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【更新中】第七章 完成することがない言葉(3)

 

 ホテルのバスタブは広くて、二人でも入れるサイズだった。スイートルームで、二人向けの宿泊券だっただけに、色とりどりの花が浮かべられていた。

「綺麗だね、とても可愛い」


「レモーノは、本当に大変な人生を歩んできたんだ」
「簡単ではなかった」

 

「君のことで、ずっと不思議なことがあるんだ。でも、レモーノが説明できるかわからない」
「何? 全部聞いていい」
「なんで、僕のこと怒らないの? レモーノより、ずっと簡単な人生を送ってるのに、甘えん坊っていうか、人に頼ってばかりというか、自立してないというか、できないことばかりで……怠けてる人に見えないの? 腹立たない?」


「できないことがある人や頼ってばかりの人を、なぜボクは怒らないのかと聞いている?」
「うん……」

 

「短く言うと、その必要がない。なぜ怒るのかわからない。できないことを怒っても、できることにはならない。周りが頼れる人にもならない。できない人は、まず、できる人を頼ることを覚えるが大切と思う。何ができないのか、言えること?」

 

「頼ってばかりの人は、確かにいる。でも、人に頼ると、自分はそのことを覚えない。できるようになりたいか、人にしてもらえればいいのか、それは頼む人が決める。その人の代わりにやるか、やらないかは、頼まれる人が決める。頼まれたくないことは、他の人に頼むか、自分でやりなさいと答えればいいだけ」


「ミエルはできない人だ、頼ってばかりの人だと、ボクは思わない。逆だ。キミはボクを頼ってほしい。キミは、何か、キミがやる必要がないことや、やりたくないことをたくさんやっていて、やりたいことを我慢している。ボクは、そう考えている」


「ボクがミエルの料理できないを怒ったとする。怒り方すら思い付かないけど……例えば……キミが本を読んでるとき、ボクは料理を手伝ってほしいと言った。キミは本を読むと、集中する。大切な時間だから、本を読むを終えてから、違うことをしたい。わかる?」
「そうだね。わかるよ」
「ボクが、なんで手伝わないの? ミエルも食べるのに! 手伝わない人は、ごはん食べたらダメだよ! そう怒る。ミエルは、そう言われたら、どう思う? キミは本を読むをやめて、キッチンに向かうときだった」


「今行こうとしてたのに、なんで僕は怒られて、罰を受けないといけないのかって思う」
「次からは早く手伝うと思う?」
「思わない、それか、怒られるのが嫌だから手伝う」


「怒られるのが嫌だから、というのは、ボクが手伝わないと怒る人と考えてるのと、多分同じだね。手伝わないと怒られると思ってるとき、できないことがあったら? わからないことがあったら? ボクにできない、わからないって言える?」
「僕は、言えない……怖い……できないも、わからないも、怒られると思ってしまう」


「いつ、なぜ怒るかわからない。自分の予定や気持ちを考えてくれない。そんなボクと、一緒に生活するの、楽しいと思う?」
「思わない。そうだね、そんな生活は、楽しくないな」

 

「怒られるのは怖い。怖いことは、やりたくない。やりたくないことからは逃げたい、隠れたい。でも、やらないことは、できるようにはならない」


「生きるためには、やらないといけないことがある。食べ物を集めること、寝床を作ること、それに、人は、周りの人とできることを交換することも必要。毛がない生き物だから、服が必要。服は、大体お金と交換する。お金は、仕事をして、人を手伝って、もらう。人は、難しい生き方をする」
「そう……だね……」

 

「ボクの生まれた国は、怒られなくても、怖い、やりたくないの仕事ばかりだった。初めて壁の外に住んだとき、子供たちは、ずっと泣いて、壁の中がいいと言う。女性になりたいと、これを取ろうとする子供もいた。男性に生まれたことが、本当につらかった」

 

「でも、ボクの生まれた国の男性も、壁の外で生き続けている。大丈夫、落ち着いて、まずはいっぱい食べて、たくさん寝ようと、ハグをされる。壁の外に出されるのは、みんな男性だから、男性は泣くな、という決まりはない。壁の外はとても寒いから、泣いてはいけない、気持ちは言葉にしなさいという話はある」

 

