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何十年経っても変わらないコト、消えないモノ

自分と同じ誕生日の有名人は誰か。そんなことを子供の頃に調べてみた人はたくさんいるのではないだろうか。
かくいう私もそうで、子供の頃自分と同じ誕生日の有名人を調べたものだった。しかし、当時及川光博さんを知らない私は自分と同じ誕生日の有名人は見つからず、親に聞いたら国連(国際連合)が同じ誕生日だと教えられた。
ニューヨークに住んでいた私は、そこに本部をおく国連と同じ誕生日であることがとても誇らしく思えた。

さて、今はどうだろうか。
ロシアによるウクライナへの侵攻に関しても、ハマスとイスラエル軍の武力衝突に関しても、国連は残念ながら役割をさほど果たすこともなく国際的には役に立たない機関になりつつある。
「ハマス」というテロ集団を理由にハマスと無関係な民間人、特に子供たちまでを巻き込んで大量殺戮を行うイスラエル軍の姿を見ていると、なぜこのような状況になっても国連は何もできないんだと憤りともどかしさを感じる。

子供の頃に学び、得た国連の印象は国際社会の平和を維持する強固な機関であり、世界の秩序や均衡を保つ絶対的な存在だった。だから誇らしく思ったのだ。
でも今はその誇らしさは失いつつあり、むしろ「一体何のために存在しているのだろう」と悲しく考えてしまうほど。

国連の成り立ち

子供の頃、せっかくニューヨークに住んでいるのだからと母に連れられて国連本部を見学しに行ったことがある。
本部の中に入ると、エントランスには国連が設立された際に関わった国、つまり最初の加盟国の名前が記されたモニュメントだったか掲示物だったかがあるのだがそれを見た私は母に疑問を投げかけた。

「どうして日本は入っていないの?」

20年ほど前の日本はまだ国力も今よりあり、世界的にも良い印象を持たれる先進国だった。その頃の日本しか当然ながら知らない私はなんでそんな強い日本が国連創設のメンバーに入っていないのか疑問に思うのも当然だろう。
まだ小学校低学年で戦争のことを大して学んでいない私に、母は言った。

「日本は第二次世界大戦で負けた国だから、国連に最初は入れなかったんだよ」と。
ここから私は戦争について学び、アメリカのワシントンD.Cにあるスミソニアン博物館に展示されていたエノラ・ゲイやファットマンを目にし、日本に帰国した後は広島や長崎へ足を運ぶことになる。

第二次世界大戦後に創設された国際連合は戦勝国であるアメリカやイギリスを中心とし、敗戦国であるドイツ、イタリア、日本などは加盟を許されなかった。

常任・非常任の弊害

その後、日本を含む敗戦国も国連には加盟した。
しかし、第二次世界大戦が終わってからもうすぐ80年が経とうとしている今もこの戦勝国と敗戦国というわだかまりは残っていて、それが国連を機能させない弊害の大きな原因になっていると思う。
それが国連の安全保障理事会における常任理事国と非常任理事国という2種類の立場の存在だ。

非常任理事国は国連に加盟している全ての国が持ち回りで担当し、日本も順番が回ってくれば担当することもある。2年の任期を終えると非常任理事国はまた担当する国が変わるという仕組みだ。
それに対して常任理事国は国連創設時の国々が担っており、メンバーが変わることはない。国連創設時の国々=第二次世界大戦の戦勝国であるアメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの5カ国だ。

安全保障理事会で何かを可決する際、常任理事国の多数決で決める仕組みだが常任理事国のみ拒否権を持っており、どこか1ヶ国でも拒否権を行使すればたとえ大多数の理事国が賛成だったとしてもそれは可決されない。

ロシアによるウクライナ侵攻問題の際もウクライナを救済する法案やロシアへの制裁の法案はロシアが拒否権を行使して可決されずに終わってしまった。
そして直近だとパレスチナの民間人が大量に虐殺されていることを止めるためにイスラエル軍とハマスの軍事衝突も停戦の法案が出されたものの、これもまたイスラエルを支持しているアメリカの拒否権によって法案は可決されることはなかった。

しかしこのせいで、全く罪のない民間人がウクライナやパレスチナで次々と虐殺されているのだ。
常任理事国、そしてそれらの国が拒否権を持っている限り、おそらく将来も同じことが繰り返されその度に戦争に無関係な民間人・子供たちが命を落としていくことになるのだろう。

何年経っても残る傷跡

では、どうすれば国連はもう一度国際社会に役割を果たせるようになるのだろうか。
常任理事国と非常任理事国という枠組みを捨てて、全ての加盟国が平等にそして順番に理事国を担っていくのが一番合理的ではないかと個人的には思う。しかし、一度手に入れた権力はなかなか手放すことができないというもの。常任理事国がその立場をなくすことをOKすることはおそらくないだろう。
しかし、この枠組みがある限り、国連はきっとこの先も果たすべき役割を果たせないまま、ただ名前だけの機関になってしまうのではないだろうか。

そもそも、戦勝国・敗戦国という名前ではないものの実質その枠組みで仕分けされること自体に疑問を感じる。
もう終戦から80年近く経つというのに何故いまだにそんな分け方をするんだと批判したいが、戦争が残した爪痕というのはそれだけ何年経っても消えないのだということを残酷に表しているともいえる。

何年経てば、戦争の爪痕やわだかまりは消えるのだろう。
答えが出そうにない疑問だけが頭に浮かんだまま、消えない。

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