🍋🍯本編　第一部第七章　完成することがない言葉（4）

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「ボクも聞きたいことがある」
「うん」
「悲しい話かもしれない」
「大丈夫。話してほしい」

  

「レモーノはミエルをあいしていると、今のミエルは感じる？」

 　今まで課されてきた中で、最も難しい課題だ。

　愛を感じると、きっと今までの僕なら答えることができた。心の内で、レモーノの気持ちを疑いながら、僕を大切にしてくれて嬉しい、君の愛を感じることができると返していた。
　でも、今ならわかる。そう返しても、レモーノに伝わるのは、“ミエルは心の言葉と違う言葉を話している”の方だ。

 「レモーノはミエルを大切にしている、その気持ちは感じる。でも、あの、レモーノはミエルを愛しているとは、感じない。ごめん、僕が、欲深いから……僕の考える“愛している”の意味と違うだけ……」
「そうだね。ボクも、まだよくわからない気持ちだ。でも、ボクは、ミエルとセックスしても、“あいしている”の言葉はわからないかもしれないと思っている」

「あー……わかるような、わからないような……僕とキスをしても、君は“キスをしたいの好き”がわからない。同じように、僕とセックスをしても、君は“セックスをしたいの愛してる”の意味は、わからない。レモーノは、そう考えている？」
「はい。キスをすると、気持ちがいいけど、そのときの気持ちは、“キスは気持ちがいい”だけだ。ハグなら、”あたたかい“とか“安心する”とか“安心してほしい”の気持ちになる。どれも、“好き”や“あいしている”の気持ちにならない。キスやセックスをしていないときにも、その言葉を使うのを聞く」

「少し、考えてもいい？　僕も、わからないから」
「大丈夫。“ミエルもわからない”は、今の答えだと、ボクは思う」
「それはいい考えだ」 

　そういえばレモーノの質問は、いつも“はい”か“いいえ”か“わからない”で答えてほしいと言われていた。“答えたくない”が含まれることもある。“わからない”や“答えたくない”は、彼の中でれっきとした答えの一つなのだろう。

「あの、でも、考えてから、答えたい。話したくない気持ちではない。僕らが一緒にいるために、“レモーノはミエルを愛しているか”は大切な話だ。僕は、その気持ちを一緒に考えたい。レモーノは、一人で考えたい？　レモーノの気持ちだ」
「……確かに。今まで、ボクの気持ちは、ボクが決めたいと思った。でも、“あいしている”の言葉の先には、ミエルがいる。ミエルの心がある。ボクが一人で、恋愛がない人が一人で考えられない気持ちと思う。それで、とても困っている」 

　レモーノの感性は、なんて純粋なのだろう。“愛する”の言葉の先に、人がいて、人の心がある。言われてみれば、わかる話なのだが、僕は、レモーノとこうしたい、こうなりたいという自分の気持ちや欲望から目を離せない。
　自分の気持ちを自分で決めると、人並み以上に自分の決め事にしているレモーノでさえ、否、レモーノだからこそ、“愛”を前にして、“わからない”や“一人で決めていいものではない”と思えるのかもしれない。

「これは、“好き”や“愛する”についての僕の考えなんだけど、話してもいい？」
「話してほしい。聞きたい」

「“好き”や“愛する”は、完成することがない言葉なのかもしれないね」

「かんせいすることがない？」
「“完成する”は、作ったものが、使えるものや人に渡せるものになること。この家は完成しているから、人が住める。この服は、完成しているから、人が着られる。完成していない料理は、食べられない。物は、完成する。“歩く”の言葉は、足を動かして、場所を移動することだ。覚えるやできるようになると言うけど、“歩く”の言葉は、完成する。体は、”歩く”や”泳ぐ”ができるようになる。わかるかな……」
「わかる」

「でも、“好き”や“愛してる”の言葉は、完成しない。“歩く”のように目に見えたり、体を動かしたりする言葉ではない。“嬉しい”や“悲しい”に似ている。”嬉しい”や”悲しい”は、心の言葉だ。でも、“嬉しい”や“悲しい”と違って、“好き”や“愛してる”の気持ちは、明日もある気持ちだ。気持ちの先に、人がいる。その人の気持ちもある。わかる？」
「よくわかる。”好き”や”あいしてる”は、心と体と両方の言葉と思う。自分と他の人と両方の言葉でもある」
「そうだね」