「子供の頃は、ボクも木の実を拾う仕事をしながら、泣いてしまった。涙が凍るのも経験した。目を手のひらで温めてもらって、瞼が開けられるようになった感触は、多分死ぬまで忘れない。怒られないで、怖かったね、痛かったね、もう大丈夫だと言ってもらった。目が見えなくて、たくさん転んだ怪我を治してもらった。拾った木の実を全部落として、何も持って帰らなかったのも怒られなかった」

 

「大人同士でも、君が生きていることが大切だと言い合う。大人が大人を怒っていたら、子供たちが怖いになってしまう。子供は、大人を見るのが仕事だ。怖いと感じたまま、何もできないまま育った子供は、新しく壁の外に来た子供に、大丈夫と言えなくなる。自分が大丈夫ではない。壁の外、森での生き方も教えられない。壁の外から男性がいなくなれば、壁は鹿に食べられて、冷たい風や熊が入って、中にいる女性も、生まれた子供も死ぬ。あの森から、人が消える」

 僕や妹が母の手伝いをしようとして、料理を失敗して、食べ物を無駄にするなと叱られたのを思い出す。妹は母になぜ怒るだけなのか、料理を教えろと食ってかかったが、僕は下手な料理をして食べ物を無駄にするのが怖くなった。あのとき、包丁で切った怪我を治療してくれたのは、母ではなく保健室の先生だった。服が血で汚れたことも怒られた。
 子供は大人を見るのが仕事。子供は、自分に向けられた言葉や行動だけでなく、大人と大人の行動も見ている。レモーノの言葉は、時折、僕の弱さを深く抉ってくる。 

「ミエルは、初めての仕事で、何か怒られた? ボクも、少しでも怒られていたら、木の実拾いでも、ずっと怖かったよ。見えない目で、いっぱい転んで、どこが家かもわからなくて、本当に怖かった。ボクは木の実拾いもできない頃、大人に怒られずに、怖いを減らしてもらった。だから、他の怖いこともできる。怖いを減らすことが、それをやることにつながる。できることが増えるのには、ボクは安心する、落ち着くが、一番必要だと思っている。教わることも大切だけど、一人になって、誰にも怖いを減らしてもらえなくなって、本当に、生きられないと思った。怖いが多いと、逃げたくなるし、焦れば焦るほど、やり方を間違える」

 レモーノが生まれた国を出たのは、八歳の頃だ。彼の生まれた国で大人と言ったって、今の僕より若いだろう。怒られなくて羨ましいと思うのは、少し憚られた。
 初めての仕事も、僕なら保育所に行って遊んでいるような年頃に任されて、晒された恐怖も失明と死に対するものだ。そんなもの、怒らないのが普通だ。小さな子供が、死地の森から生きて帰ってくるだけで、抱きしめて歓迎する。人生の濃度が違う。 

「仕事は真面目にやって、正しく覚える。レモーノにはレモーノが必要、レモーノが大切、まず自分が生きることを考えなさい、生きる仲間のことは自分が生きるができてから。そう教えられて、少しでも仕事ができれば、いっぱい褒められた。安心の言葉をもらえたから、怖いことも、難しいこともできるようになった。だから、ボクもできることを増やしてほしい人には、まず安心の言葉を使いたいと思う」

 

「できない人を怒る人がいるのも知ってる。メルバンカで見た。怒られてできるようになる人もいた。喧嘩が好き、怒るが好きな人たちもいるのだと思った。人よりお金が好きの国だから、喧嘩が好きな人、他の人を怖がらせるのが楽しい人の方が、強かったのかもしれない」
「君は、喧嘩した?」
「ボクとは喧嘩したら、お肉にされると思われていた。色も白いから、幽霊のようだと、何もしなくても怖がられた。実際、喧嘩して勝たなくても、人を眠らせる方法は知っている」 

 気絶か昏倒だろう。さっき目の当たりにしたところだ。レモーノは、生まれや仕事上、多くの生き物を解体してきただろうが、人間の体のことも知っているのだろうか。

「生まれた国は、恐ろしい国だから、長く生きる人は、人に優しいだった。壁の外の大人は、ミエルみたいな人ばかりだったよ」
「僕みたい? そんな人、生きていけないでしょ」
「体の力の話ではない。心の力。怖いが多くて、感じることが得意な人。相手の気持ちをわかるから、自分の気持ちを我慢できた。危ないことをあまりしないから、死ぬことも少ない。優しくて、賢い人たち。待つことや安心させることは、油断させて隙や急所を狙う方法でもあるから、怖い人でもあった」
「心の力……」
「狩りや喧嘩が好きで、怒りっぽい人もいたけど、危ないことをして、死にやすかった。怖いが少なくて、感じなくなるが得意な人。ボクもそう。追いかけることに夢中になって、危ないことをした。猫の毛がなかったら、寒くて死んでいた」

