ニワトリの背中
確か小学2年生の時だったと思う。
忘れられないエピソードがある。
授業の中で、飼育小屋のニワトリの写生をした事があった。
(ニワトリというかチャボだけど、チャボの認知度は低そうなのでここではニワトリで行きますね)
飼育小屋の前には、子どもたちがニワトリと触れ合えるように、柵で囲まれたスペースがそこそこ広くとってあった。その中に放たれたニワトリを観察しながら画用紙に描きおこす、という授業。
ニワトリは子どもたちに追いかけ回されるので、鳴き声を上げながらあちこちに散らばり、時に羽をバタつかせ、大変迷惑そうであった。
夢中でニワトリを描いていると、あっと言う間に時間が過ぎた。
「そろそろ終わりにしましょう。」
と、先生が言った。
私は、教室での授業はあんなに長く感じるのに、どうしてこういう楽しい授業はすぐに終わってしまうのだろう、と思った。
先生がみんなの絵を見て回る。先生が何かを感じた時には、その絵をみんなに見せてコメントしていた。
私のところに先生が来た。
先生は私の絵をジッと見てから、私に一言
「れんさんは、真上からみたニワトリを描いたのですね。」
と言った。
その時初めて気がついた。クラスのみんなが描いた絵は、ニワトリを真横から見たアングル。例えば、画用紙の左側にくちばしがきて、頭があって、身体があって、その下に足がある、これぞニワトリという絵だった。画用紙の中に何羽描くかの違いこそあれ、ほとんどの子がそういう絵を描いていた。
それに対して私は、ずっと柵の中を逃げ回るニワトリを追いかけながら描いていたので、立っている自分の目線から見えるニワトリの頭の上から背中までの姿を俯瞰で描いていた。
えっ。みんな、横向きのニワトリを描いたんだ。ん?その位置見えなくない?
地面に這いつくばらないと、そのアングルにはならないよ…。
とか思ったけど、やっぱりみんながそう描いているから、ニワトリっていうのはそういう風に描くものであって、私の絵は変だったんだぁ。間違えた。ヤバい。恥ずかしいぃと思った。
先生はあろうことか私の絵をみんなに見せた。
「みなさん、見てください。れんさんは、真上から見たニワトリを描きましたよ。」
ひゃ〜!やめてください〜。
と思ったが、先生のその言い方は、物腰は、決して私の絵を否定するものではなく、むしろ肯定する態度だった。
クラスのみんなは割とキョトンとしていたけど。
そうしてその授業は終わった。
自分が描いた絵は、明らかに個性的だったけど、先生はニワトリの背中を描いた私を否定せず、むしろありのまま受け入れ、興味を持ってくれた。
こんな風に子どもの頃に大人から自分を肯定してもらう経験は大きい。
思えば、両親や先生、知り合いのおじさんおばさんなど、私の周りにはそんな大人が多かった。すごく恵まれていたと、今になって思う。
大人から自分を肯定してもらえると、「自分は自分。それでいいんだ。」という健全な自信が身につく。子ども時代にその軸がしっかり出来上がっている事ってその後の人生でとても重要になってくる気がする。
あの時、先生に私の絵を否定されたら、どう感じていたかと今でも時々考える。
それと同時に、私も人をそのままで認めることのできる人間になろう、と決心する。
最後に…
先生、あの時はありがとうございました。
ところで先生のお名前を忘れてしまいました。どうしても思い出せなくて、すみません。
これが言いたいことでした。
また書きます。
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