婚活むずかしい

 私の初婚年齢は38歳である。私は女性で相手は男性。ありふれたヘテロ婚だ。そして、結婚相手と知り合ったのは36歳の時だった。
 「35歳を過ぎると対男性での女性の成婚率は下がる」という話をインタ―ネットで耳にしたので、自分の成婚はめずらしいのか、だったら体験談として男性狙いの35歳以上の婚活女性に何某かの例を示す事が出来るかもしれない、と考えた。

 ところが、まず、私の周囲には初婚年齢が35歳以上の女性が珍しくない。「容姿端麗」「気遣いが上手」「家事が得意」など婚活市場で人気とされる要素の持主もその中にはいる。しかし、私のようないわゆる「凡庸」タイプも平気で成婚している。後で知ったが子連れで再婚を決めた人までいた。
 これは何が……、と婚活に関わる新書などを数冊読んだが、読んでいると私などに出来る事はなにもなさそうだった。
 私に出来る事といえば、自分の体験談から

・「ディープな趣味の場で知り合う」
・「見知らぬタイプと遭遇してもすぐに引かない」

の2点しか話せない。

しかし婚活本を読むと、35歳以上の婚活はこれに尽きるように思う。
世の中には私が語るよりも有益な婚活情報に溢れているが、これも何かの縁なので少し書くと。

ディープな趣味の場で知り合う

 これは狙ったというより振り返ると奏功していたポイントだった。
 諸事情によりそれまで新しい人間関係を築けなかったので、その時期の私は堰を切ったがごとく興味ある集まりにがんがん参加した。そこで積極的に人と知り合った。
 結果的にだが、私の場合はライト趣味というよりディープ趣味が好みの傾向だったので、余計に婚活に繋がりやすかったのだと思う。
 私は元来恋愛が得意なタイプではない。恋愛対象であるところの異性と新しく知り合って、デートをして、が、楽しめない。恋愛好きな女性から話を聞くと、彼女たちはデートそのものが楽しいらしい。駆け引きも楽しくてならないらしい。そして、ストライクゾーンがとても広い。相手が誰でもデートとなると楽しめるようだ。私はそうではない。私は異性も同性も一定以上興味と好意を持たないと一緒にいても楽しめない。わがままなのだ。
 そんな私の恋愛のきっかけには、とにかく自分の興味の対象を同じように好きであったり詳しかったりする特徴が不可欠だった。
 具体的にいうと私が夫と知り合ったのは読書会だった。
 ここで、「ライトな趣味」を村上春樹を読むことだとしよう。村上春樹作品にもディープなファンは当然いるが、読者層がともかく幅広い人気作家なので一冊だけをとても好き、一回読んで好きになった、など、ファン層の深度も広いのだ。また、村上春樹の作品は日頃読書を趣味としない人も楽しめるものもある。そしてそういう人は、おそらく村上春樹以外にもっと好きなものがあるだろう。そういう人と村上春樹作品を軸に親しくなるのは、私には難しい。
 私が参加したのは安部公房の読書会だった。この名前だけで知らない人は全く知らないと思う。代表は『砂の女』、『箱男』。作風はいわゆる「シュルレアリスム」の流れの中にあるとされる。三島由紀夫と同年だったり、ノーベル文学賞候補として有力視されていたり、華々しい経歴の大作家なのだが現代でこの人を知っている人の方が珍しいと思う。
 参加した理由は、安部公房読者にとってごく身近なものだ。未知の作家に出会って代表作から手を付ける事は珍しくないだろう。私もその類いで、『砂の女』で安部に出会った。面白くて次の作品に手を伸ばすが、それが『箱男』。同氏の作品の中でも難解さで知られる氏の文学の最高峰作品だ。私は挫折した。しかし、そんな難解な安部公房を読む人達がいるという。私は恐る恐る参加した──。
 そういう経緯である。