 

「勿論、どちらの力も必要で、どちらの力も強さだけど、どちらの力も弱さがある。怖いとずっと逃げていたら、お肉は手に入らない。怖くないとずっと追いかけていたら、自分が死んでしまうかもしれない。喧嘩するではなくて、得意な力で助け合うがいい」

 

「ミエルも、感じることが得意だと、大変なこともあるだろうけど、簡単な人生……簡単は変だな……危ないことをして死ぬ人生ではないのは、ミエルの持っている力のおかげだと思う。キミは、キミが生きるをできるから、生きている」

 

「だから、キミは、決して弱くなんかないよ。よく自分を責めるけど、でも、それも酷いことをされたのに、相手を酷い人間だと責められなかったからだ。相手を怒ったら、相手が悲しいになると、ミエルは思った。ミエルがたくさん怒られてきたから、その怖いや苦しいを知っている。ミエルはたくさん我慢した。それは、傷を増やさない、喧嘩をしない、良い判断だったと思う」

 

「それに、悪いのは酷いことをした人間だと、ミエルの傷を治してくれる人もいなかった。人が怖いも、減らしてもらえなかった。でも、傷は、治すものだよ、ミエル。広げて増やすものではない。心の薬は、喜びや安心だ。ミエルに必要なのは、怒られることではない。ミエルが悪いと思うことでもない。怖いを減らすこと、でも、怖いと思うことは悪いことではない」

 

「ミエルが悲しい気持ちになるのは、ミエルが弱いからではなく、相手が悲しい気持ちにさせるようなことをしたのだと、悲しいの原因を正しく認識してほしい。悲しいは、確かにミエルの心にある。でも、ミエルの心は、悲しいと感じているだけ。悲しいと感じたいだった? それで悲しいことを起こした?」
「そんなわけ、ないでしょ……」
「うん、そんなわけないね。酷いことをする人が、ミエル以外にいたはず。他の人の罪を、ミエルが背負う必要はない。ミエルは、我慢して、人の罪を背負って、自分が負けることで、争いを終わらせることが癖になってる。その癖を、周りから利用もされてる」


「ミエルに罪を負わせたら、その人は罪と向かい合わずに済む。ミエルが負けを認めたら、ミエルに勝った、ミエルを正しいにして良いことをした、そう考える。ボクは、そうだったかなと思うし、我慢をした人に、罪まで押し付けられることがあるのを知っている。愚かな人ほど、勝利や正義を求めて、周りが見えなくなる。そうしないと、罪の重さで心が潰れてしまうから。周りが見えなくなることは、本当に危ないことだ」

 

「感じられなくなること、この人といると怖いと思われて、寄り添ってくれる人がいなくなることは、とても恐ろしいことだ。人が多い国だから、周りから誰もいなくなる状態には、なりにくいかもしれないね。それにミエルは、誰かが傍にいる方が怖いだった。そうだな……キミの心は、どんな人の傍にいると、怖くないと思う? どんな人の傍にいると、怖いと思う?」

 

「僕は、レモーノが怖いと思っていい、僕の気持ちは大切だと、嫌だと思うことも言ってほしいと、僕に言ってくれる……その考えで行動もしてくれるから、傍にいたいと思う。僕の気持ちを怒らない、否定しないから、怖くない。僕の勘違いですら、僕の考えであって、レモーノはわからないから聞いた、と言った。誤解される悲しみも、自分の話し下手が原因だと言った。それが、僕は、すごいと思った。なんで、僕の間違いを怒らないんだろうって、それからずっと思ってる」
「それで、さっき、なんでミエルを怒らないか聞いたの? 怒る理由も、必要もない。ミエルがもっと怖いになってしまう。ミエルの怖いを減らしたいがボクの願いだから、怒るのは願いが叶わない、間違いの方法だね?」
「そう。レモーノは、そう。話しながら僕の意見も聞いて、僕の気持ちを見つけようとしてくれる。僕が隣にいられるようにしてくれる。僕の意見や気持ちを聞いてくれる人、レモーノが初めてだ。僕は怒りっぽい人が家族に多くて、ずっと怖かったんだ。大人が怖いを減らしてくれる、怖いを減らすことで、できるを増やせるなんて、思ったことない……できるを増やせば、怖いが減るんだと思った……」
「できるを増やせば、怖いが減る……それもある……」