  

「完成しない言葉が怖い人や、わからないと思う気持ちが嫌な人は、わかる？」
「わかる」
「そういう人は、キスすることやセックスすることを、“好き”や“愛してる”が完成した姿、えっと、“好き”や“愛してる”の言葉を、目に見えるようにしているのかなって、僕は思った。歩き方を覚えたから、歩くことができる。レモーノを愛しているから、レモーノとキスやセックスができる」
「それは、いい考えだ。いい考え？　ボクの気持ちに合う考えだと思う。完成しないこと、目に見えないこと、わからないことが怖い。だから、代わりのこと、目に見えることや体のことにする。”嬉しい”や”悲しい”とも違うから、顔を変える以外のことをする」

　レモーノは、口に手を当てて、物憂げに何かを考えているような表情を見せる。初めて会った頃より、彼の仕草は表現の幅が増えた。

「ボクは、ミエルと、二人で思い出を作っている。ずっと終わりがないと思う。でも、いつか消えてしまうと思う。いつまでも終わらないでほしい、いつまでも消えないでほしいけど、眠らずにミエルの顔を見ていても、今日は終わって、明日は来てしまう。新しい一日が来てしまう」

「明日が早く来て、“おはよう”の声が聞きたい、長いハグをして、たくさんキスをしたいと思いながら、昨日や今日のキミと離れることが、とても悲しい。明日のキミに会うことも、会えないことも、怖い」
「レモーノは、寝る前に、今日が消えないでほしいと、でも明日がわからないのも怖いと、二つの気持ちを考える？」
「そう。ボクはキミとセックスをして、“あいしている”の完成がほしいかどうか。ミエルの考えを聞いて、そうかもしれないの気持ちがある。たまに、ボクはすごく怖い。本当は、子供のボクが、みんなから離れたとき、寒い森の中で見ている、幸せの夢なんじゃないかと、すごく怖い。生まれた国を出てからずっと、明日が本当に来るのか、ボクはすごく怖い」

　レモーノのことをずっと強い人だと思っていた。僕は彼に守られてばかりで、何のために僕の傍にいるのだろうと思っていた。でも、彼にとって、誰かが傍にいること、その人が傍にいてほしいと自分に言ってくることは、僕が想像できるものよりも、ずっと強く、彼の命を支えているのだろう。
　小さくなっている背中に手を当てると、首の付け根あたりが冷たくなっていた。温もりを移すように暫く乗せたままにしていると、レモーノは掠れた声で《ありがとう》と呟いた。

「“嬉しい”も“楽しい”も、すぐに消えてしまう。“幸せ”も、手でさわれるものではない。“あいしている”も、きっとそうだ。ミエルと手を繋ぐとき、ボクはいつも、“ボクかミエルがとても小さくなって、手の中に持ち続けられればいいのに”と思う」

　セックスをしたって、愛などわからない。僕らは、“愛の結晶”を象徴する子をなすことすらできない。幼な子を腕に抱く人の気持ちは、愛する人がとても小さくなって、持ち続けられるようになった状態に近いのだろうか。
　僕らは、明日には過去になり、忘却の海に流される砂の城を建て続けるしかないのだろうか。

「ごめん、またキミのしたいことの話をしていたのに、悲しい気持ちになった」
「ううん、謝らないで。僕が遠くに旅行をするのは、子供の頃の夢だったって話したから、レモーノは苦しい過去を思い出した。“子供の頃の夢”は、レモーノの苦しみの蝋燭に、火のつく言葉だったのかもしれない」
「ああ……納得できる……」

「でもね、僕もレモーノから“怖い”の気持ちを話してほしいよ。僕も君と同じ気持ちになりたい」

 

