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読めない、つらい

あまり誰が書いたかわからないWEB投稿を間に受けない方が良いのだろうけど、毎日2〜3冊くらい読了してそうなペースで本を読んでいる人達の話を見ていて、この5年位自分があまりにも活字が読めない事に落ち込んでいた。
元々それほど本を読むタイプでもないし(記録を付けていた高校生の頃で年間50冊〜80冊程度だった)、物によっては1日1〜2冊読めなくもないけど、自分がそのペースで読める本の内容は相当に軽くて薄い物(タイトルの長い感じの新書みたいな)と想定され、そういう本を何冊読んでもあまり意味がないと思っていた。それこそTwitterに張り付いているのと、あまり変わらないのではないか。
研究者ともなると、学術系の入門書の新書を15分くらいの斜め読みで読了してしまうらしい。ただ、それはある程度その人の専門分野に関連のある本だからそのスピードで読めてしまう事もあると思う。特に内容をどう構成しているのかの確認、または新情報を拾うだけならそうなるだろう。
落ち着いて考えると、単なる本の量だけならそれほど気にしていなかった。量を読めるのにあまり身になってなさそうな人も珍しくない。

しかしながら、私は5年くらい前から、量どころか中身が読めなくなっていた。
読める時と読めない時はまだらで、あるいは書き手によって内容を頭に叩き込むのが本当に困難な事が増えた。例えば、堀茂樹訳のクリストフを読むのは楽なのだが、白水社のユルスナールの翻訳を理解しながら読むのに困難が伴うといった。ユルスナールも『源氏の君の最後の恋』のように、背景情報を概ね把握できている内容はすらすらと読めるし面白さもわかる。しかし『老絵師の行方』のように日頃縁のない文化圏の物語を頭の中で意識しながら読んでいくのがすごく大変だった。理解できればとても面白いと思うのに。流し読みで内容を頭に入れられないのだ。
特に、夏場はなじみのない物を読むのが本当に苦しい。これは今でもそうだ。

ただ5年前は私がそれまでの人生の中で最も疲れ切り、精神力を使い果たして 傷付き切っていた時期でもあるので、もう力があまり残っていないとも思っていた。休息して癒される時期だったのだと思う。

この1年くらいでやっと、色々読めるようになって来た。体調が優れないと、また頭を使って読むのが苦しくなるが、この一年で読める内容も増えて来た。
ただ同時に、興味のないものを読むのが、背伸びして物を読むのと同じくらい力を消耗する。大抵の漫画なら斜めにさっと読めるので、概要を把握する技術が足りないのかもしれない。これも読む筋力なのかな。もっと鍛えて、もっと色んな本を読みこなして、血肉にして活用出来るようになりたい。

あと、研究者の方々から、「本は必ず1冊全部読む必要はないからね」といった助言も頂いた。うん、それは得意分野が出来たら活用するよ。ひとつの事の入門レベルを突破するには、入門書5冊程度読み終えたら次の段階、と目安を聞いた事がある。いまのところ読む本読む本が入門なので困ったものなのだ。もう少しジャンルを絞った方がいいのだろうけど、今は自分が集中して読みたい対象を探しているというのが正確かも。

ゲーテ超好きなんだけど、色々当たると、おフランス文学の奇妙さキテレツさが好もしいかなあ。時々その異形さに耐えきれなくなるが。主にセクシャルに熱心な点で。枯れたらあんなの興味持ってやってけないよ。バタイユとか60代までああとかちょっと特殊だと思う。余談だが。



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