 

「それは、勝てば強くなるという話に似ている。ボクは、ミエルに争って勝ってほしいとは思っていない。そもそも、キミは、争うことが嫌いだろうから、争うことを前にしたら、逃げるを選ぶ。我慢をする、負けを選ぶ、その苦しみは、終わりがある。逃げることは、良い判断だ。ただ、背負う必要のない罪を作り出してはならない。罪には、終わりがない。自分の犯した罪でさえ苦しいのだから、他人の罪なんて、絶対に背負ってはならない。他人の罪を背負う癖は、直してほしいと思う。急がなくていいし、直らないなら直らないでいいけど、キミは楽をしてほしいの意味」
「他人の罪を背負ってる、か……あまりそう感じないけど、レモーノには、そう見えるってことだよね?」
「そう。ミエルが、悪くないのにごめんと言う癖を治すまで、ボクはごめんと思わないで、と言う。ボクは、キミに勝ったって嬉しくない。我慢されても、全然嬉しくない。キミが、悪くないのに、ごめんと言うたびに悲しい」


「すぐごめんと言ってしまう僕は、わかる。でも、レモーノと出会ってから、君が僕を細かく観察するように、僕もなぜこの人はこういう行動をするんだろうって、考えるようになった。相手の行動のせいで起きる失敗もあると知ったことで、ちょっと人が怖くなくなった。今まで、目の前にある結果は、全部僕の行動のせいだと思ってたから、僕の失敗な気がして、怖かったんだ。人の罪を背負うっていうより、全部自分のせいだと思ってしまうって感じ……」
「全部自分のせい……でも、少し怖くなくなった?」
「僕がお願いを言うと、レモーノは嬉しそうだから……人に頼み事ができるようになったよ……嫌だな、面倒だなという顔をされてばかりで、その表情が僕自身に向けられてるのかわからなくて、僕はお願いを言うことをやめてたんだ」

 

「ボクは、ミエルにお願いされて、叶えられるのが嬉しい。気持ちを伝えてくれて、わかるのが嬉しい。ボクもミエルに、酷いことをするかもしれない。できないことがたくさんある。やりたくないことやできないことは、断るしかない。やりたくないも、できないも、ボクが理由だ。キミではない。ミエルを悲しい気持ちにさせたら、ボクも悲しいよ。キミが悲しいときは、ボクがボクの行動を変える。それしかできることがないのもある。行動を考え直すのには、時間がいるから、待つはしてほしい」
「勿論」

 

「ミエルが甘えん坊で、お願い事が多くて、パニックになりやすくても、ボクはやめてほしいとは思わないし、怒ることが必要に思えない。ミエルに必要なのは、ボクが怒ることじゃない。まず、話せるまで、傍にいることだ。パニックのときは、キミが落ち着くまで、気持ちを言っても大丈夫だと思うまで、ボクは待つことが必要だと思ってる。急ぐ、焦る、わからないのに話を進める、それが失敗の始まりと思う。違う?」
「合ってるよ……でも、なんでわかるの? なんで、僕がしてほしいことしてくれるの? なんで嫌じゃないの? それが、レモーノの幸せだって言われても、どうしてもわからないんだ。わからなくて、こわい」

 

「僕が落ち着くの、待ってる?」
「答えを考えている」

 

「ミエルは、キミに酷いことをして、怖がったり、嫌がったりするキミを、面白いと思う人と、一緒にいる時間が長かった?」
「えっ……」
「ミエルの覚えている他人が、キミが喜ぶことをして、喜ぶキミを見て、幸せになる人ではないのかと思った。ボクの行動は、キミの心には、普通の他人の行動ではない。だから怖い。信じられない。喜んでほしいなんて嘘だ。自分が喜んだら酷いことが待っている。違う?」

 

「酷いことばかりを、我慢して受け取ってきたから、酷くないこと、嬉しいことをどう受け取っていいかわからない。多分、キミの家族、大切な相手や信じていた相手が、キミに酷いことをし続けた。誰からも、何でも、受け取りたくないと思うほど。渡されても、どうしたらいいのかわからなくなってしまうほど。これは、ミエルの話を聞いてた、ボクの考えだけど」

 

