山は逃げるし、海も川も逃げる
少し前、山と溪谷社の雑誌を読んでいて、角幡唯介さんが、
「山は逃げる」
とコラムを書いていて、それが今でもとても心に残っている。
なぜ山は逃げる?角幡唯介さんがおっしゃっていたこと
それは、自分自身、行きたい山が変わってしまうという事。
昔は、「いつかあのアルプスに登りたい」と思っていたのが、今では、数日空きスケジュールがあるなら犬ぞりをしたいと思うようになって、(おレベルがちがう・・・。)あの時、後で登ろうと思った山に登らず仕舞いである、といった文脈が印象に残った。
わたしも、僭越ながら、その感覚がわかる。
登山にハマった直後、同時期にハマった友人と奥多摩の高水三山に行こう!とワクワク計画していたのに、わたし、コロナにかかって行けなくなった。
友人はソロ登山をした。あれ以来、わたしは高水三山に登っていないし、よっぽどじゃないとじゃあ行こうかな、という気分にもならない。
友人曰く、別に行かなくてもいい感じの普通の低山だよと言っていたのだが、かといって、そうするとわたしは死ぬまでその山にもう登ることはないのだな、となんだかな、、、と思う。
海も逃げる。サーファー女性がつぶやいた一言
2、3年前、千葉の海で20代くらいのサーフィン中の女の子が、足に軽いケガをした。
わたしは近くにいたので、その子と一緒にケガの手当のために急いで海からあがるように促した。
ケガ自体は、足の裏をパックリ切ってはいるものの、大慌てするようなものではなく、ただわたしもその子もサーフィン初心者なので、少しのケガであっても上がったほうがいいとわたしは判断した。(重大事故につながるからね)
その子は、2時間運転してやっと来て、入って30分もしないうちにケガをしたので、ここで帰るわけにはいかない!と強い情熱を見せていた。
わたしはその子に、でも海は逃げないから、となだめる。すると、その子は、
「でも、でも!海岸は侵食されているから、海は逃げるかも・・・!」
かわいかった・・・。
今考えても、本気でそれを心配して言ったわけじゃないと思うけど、心に残ってる。
ただ、そのかわいい子がいたビーチに最近はわたしは行っていない。
波が高くてパワーが強すぎるので、自分に合ってないと感じるからだ。
そういう意味でも海はどんどん逃げていく。
川の逃げ方
子どもの頃、毎年夏は実家近くの川に飛び込んで遊んでいた。
今、その川は土石流のために飛び込めるような深い箇所が消滅している。
そして今都内に住んでいるが、海以上に川(とりわけ美しくて深い川)へのアクセスが微妙で、一緒に行ってくれる人も見当たらず、遠い存在になってしまった。
言うのは簡単
後悔しない時間の過ごし方をしよう、とか、やりたい事はすぐにやろう、とか言うのは簡単である。
でも、長く生きてるとそんなの綺麗事であって、そうならない事情ってものが個々にあるとわかってくる。
やりたいと思ったら、ある程度やって、逃げられたなら、まあ自分には縁がなかった事だとか、自分はこういう事情のためにやらなかったんだ、と納得することが、幸せに心穏やかに生きていくコツではないだろうか。
全部、完璧にできるわけでもないし、そんな事にとらわれる必要もないと思う。
たとえ山や海や川に逃げられたとしても、次の波は必ずやってくるというのも、また事実なのだ。
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