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フリーライティング#1 蓮人

ここ最近〈フリーライティング〉という手法を試してみたいと考えていた。

幼い頃からの性分は何かと思考を整理整頓しがちで、文章は硬くなりがち、会話もどもりがちだ。小説を書くようになってからは、ますます型や文法にとらわれてしまうようになった。〈冗長〉と〈表現〉は異なるということ。頭では分かっているのだが、誤読を恐れるあまり、ついつい〈記述〉してしまう。

何の気なしに「自分の文章を書けていない気がする」と、マイブームのChatGPTに相談してみたところ、幾つか挙げられた解決策の中に〈フリーライティング〉という単語が含まれていた。
方法は至って単純だ。①アイディアや思考を書き出す、②時間を決めて一気に、③テーマを決める(決めなくても良い)、④文法や誤字を気にしない、⑤推敲をしない。

今回、時間を5分、テーマなしで書いてみた。何度も何度も推敲する自分にとって、読むに堪えない文章が出来上がった。これを〈曝け出す〉ことに大きな意味があるとは思えないが、何か違う世界へと自分を連れて行ってくれるかもしれないと、淡い期待を抱きつつ、シリーズ化を試みようと思う。あくまで〈試みる〉だが。笑

【フリーライティング#1】
 2023/5/2 a.m. 5min.

ハート型の葉が茂る。柵に沿って一直線に並ぶツタ植物を目の前にして、上野の蓮池のことを思った。矢口れんと、元々は〈蓮人〉という筆名だった。求めていたのは、他者の癒しと、その反射で得られる自己の癒しであった。仏陀の瞑想法のようなもので精神の安定が計れることを理解したとき、僕は文芸に何を求めるようになったのだろうか? 癒しはもう必要がないのか。まだ愛別離苦を知らなかった頃に書いていたような、ファンタジー小説、楽しみと感興とを目指すことは決して悪いことではないのだが、それだけではダメなのだと、ダメなのだと……

おお、あまりに内省的すぎる懊悩。これ本当にシリーズ化できるのか?汗 まあ、やっていくうちに何か変わるかもしれない。
平素より公開していた〈書き殴っただけの雑文〉シリーズより、さらに断片的で偶然性に委ねた文章になりそうだ。加えて〈読者〉を想定していない。この作業の繰り返しで、うまく自分の殻を打ち破れればよいのだが、、、乞わないご期待。

#エッセイ #日記 #フリーライティング

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