「レモーノは、やっぱりボクの心が読めるの? まるでずっと傍にいたみたい」
「そしたらもっと……ミエルの怖いは、少なくて……いや、どうかな、ボクを怖いと思うのが多かったかも。メルバンカでのボクは、人食い鬼のように言われていたから」

 

「でも、僕は、どうしたら、いいんだろう……自分で決めろと言われても、決められないんだ……誰からも、何も受け取りたくない。誰とも、関わりたくない。本当にそう思う。きっとレモーノに対しても、まだそう思ってる」

 

「ボクに、決めてほしい? いくつか試したら、ミエルの我慢して、わからなくなってしまった気持ちも見えてくるかも」
「それがいい」

 

「ボクに過去の苦しみを話すことから、始めてみよう。開いた窓から、新しい風は通る。空いた手に、新しいものが乗る。怖いことを思い出すのは、とても苦しいから、少しずつ手放そう。今すぐの話ではない」

  

「酷いことをしないで、やめてとは、怖くて、子供で、力がないときには、言えなかったね。ボクは、ミエルに酷い、やめて、いらないと言われても、大丈夫。キミもボクも、子供ではない。苦しいだろうけど、言ってほしい」

 

「なんでレモーノは、ミエルがしてほしいことするの? ミエルがしてほしいことを、レモーノはしたいから。ミエルがしてほしくないことを、レモーノはしたくないから。なんで嫌じゃないの? それはレモーノがやりたいと思って、やることだから。やりたくないなら、やらなければいいだけだから。キミは大切な人だから、キミのお願いを聞いて、叶えられて、キミが喜んでくれたら、ボクも幸せになる。答えはいつも同じだけど、ボクは同じ答えも言った方がいいね」

 

「……なんで? なんで同じ答えも言った方がいいと思うの?」
「ミエルの心の傷を治すため。そして、ボクが約束を忘れないため。キミがボクと一緒に幸せな人生を送ることが、普通の人生だと信じるまで言う。いや、信じても言う。二人で助け合って、気持ちを知り合って生きるのが、ボクらの普通の人生にする。ボクが命を懸けて守る約束。長いと聞いているミエルが大変だから、君が何でも言える人でいる約束にしよう。ボクはその約束を守るから、キミは、レモーノに言いたいことは何でも言う約束をしてほしい」
「レモーノ……」
「まだ、”どうして?”の気持ちがあるね。レモーノが誓った約束を守るのは、ボクらが幸せな人生を送るのは、当たり前のことだと思ってほしい。ミエルの気持ちを無視して、嫌がることするのは、とても酷いことだよ。それを我慢して、普通に思ってはダメ。気持ちを聞いてもらうのが普通。嫌がることをしないのが普通。できないことを怒られないで、できる人から教えてもらうのが普通。傷付けてしまったら、傷付けた人が傷付いた人に謝って、傷付けた人が行動を変えるのが普通。今はボクの考えの方が嫌でもいい。でも、キミはキミの喜ぶ方、楽な方、できることが増える生き方を、いつか、キミの気持ちで選んでほしい」

 

「また、ボクの言いたいことだけを言ってしまった。話したい気持ちに歯止めが効かない……ごめん……綺麗なお風呂でする話ではなかった……」
「ふふ、いいよ。お風呂だから、できるのかも」
「お風呂だから?」
「話すことで、心も洗う」
「それはいい考えだ」

 

「レモーノは、僕と話したいの気持ちがたくさんなんだね。僕は、ずっと人と話したくないの気持ちでいたから、君のその感覚はわからないけど……」
「うん。ミエルが聞きたいの気持ちか聞くのを忘れてしまうくらい、たくさんだ。ボクも酷いことをしているね」
「聞きたくなければ、顔に水でもかけるよ」
「それがいい」
「冗談だよ。言葉で言う」

 

「でも、レモーノの話は、いつも僕の心に光をもたらしてくれる。新しい風かな。少し、わくわくする」
「わくわくする?」
「良いことが起こりそうだな、ってときに使う。レモーノとの初めての旅行にわくわくする、とか」

 

