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あんなこんなコロナ記:#つらい

混ざってしまえば一緒?

 「夏も帰省しない」とアンチGOTO宣言をしていた人が、お盆休み明けに地方都市の土産を配布していた。行ったんか。いや各人それぞれの事情はあるものだから、いいんだけど。
 詳しく聞いてはいないが、なんとなく、コロナ感染が東京から全国に広まって、そして有耶無耶になって来た気がします。広がる前は東京めちゃ嫌われたけど、広がったら「お互い様」「同じ」感が。
 日本人としてはこれがちょっと怖い。染まっていないうちは「染めるやつは悪」扱いだけど、概ね染まってくると「染まってないやつを染めろ」に転換する。この割合、半分だろうか? 過半数超えで感覚は変わるのだろうか。
 私思うに、相手を責めていた立場が逆転すると「いや染まって当たり前」「染まっても大したことない」みたいに思考の転換が起こってるように思う。これは自己正当化であり、反省出来ない態度に通じているのではないだろうか。
 自分が日本人だから気に掛かって仕方ないのだが、「嫌ってごめん」「いまからでも一緒に染まるの止めよう」「みんなで頑張って染まったところも回復させようね」とならない展開にピリピリ来てしまう。何故和解がないまま、全員で染めを広げる事を肯定する側になって行くのか。

なんだかんだ連絡取る機会は必要

 旧友と久しぶりにメッセージのやり取りをした。
 しばらくやり取りをしていなかったので、コロナ禍後の近況を伝えたり聞いたり出来て幸いだった。本当はどうしてるか気になってはいたけど、あちらも忙しいだろうし、こちらが連絡することが、ちゃんと相手を思いりたい気持ちで出来ているだろうかというのがやや不安になる。気にし過ぎかもしれないが、友情や配慮でなくただの好奇心の対象になってしまっていないか気になる。
 今回連絡を取ったのは別の要件だったけど、その要件が偶然発生したお陰で、「どうしてた? 大丈夫だった?」という話が自然に出来てよかったなあ、と。
 どうもそういう何気ない励ましとか、「気にしてるよ」「あなたを大事だと思ってるよ」という気持ちを伝えたい行動が下手でお恥ずかしい。コロナ終わったらまた直接会って遊びたいよ、という気持ちも伝えた。嬉しかった。

インスタライブで研究書解説?!

 無料ですよ、すごいよね。
 これまで、会場費や交通費だけでも経費は絶対掛かっていたので、一般向け企画の参加無料の実現はなかなか難しかったのでは?(いや詳しく知らないですが。研究会だと参加無料のやつ結構あるから)

 かなり昔の知識だけど、そもそもインターネットの開発時期には「全世界で共通の情報を共有できる」ということがものすごい画期的だったわけで。そこには(大前提としてどうしても軍事利用がいちばん力入れてるわけだけど)教育の平等の理念もあったはずなんだよ。
 でも、なかなか教育とインターネットって学校や大学の外では活用されていなかったと思う。でも、コロナ禍という対面を強制停止させられる事態に至って出現するわけですね。インスタライブが。YouTuber超えてインスタグラマーですよ。
 ただ、これもおそらくは専門の先生方の個人的な善意や厚意に支えられて実現していて、公的な支援が気軽に得られるわけでもないという感じなのがなんとも……。

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