エッセイ「詩と小説」1. #執筆観

詩という絵画をいくら重ね合わせても物語にはならない。詩の持つ、時間と空間の・主体と客体の伸縮性が、小説の時間的順序の中では、双方に悪影響を及ぼしてしまうからだと思う。
詩的な物語を書きたいと思った時、登場人物に詩的な散文を吟じさせて満足するか、筋に重きを置かず客観的事実が少なく抽象性の高い文章に挑戦するか、しかないのか?
と、ここまで書いて結局自分は詩的な物語ではなく、実は美的な物語を書きたいということに気付く。詩的と美的の混同は問題だ。

予定していた期間の2倍かかって、今日、中編小説を書き終えた。時間がかかった理由は表向きには『破綻』だったけど、その本質は美のために抽象性を高めたところにあって、物語として機能していなかった。

詩(詩と誤謬していたもの)を捨てるのには勇気が要った。自分が詩と呼んでいた美的なものが、雲散してしまうのではないかと危惧した。しかし今は小説なのだ、と言い聞かせ、時間的順序の制限の中で筋を書くことを徹底してみる。するとそれをしているうちに、自然と読者の顔が浮かぶ。自分も読者に加わる。もちろん彼らを意識していなかったはずはないのだが、次元が上がったかのように意識のレベルが変わった。それは読者の喜びそうなもの・求めていそうなものを書く感覚とも全く違う。

その結果出来上がったもの。そこには詩的なものの燃えかすが残っている。しかしそれ自体で詩と呼べるものだと思う。美だって自分の表現しうる範囲でそこにあって、雲散していない……と思う。

かけがえのない作品になった。
できることなら多くの人の目に触ること、それによってちゃんと完成してほしい。

#執筆 #小説

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