「そうだ、ミエルと初めての旅行だ。ボクの長い話をするのは、いつだってできる」
「ふふ、なんかさ、なんだろう。レモーノって、たまにすごい自虐的だよね」
「じぎゃ? なに?」
「自分を虐めること。悪く言ったり、我慢したり、無理したり」
「そんなことしてる?」
「うん、たまにね。だから、レモーノと話すの、僕は好きなのかも。自分のことを良く見せるだけじゃなくて、話が長いとか、下手だとか、夢中になりやすいとか、自分が失敗しやすいところをわかってるんだなって思う」
「それだけたくさんの失敗をした。でも、生まれた国の人たちには、ありがとうと思う。あの場所で教わった生き方に、ボクはずっと支えられているから、転んでも起き上がれる」


「例えば、どんなこと?」

 

《大人になりたいなら、今の自分を認めなさい。何もわからず、何もできず、心も体も小さくて弱い自分を見なさい。その自分を、今日一日生かしなさい。今日覚えられたことを、明日起きたら、思い出しなさい。自分の命を生きるのに必要なことをして、必要ないことをしなくなるのが、大人になることです。あなたは、どんなに頑張っても、周りにいる大人にはなれません。過去に戻ることもできません。未来に行くこともできません。強くもなれません。賢くもなれません。あなたは、今の自分でいるしかありません。今の自分を、素直に、真面目に、生かし続けなさい》


「生まれた国の言葉を話した? 大切な教え?」
「そう。短く言うと、ボクは、何をしても、昨日にも明日にも行けない。強くなることも、賢くなることも、他の人になることもできない。今の自分は、今の自分の命を生きることしかできない。今この瞬間、生きられる自分を、素直と真面目に生きなさいという考え方」 

 レモーノはそう言って、視線を下ろした。どうやら水面に映る自分の顔を見ているようだ。

「覚えることや学ぶことは、勿論できる。そうして、昔の自分より、強く、賢くなるかもしれない。でも、本当に? 大きいことは強い? 小さいは弱い? できるが早い、たくさんは賢い? できない、遅い、少ないは愚か? 比べられないね。ボクは強さも弱さもある、賢さも愚かさもある。ボクは、このボクであるだけ」
「そうだね」


「生まれた国に戻って生きるのは、今のボクでは難しいと思う。でも、この国で生きるボクと生まれた国で生きていたボクは、どちらも、ボクの命を生きることはできている。どちらも、素直に、真面目に生きてきた。だから、ボクは、ここにいる」

 

「なりたい人になるは、ボクはできないと思う。ボクの生まれた国の大人は、生きることに必要なことができて、いらないことはしないでいられる人でしかなかった……わかりづらいかな? 生きるのに必要なことしてたら、一日が終わるような国の考え方だから……」
「いや、わかるよ。レモーノのこれまでの行動を見てたから、よくわかる」

 

「レモーノは、スフィリットで、生きるのに必要ないことをするのは、どう感じるの? 僕と旅行をするとか、劇を観るとか」
「今も生きるのに必要なことしかしてないよ」
「え? だって、仕事でも勉強でも……子供を育てるでもないよ……」


「ミエルと一緒にいる時間は、食べるや眠ると同じくらい大切だ。ボクが生きることは、キミと一緒にいることと同じ。キミが嬉しいときにボクも喜んで、キミが悲しいときにボクも悲しんで、キミと同じものを感じたい。明日もキミに会いたい。キミと話したい。その気持ちは、生きるのに必要なことだと思う」

 

「僕が、嫌い、一緒にいたくないって言ったら、君はどうするの?」
「名前を変えて、この国を去る。ミエルと一緒に生きたレモーノという男は、そのとき死ぬ。同じ心を失った人のようになるのかな。ボクは、死ぬ仲間も失うけど……わからないね。言われないように生きる。あ、今、嫌いと思ったという話だった?」
「そんなわけないだろ!?」 

 僕は思わず声を荒げてしまったが、レモーノはなんだか嬉しそうだった。本当に、僕が何を言ってもいい、僕に何でも言ってもらえるのが嬉しいのだろう。心が強すぎて、完全に押し負けている。

「ごめん。悲しいこと言ったのは、僕なのに、怒ってごめん。僕にそんなに命懸けで大丈夫なのかって心配した」
「ミエルの気持ちは、とてもたくさんだね」
「レモーノに分けたい」
「それがいい」

 

「大丈夫だよ、ボクは真面目に生きている。それに、ずっと前から、ミエルにはボクの命を捧げているよ。キミはボクの生きる理由だ。傍にいたいと思う人の傍にいる。その人の喜びのために、色んなことができる。その時間と相手を与えられた。ボクは、とても幸せな命だと思う」
「レモーノ……」
「キミも、ボクと出会った幸せを受け取るといい。持っている苦しみを減らして、ボクの命を受け取ってほしい」 

