普通に生きたかった、とかいう話。
普通に生きたかった、というと、母と口論になる。
あなたは自分で全部諦めているから、とか、病気でも頑張ってる人はいる、とか、出来る範囲で出来ることを頑張ればいいじゃない、とか、そんなクソみたいなことばっかり言うから、腹が立って話したくもなくなる。
母は知らない。
精神病ってものになったことがないから、わからない。私がそういう病気だとわかってからも、一切、その手の病気について学ぼうとか、知ろうとかしなかったから、わからない。
発作のときどんなふうになるのか、実体験としてはもちろん、体験談としても聞いてくれない。こんなふうになるんだよ、と説明しても、すぐに忘れる。忘れるのか、聞かなかったことにするのか、それはわからないけど。
だからずっと平行線をたどったまま、生きている。
先日、不整脈(一応、診断では上室性頻脈なんとかだったけど、実際にカテーテル入れて調べたら違うところだったようなので、よくわからないけど、不整脈)で入院手術した際は、わかりやすかった。
わかりやすく病気で、わかりやすく治療で、わかりやすく治るのなら、誰でも理解しやすいのだ。
でも、精神病は見えないから。
患部をビビっと焼いて治すわけにもいかないし、癌細胞みたいに切り取るわけにもいかないから。
いっそのこと大昔みたいに、脳の一部を切り取ったら完治しますよ、なんていう神話を信じてるうちが幸せだったんじゃないか、って思える。そうして脳を切り取られて廃人になっても、それはそれで幸せだったんじゃないかって思える。
どうして、希望を持ちなさい、みたいなこと言えるんだろう。
私はずっと、引きこもる前からずっと、8歳のときからずっと、コレと付き合ってきたのに。
理由はわからないけど何も食べられない、そうなったときから、私はただただ、普通に生きること、普通の人、大多数の人と同じように生きることを目標に頑張った、けど、結局ドロップアウトした。落ちこぼれた。
そんな私に、希望を持ちなさい、出来る範囲で頑張りなさい、とか、よく言える。
今まで頑張ってきたけど、結果がコレだよ。今のこの状態だよ。
これ以上頑張って何があるっていうんだろう。
この先の未来に。
私は、この先もずっとこの病気と付き合って生きていくんだろうと思う。
薬がなければ発作が起きる。薬がなければ不安で外にも出られない。薬を飲んでも不安で外でご飯を食べることが出来ない。前もっての約束のためには、一週間も前から心の準備をして身体の状態を最善に整えておかなければならない。突然「今から遊ぼ」って誘われても困る。
まともに働くことすら出来ない。
能があっても爪がない。
大学のときの恩師にたびたび呼び出されては話をするのだけど、「助手的なことをしてみないか」と言われた。「それって仕事になります?」と聞いたら、「ならない」と言われた。
ソウダヨネーって思ってお断りした。
だけど恩師も、病院の先生も、カウンセラーの先生も、「あなたはもっとたくさんの人と接して世界を広げなければ」と言う。
広げてどうするんだろう、と思う。
広げた先に待っているものは、そこに生きる人たちに対する憧憬だけじゃないのかな。憧憬、そして希望、後の絶望。
希望を持つことがどれほど危険であるか、私は知ってる。希望を持ってしまうから、絶望することになる。絶望が重なれば、死んでしまう。
死んでも別にいいけど、自分で自分を殺すことはわりと難しい。
心の状態、周囲の状況、自分を殺す勇気、そういったものがガッチリ重なり合わないと、自殺は難しい。
死ねないまま絶望が重なっていくのは、辛い。
だから本当は外に出たくない。
外に出たら、私は、普通に働いて普通に生きている人たちを羨んでしまう。普通に恋愛して普通に結婚して普通に子供を産んで普通に育てて普通に働いて普通に生きている人たちを、羨ましいと思ってしまう。
休日のスーパーで見かける家族連れ、赤ちゃんを抱っこしてもうひとり小さな子の手を引いたお母さん、私よりもずっとずっと若いお母さん。
そういう人たちが羨ましくて、死にたくなる。
だけどそれを、理解されない。
私はわりと何でも出来るけど、何も出来ない。
何も出来ない。
何でも出来るけど何も出来ない、という事実に、ときどき打ちのめされる。
ただ、普通に生きたかった。
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