「本に救われる」続き

 私が「本に救われる」に至るまで──を書いておく。
 「本に救われる」には、その本の内容を大事なものだと実感し食い入るように読み、更には実践できるようになるまでの環境づくりが必要だという話だ。

 私という個体は基本的な調理を習得する気になるまでに凡そ30年間を必要とした。習得を避けた理由は、私においては、
・教師の役である母親が怒る人で、私は怒られるとやらなくなる人間である。
・やりたくないと徹底的にやらないのが私であり、母はそんな私を説得する根気を特に持ってはいなかった。
・母親以外の私の周囲の人間は私に対し「調理を習得するべし」と思わなければ指導もしない
・味覚の未発達
・私という個体は人付き合いが下手で苦手意識も強い事

などになる。

 もしも私が
・怒られても調理をやりたがるタイプ
・怒られても一般教養を積むことに熱心な人物
・天才的味覚の持主
・人づきあいが得意

 という個体であれば、おそらく小学生の頃から隙あらば調理しようと試み、両親を説得して調理機会を獲得し、せっせと調理の練習をしたはずである。
 さて、では上記をすべて満たす人は日本の人口のどのくらいいるだろうか。調べてないが少ないと思う。では、まったくの印象において上記の中で最も多くの人に当てはまるネック要素は何か。

・人付き合いが下手

これではないだろうか。
人付き合いの下手な人はコミュニティに入って行けない。入ってもそこで自分の居場所を確保出来ない。本人の持つ性質を良い方向に伸ばす人と知り合う機会が極端に少ない。せっかく会っても関われない。

 人付き合いの下手な人は、極端に言えば最悪人知れず不幸を噛み締めて人知れず死んで行く。
料理好きで料理への好奇心を掻き立ててくれる人と知り合えない。親しくなれない。

 政治に頼る事無く市民で何か出来るとしたら、これではないかと思う。
 つまり共同体の創造。人付き合いの下手な人もその人を肯定してくれる何かに出会い、そしてそこで自分自身を欠点だらけでありそして尊い存在なのだと自己肯定出来るようになること。

 これについて私の答えられる回答は「教会」以外にない。
 もっと良いものを思いつく人はそちらで戦ったらよい。私ならば教会しか思いつかない。人を受け入れる教会に行って、受け入れられ、そして自分の欠点を見つめ直して克服を試みながら様々なものに興味を持ち、そして様々なものへの興味を誰かに理解され、自信を持ち、自分の興味の向かうものへ次々と取り組んで行ってくれたら。その時にこそ、本だと私は思っている。

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