困った。何も書きたくない。

 会社員業が忙しくなり、副業のライターやってる余裕がなくなった。こんなことは不器用な私には割としょっちゅうだ。
 そして取材現場から離れると、どんどんライター自体もやりたくなくなる。
 非常になめた悩みではあるんだが、これは案外「書くことが好き」でライターになった人のあるあるエアポケットではないかと思うので、体験談として書く。

1.記事よりも記事外の仕事の方が役に立ってる

 インタビューで対象の話を聞くのは面白い。何しろ相手は現場を生きている。試行錯誤をしている。商売を続けている。一生懸命知恵を絞り工夫の限りを尽くす人の話を聞くのはそれは面白い。
 さて。それはいいけど、その先に何があるか考えると少し空しくなるのだ。
 私の取材対象は飲食業の従事者だ。勿論大事な事を扱う人々だ。しかし彼らが抱く問題意識や、彼らの生み出した良い商品をユーザーに伝え届けるには、記事だけでは足りなかったりする。
 例えばとあるパン屋さんが体に良くて環境にも優しくておいしいパンを安価で作り、従業員にも良いようなビジネスモデルを成立させているとする。しかしまだあまり知られていないので、地元の人しか知らない。そのパン屋さんは商才もあり、自分の店の製造を工業化してチェーン展開もしたいと考えているとする。こんなときにライターの出来る事は、そのお店の存在をユーザーに知ってもらえるような記事を書くこと。そうなんだが、これ、この人が成功するためにのキーパーソンになりえる人物を紹介出来たりしたら、記事より遥かにそっちがそのパン屋さんの役に立つ。ライターは取材の過程で色んな人を見知るので、こういう仕事(業務外であり、次の取材のためのネタ作りでもあるが)もやるようになる。
 そのうち主客が転倒する。ライターのはずなのに、人を繋ぐことの方が役立つのだ、と感じるようになる。これで記事から実感する記事のインパクトの方が強かったら、ライターは楽しい、と思うだろう。しかし今時プチメディア(矛盾的言い方)化した蛸壺な各媒体と各読者に記事を投げて、それが大きなインパクトになるような記事が書けるライターにはなかなかなれない。
 やがて、人脈を確保するために記事を書いてるような気持になる。これはしょぼい泡沫ライターである私の末路なのかもしれないが、こうなってはもういっそ看板を下ろしたい。私の本業はライターを隠れ蓑にした人繋ぎなのだ。
 基本は、その取材対象(例えばパン屋さん)に惚れ込むから、成功してほしいと思う。夢を抱くようになる。でも、記事の影響力の低さを実感しているとやってられなくなってくるのだ。

2.そんなに好きか

 しかし仕事として他人のビジネスの成功を見守るのは楽しい事だ。人を繋いでそれで応援している相手がどんどんビッグになってくれたらそれも満足だ。
 でも、所詮私は大した事をしていない。記事の影響力は低く、人と人を繋いでもそれは本当に微力でしかないのだ。微力と微力より更に力のない記事。この仕事楽しいか? 記事以上に楽しいか? 繋ぎって。
 で、繋ぎの方が仕事らしいなら、もうこれ会社員として営業マンにでもなった方が良くないか。何故ライターというコスパの悪い環境で働く意味があるの。
 そう問い出すと、「実は私は取材対象がそれほど好きではない」という事に気付く。
 それほど好きではない。
 記事の影響力より別の仕事の方が喜ばれる。
 対象が好きならそれだけで幸せも得られるだろうけどこれもう、やりたくなくなりますよ。

3.というか何で副業になったんだっけ私

 自分がライターを副業にした経緯を振り返ると、「嫌な仕事をしたくなかったから」。これもまたなめた理由ではあるんだけども、私は会社員記者だった頃に、記事の値打ちを上司から認めてもらったことがない。社長は記事など誰でも書けると思っていたし、仕入れ値の掛からない記事制作を無料提供サービスだとも思っていた。社長だったら社員の記事の価格はふっかけてぼったくって来いと脳内が逆噴射した記憶がある。
 しかしその社長はまだまだましな方でもっと辛かったのは、とにかく金のために何でも引き受けた時期である。若い頃そういう事が必要なのはわかるし、若くなくても金がないときはやって生き延びるしかない。しかし実際困窮して低品質の仕事を引き受け続けるとメンタルが死ぬ。どんどん卑屈になるし「私はもうだめなのかもわからん」という不安もやって来る。この落ち込みにはまると心だけでも復活するのがまた難しいのだ。
 そんなだったら金に困る状態でライターやる事ないじゃないか、と思った。
 そして副業の発想である。

4.まあ記事仕事もやれば楽しい訳だけど

 何かの専門家で著書を出す人がいる。そういう人に原稿依頼すると「私は研究者であって作家じゃないし」と断られる事がある。そう。専門家は他に本業があって、その専門家であるが故に本を書くわけだよ。
 むしろこれでは。私がやりたかったことはこれでは。
 しかし、私は何の専門家でもない。会社員勤めしている仕事は一般職なので、これという専門性もない。正直、非専門家でライターを長く続けるのは私にとっては心もとない事だった。
 やっぱり「これをずっとやっていたい」という対象を見つける事が先ではないか。そんなふうに今は考えている。

5.しかし勉強が苦手だ

 私は学校の成績の悪い子だった。やりたい教科しか勉強しないし、苦手科目を克服する前に劣等感で崩れるタイプだ。こういう人は興味の湧かないものを「収入のため」に行う事に苦痛を感じる。とてつもない倦怠感を覚える。故に人生を誤りやすい。
 それほど楽しくない事、に耐性があったらな。私ももう少し、興味の強弱より攻略しやすい対象を見つけて経済的な安定収入に楽しみを見いだせたのではないか。

 しかし楽しくないと心が死ぬのだ。私はそういう個体なので、もうハイリスクローリターンのしょぼい人生を生きていくしかない。

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