 もしかしたら「なんだ結局特殊な趣味の持主ではないか」と思われるかも知れない。そんなことはない、と、言いたい。どちらかというと、重要なのは相手の話を興味を持って聞く姿勢だと思う。私は自分の好きな事に関しては、相手の話をじっと聞くのがかなり好きだった。自分が喋れなくても相手が演説してるだけで楽しかった。私には結局、安部公房読書会の文芸猛者とまともに語り合うだけの知識はない。でも、相手の話を喜んで聞けば話すのが楽しいという人はいる。
 自分が喋らないと気の済まない人には難しいパターンかも知れない。しかし、私の観測範囲だけど喋るのが好きな人は自分から好きなタイプにアプローチ出来るので大丈夫です。自分にとって得意な方法で知り合って仲良くなる方が気の合う人に会いやすいと思う。
 ともかく、ここで繋がると条件よりも相手の人柄そのものが好もしくて交際に発展しやすいはずだ。婚活はその目的の性質上、条件で相手を絞り込む出会いになりやすい。そして、それは「見知らぬ35歳の女性」という情報でアピールするより、相手と心と心が繋がれる。おそらく、夫とも婚活で履歴書交換という形で知り合っていたら、お互いに何の興味も持たなかっただろう。

見知らぬタイプと遭遇してもすぐに引かない

 大事なポイント、だと思う。
 自分は35歳過ぎまで独身だったが、他人の配偶者を見て「いい旦那さんを捕まえたな」と思う事は少なくない。そして、その「いい旦那さん」が、いわゆる一般的な人気条件とされる「容姿端麗」「高学歴」「高収入」「話の楽しい人」の揃った人とは限らない。「でもこんなにいいところがあるなら、家庭は幸せだろうな」と思う人が私には多かった。
 これは人によっては「あの子の旦那さんは特に羨ましくない」「もっといい人を見付けたい」「普通じゃ満足できない」と思う事もあるかも知れない。そういう人は、ちょっと「自分から声を掛ける」「自分から誘う」を試してもらいたい。
 経験上、自分に関心のない人より、自分に関心を向けてくれる人と親しくなる方が私は簡単だった。ぶちまけると、私が選んだのは、「私を憎からず思ってくれる人を探す事」と、「憎からず思ってくれる人と積極的に仲良くなる事」だった。
 というか、私は自分に関心を持たない人を延々追いかける根性がなかった。そういう合わせて自分を変えようとする気もなかった。「自分を変える」は、20代の内に挑戦しては変われず、また変わる必要もないという結果を得たのが30代だったからして。もったいなく感じる事もあるかもしれないけど、気の合わない人とはうまく行かない。私はここをすっぱり諦めた。

 そして私の観測範囲上、例えばとても容姿に恵まれているとして、その人が容姿だけでモテまくるかというとそれは日本ではほぼあり得ない。女性扱いの上手い男(ただし自分の好きなタイプに限る。※上級者は必要とあらばまるで好みでない女性でも姫扱いします)なら果敢にも美人にアプローチを行いますけども、そうでない大多数の日本男児は脳内で美人に思いを寄せてるだけで基本的に何もしません。(私調べ)
 よくモテる美人は、容姿+人当たりの良さ。これです。モテる美人は自分が好意を持った相手あるいは好意すら抱かなくても近くにいる人全員に基本的に粉を掛けます。愛想良く親しくなりたいという意図を示す。私はモテるか否かは結局ここではないかと思っています。むちゃくちゃモテる美女で好感度の低い人を見たことがない。美人であんまりモテない人は自分から人に話し掛けたりしない。
 
 余談だが「モテる女」を演じるのは疲れる。「私もモテてみたい」と切望した時にモテる女性を観察したが、要は半端ない気遣いの連続の日常だ。モテるとは他人に快適な状況の提供、他人が気持ちよくなり幸せになる状況の提供。それを自然にやれてストレスにならない人は良いが、人に合わせるのがストレスで堪らない心の狭い私のような人間には到底耐えられない。
 もうひとつ思うのが、モテたところで自分をちやほやしてくれる男が自分にとって快適な存在かというとそれはまた別の問題、という苦痛。私は自分に快適を提供してくれる男性複数にモテるのは実現不可能なんだが(そういう人は、何もかも揃った完璧な女性を理想とするものです)、多くの男性の「良かれと思って」の気遣いが悉く、「それは困る」になりがちなのはモテない男性と接した事のある女性には身の覚えがあると思う。
 この無数の「好意だとわかってるけど受け入れるのツラい」と引き換えにモテる事がそんなに幸せかというと、苦労の方が多く感じてしまう。こういうのモテる同士でやっとけばいいのだ。私には私の幸せがあるよ、などと思った。

