を続けていこうと思ったはず。

劇中、咲の笑顔はほぼない。笑顔らしい笑顔ではないが、少し微笑んだのは一回だけ。
一方で涙も見せない。だからこそ、「こんな時、泣けたら楽になれるのかな」の一言が重い。この一言の発し方が絶妙だった。
汚い女たちを隠すみたいだという表現から一転、この台詞。
どちらも本音。咲の本音。
その直後の、4人で歌うシーン。そこで少しだけ、ほんの少しだけ、角度にもよっては見えないくらいわずかに、微笑んだ気がした。

咲はまるで感情がないかのように冷淡で、見せたとしても怒りに近いものだけ。
その姿は片翼で必死に飛ぼうとしているよりも、翼なんかもがれていないという虚勢を張っているようにさえ見える。でも一番は、片翼すらも自分でとり、自分には翼なんていらない。翼なんてなくても飛んでみせる。そんな強さを感じる。

やはり、崎野萌さんはこういう役が似合う。しっかりと作りこんできて、その役のバックボーンをしっかりと自分のものにして演じる。
今回、パートナーが関口ふでさんというのも大きかった気がする。疾走乙女でもこの2人のやりとりは好きだったが、この2人なら、どんな関係性の役でも演じてくれそうだし、相乗効果でより観る者をひきつけてくれる。

長い時間をかけて書いた感想だから、見直すのが怖い・・。おなじようなことを書いている気がしてしまう。敢えて今回は見直さないで行こう。

最後に。個人的な想いを。
崎野萌さんは、最近、グッと大人っぽく綺麗になったと感じていた。だからこそ、今回の役が見た目にもハマっていたと思う。
そしてこのコロナ禍で演劇界もダメージを受け、エンタメの根底が壊されそうになり、きっと辛い時期や想いを乗り越えたのではないかと思う。もっとも、これは崎野萌さんに限ったことではないのかもしれない。でも、特に感受性の強い人だと思うから、それは大変だった気がする。でもだからこそ得た強さがあり、それが今回の咲の強さにも現れたのではないか。そんな気さえしてしまう。
次は高校生役を演じる。高校生役として自分が見れるか不安だ。でも崎野萌さんのことだから、きっと高校生に見せてくれるだろう。
今、自分を取り巻く環境が大きく変わり、辛い日々が続いていて、今回も一回しか観劇できなかった。でもその一回でも、大きな力を、活力を貰った。
奇しくも、ウクライナ情勢で戦争が少し近く感じるようになった昨今。ウクライナではこれから、咲たちのような女性がうみだされてしまうのかもしれない。
そんなことも思いながら、生きる力を貰った。
他の役についても書こうと思っていたけど、やはり主役2人の印象が強く、この2人を中心に書いてしまった。
このメンバーでの座組、やっぱり凄い。次回作が楽しみで仕方がない。
それまでしっかり生きていこう。

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