「禅の響 -ZEN no OTO- | Epilogue」終焉からのはじまりの予感
一つの終焉
呼吸にもいつか終わりがあるように、生にも終わりが来ます。それはPrologueと類似しているようで、全く異なる状態。
目的や終着点を気にする人と私はよくお会いするのですけれど、その目的であったり終着点を絶えず考えている人には、その次のPrologueを感じられません。それはもしかしたら「個」という存在にこだわり過ぎているのかもしれません。例えば、「禅の響 ZEN no OTO」を聴いた方には、それぞれ既に何らかの「Prologue」が起きているわけで、なん