 僕はレモーノの言葉を噛みしめるように、自分の手のひらを見た。お湯を掬うと、自分の情けない顔が映る。お風呂に浮かべられていた花を二つ、その上に浮かべられる。小さな池の上で、白と黄色の花が寄り添っていた。

「でも、まずは旅行を楽しもう。こんなお風呂は初めてだ」
「僕もだよ。それに、人と一緒に入るのも初めてだな」
「またしよう。お花を浮かべて、一緒にお風呂に入る」
「お花を浮かべたお風呂は、幻想的だとか、耽美だとか言うけど、レモーノが好きそうなことだよね」
「ボクは美しいものが好きだから。大丈夫、ミエルが一番好き」 

 手の上の水を、僕はレモーノの頭の上から流した。二つの花は、彼の柔らかな髪に受け止められて、髪飾りのようになっていた。

 

 お風呂から上がると、僕らは結局いつも通りパジャマを着た。

「ミエルの今日は、どうだった?」
「とても、楽しかった。人と二人で旅行するなんて、初めてだったし、海に行ったり、ヤシの実からジュースを飲んだり、そんな経験が自分の人生にあると思わなかったよ」
「ボクも、ヤシの実は初めて見た。不思議な味だったね。ミエルは好き?」
「嫌いではない。たまに飲むだけでいい」
「確かに。たまに飲むだけでいい味だ」

 

「ボクは、暑い場所や太陽が、苦手だった。メルバンカも。でも、今日は楽しかった。ミエルが隣にいたから」
「怒っちゃったし、悲しい話もしたのに?」
「それも含めて……楽しいというのは、ちょっと酷いだね。ミエルとの、大切な思い出。嬉しいも、楽しいも、怒るも、悲しいも、ミエルの心はどれも大切だ」
「レモーノの心も、大切だからね? 僕も話すから、レモーノも話してね? 長いとか下手とかより、隠される方が嫌だ。心と同じ言葉を言わないレモーノの方が嫌だ」
「わかった、約束する」

 

「また、旅行したいね。まだ明日もあるけど」
「そうだね、ボクもミエルともっと旅行したい。もっと働こうかな」
「君といる時間が減っちゃうのはいやだな……」
「ああ……それはいやだ……」

 

「ミエルといながら……できる仕事……」

 

「ミエルとボクで、お店を持つ?」
「えっ?」
「カフェでミエルも働いたらいいかと思ったけど、あのカフェは、大学が近すぎる。大学の人に見られるの、ミエルは働きにくいかと思う」
「僕の性格をよくわかってるね」

 

「たまに、考えていた。ミエルと同じ場所で仕事をする方法。もっと長くいられる。ミエルがボクとそんなに長くいて、嬉しいかもわからないし、その方法も思い付かないから、ただ夢を見ているだけだけど」

 

「レモーノと、同じ場所で働くの、いいな……君なら、僕に仕事を教えるのも、ちゃんと仕事ができるようにしてくれるだろうし……起きてから寝るまでの間も、毎日欠かさずレモーノと一緒にいられたら、僕は嬉しいよ……本当に好き……本当は、全然離れたくない……いつも君にくっついてたい……」「ミエル、」

 

「レモーノは? 離れたいって、思うとき、ある?」


「……半分、ある。ミエルが自由に過ごしてほしいと、ボクは二人の食べ物を得る必要があるの半分。でも、ボクの知る場所には、いてほしいと思う。ミエルがしたいことをしてほしいの意味。ボクの知らないとこで、キミが危ないになってほしくはない。ミエルが、具合が悪そうなとき、泣いているとき、ボクは本当に、胸が痛かった。好きなことをしてほしい。たくさんのことをしてほしい。でも、つらいときは、ボクの傍に来てほしい。また、好きに動けるようになるまで、傍にいたい」

 

「ふふ、レモーノは、僕の気持ちと自由が大切なんだね」
「嘘かもしれない。本当は、ボクもいつもくっついてたい。小さくなって、君の肩にいつもいる」
「また絵本みたいなこと言って。レモーノが小さくなったら、ハグできないよ」

 

「妖精に、ならないでね。君も僕から見える場所にいてほしい。君は幻なんじゃないかって、本当に怖いんだ。離れないで……怖いよ、レモーノ……」
「大丈夫、傍にいる」


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