フリーライティング#19 取り違え
【フリーライティング#19】
2023/7/26 p.m. 10 min.
文学賞をめぐるネット議論で出てきた「作為」という言葉について考えていた。至極消極的な意味で、つまり「作者の作為が見えると興醒めする」といった場面で用いられていたものだ。作者の作為はどういう時に透けて見えてしまうか。たとえば感動ポルノとか、ビックリお化け屋敷のように、期待される感情と実際に表出される感情とにズレが生じる時なんかはその好例と思われる。つまり称賛と慈愛とを履き違えたり、恐怖と驚愕を取り違えたりするケース。こんなもの作り手の怠惰でしかないが、集団心理や宣伝広告の効果と相まって簡単に騙されてしまったりもする。その作為が分かると、もはや興味すら持てなくなるにもかかわらず。
作品を作っているさなか「ここで読者をこういう感情にしてやろう」とか思うことがないわけではないが、そうやってると不思議と、他の場所との整合性や連続性が取れなくなってくる。プロットとはまた違う形で、破綻をきたしてしまうのだ。作為が成功するのなんて稀有な例なのかもしれない。
ご支援頂いたお気持ちの分、作品に昇華したいと思います!