 さて、そういう訳で、無理せずに「私を悪く思わない人」にターゲットを絞ることは、割と効率がいい。その中から、自分の好きな相手を選べばよいのだ。

 しかし多くの人は「私を好きになる人に、こっちが好きになれる相手がいない」と仰る。まあ待て。ここで必要になって来るのが「これだけは」という3つの条件である。ここは、私が密かに敬愛し私淑する「妖怪男ウォッチ」のぱぷりこさんのブログや書籍をご参照頂きたい。氏の文献を参考とすると「結婚相手に求める条件は3つまで絞らないと成婚率が下がる」そうだ。
 私は「正社員」「私のオタ活動が許容可能」「モラハラをしない(マウンティングしてこない)」の3つだった。それ故に、私の夫は非モテを自称する恋愛と縁のないタイプだったが、関わってみると気のとても優しいいい人だった。
 
 しかしそんな夫だが、私にも「これ以上親しくなれないかもしれない」と思った出来事があった。ある時、私は夫含め複数人と人気レストランに食事に行った。その帰り道、夫と私と二人になった際、夫は何故か自分が遠回りしてまで私の帰り道に合わせてくれたのだ。これが私には意味不明だった。夫にはずっと内緒にしてたが当時意味がわからなくて不気味だった。何故この人は私と同じ方向に付いて来るのか。たった一言「近くまで送ります」と言ってくれれば「そうですかどうもご親切に」と思って済んだところだが、夫は「私もそっちから帰ります」と言ったきりずっとスマホを見ているのだ。
 後で夫に聞いたところ、夫はこの頃、私を特に好きという訳でもなかったらしい。
 私はますます意味がわからなかった。もうこれで関わらないでおこう、とすら、思った。こちらにとって意味不明な行動はそのくらいの威力がある。
 
 ただ、そこで関係を断ったら良くないような気がしたのだ。その意味不明以外は今のところ困る要素はない人だ。まして、趣味も近くて博識な人だ。気を取り直して、私はまた一緒に遊んでみる事にした。
 結果それがあったから、その後、夫の人柄に改めて関わり、「よくわからないところもあるが、この人は根本的なところで人間が出来ている」と理解するに至った。

 体験から言える事は、「少し我慢」。「無理」と思っても、もう少しだけ様子を見る。
 
 異性、そして他人の事は、わかるようでなかなかわからない。まして結婚して長らく一緒にいるなら、よく相手を見つめるのも良い。

 というわけで、私に言えることは以上だ。
 これを読んで「私には役に立たない」と思われたら、結婚相談所なり婚活コンサルタントなり、個別に相談に乗ってくれる人の方が向いてると思う。私は「自分から話し掛けられない」というタイプの気持ちがわからない。でも、35歳以上の婚活女性が「話し掛けられないけど、なんとか結婚した」という悩みを解消するアドバイスを持たない。

 実は、この話題を膨らませて、新書一冊分くらいのネタに出来ないかと考えていた。
 いらん、と、いまは思う。
 私自身、結果的には婚活に大した苦労はなかった。婚約してた人と別れて一年以内に新しい人見つけてしまったし。途中難度が変なこともあったけど、諸事情によりそれらは婚活女性が遭遇するトラブルとしても珍しすぎる。ぶっちゃけると精神を病んだ人と次々親しくなったのだけど、あまりそういう例はないと思う。そして、精神を病んでる人も気の毒なので、あまり「アイタタ話」として扱いたくない。迷惑を被ったし、二度とかかわりたくないが、彼らも彼らの周囲の人も心を病むことに辛い思いをしているのだ。そして私は、「お見合いもしてなければ、婚活らしい婚活もしていないのだ。
 そして、やっぱり私にとって「これはすごい」と思うアドバイスが溢れる婚活恋愛のライターの記事を読むと、その方々のアドバイス以上のことを私に出来る気がしない。私自身がいまも過去の失敗を反省するためにその方々の記事を愛読している状態だ。

 婚活話は、正直言って疲れた。
 エゴのぶつかり合いなんだもの。ああだこうだ条件がうるさくて、そして条件に合わない他人への容赦のない攻撃や、不寛容な態度。目的が目的なので仕方ない面はあるんだが、それを考え続けつつ心安らかに生きるのが私には無理だった。これ以上この話題を掘り下げても、私自身も幸せな気持ちになることがなければ、私がひねり出す何かを読んで幸せな気持ちになる人も出ない、という確信した。また、私に語れる事は、すでに多くの恋愛/婚活ライターにとって常識に近い内容だ。私には新しい情報もない。
 そんなわけで、しらばらく温めた婚活ネタだが、ここに持てるものを吐き出して一旦終了とする。

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