「あのさ、謝っていい？」
「はい」
「僕は、ずっと、君に怖い気持ちや苦しい気持ちを話すのが、嫌だった。恥ずかしいし、君がどう思うか、わからなかった。君に話してほしいと言われても、とても嫌だったんだ。大切な話をして、馬鹿にされたり、嫌われたりしたら、嫌だって思って、君に詳しくは話さないできた」
「そうだね」

「でも、今の君の話を聞いてたら、怖いと感じているのに、その理由を教えてくれないのは、苦しいと思った。二人とも、話せるようになるまで、長い時間が必要だったから、悪いことではないだろうけど、大切な人から自分を信じてもらえない悲しさを、レモーノは感じていたんじゃないかと思うんだ。だから、謝りたい」

 

「レモーノのこと、信じて、本当の話をしなくて、ごめん。君のことを悪い人だ、怖い人だと思っていたわけじゃない。僕が、人に話すことが、怖かった。人を信じるのが、本当に怖かった」
「今は？」
「まだ、怖い。時間がほしい。それでも、嫌わないで、これからも傍にいてほしい」
「わかった。ボクも、まだ時間が必要と思う。急がなくていい。それに、ボクが嫌いになったら、いつでもネックレスを返すといい。苦しいを感じてまで、ボクを好きと思わないでほしい」
「絶対返さないよ。君が返してほしいって言っても、絶対返さない」

　レモーノは声を漏らして笑う。

「“手を繋ぐ”の言葉で、思い出したんだけど、話を変えてもいい？」
「はい」
「レモーノは、僕によく手を繋ごうって言うよね。そのとき、他に何を考えているの？」

 

「キミは初めて会った日、左手はレモーノ、右手はミエルだと言った。“会う”の言葉を教えてくれたとき。覚えている？」
「覚えてるよ」

「キミを抱き締めていいか聞けるようになるまで、ボクにとって、ハグの代わりだった。安心してほしい、ボクは傍にいる、キミは一人ではない、ボクも緊張している、ボクで楽をしてほしい、キミの力になりたい。気持ちは、色々だった」
「そっか。レモーノは、ずっと僕とハグしたかった？」
「はい」
「僕も、いつもそう思ってた。君と手を繋ぐたび、ハグをしたいと思ってた。今、レモーノを抱き締めてもいい？」
「ボクも、ミエルとハグしたい」

 　生まれ故郷から零れ落ちてしまった日のレモーノに見えて、僕はそっと彼を抱き寄せた。彼の経験した恐怖を理解することはできないが、死と別れ以外に完成することのない、命と生の周りを霧のように漂う恐怖には、想像がつく。
　レモーノが時折、すごくネガティブなのは、罪悪感と、死の恐怖と、故郷に戻れない悲しみの中にいるからではないだろうか。そのことを話せたのは、僕だけだと言っていた。

「このまま、“愛してる”の話をしていい？」
「はい、してほしい」
「僕も君との関係に完成がないことが、ずっと怖かったよ。レモーノには恋愛がないと、僕が知らないときは、僕相手だから恋愛ができないのだと思っていた。僕の傍にいる理由もわからなかった。いつか君はこの家を、スフィリットを出て行ってしまうんじゃないかと、怖かった」

 

「でも、恋愛がないと話してくれたとき、僕は、とても安心した。僕がレモーノと一緒にいられるのは、レモーノの気持ちに、恋愛がないからだ。僕の傍にいるために、僕を怖いの気持ちにならないようにしてくれるからだ。僕が君にふれられたいと思うのは、僕が痛いの気持ちにならないようにしてくれるからだ。わかる？　難しいかな？」
「わかる。ミエルがボクの言葉を覚えていてくれるのもわかる」
「勿論だよ。“愛してる”の気持ちでなくていい、二人だけの気持ちでもいいと、レモーノは言ってくれたね。二人の気持ちだから、一緒に考えるのがいいと思う」

 

「そうだね。“レモーノはミエルをあいしているか”は、ボクだけの気持ちだ。“ミエルとレモーノの二人の気持ち”は、ボクもミエルと一緒に考えたい」

 　“愛してる”のように、一言で完結してほしいだろうか。そんな安直な言葉は嫌だと思う気持ちと、その方がお互い伝えやすいのではないかという気持ちとある。レモーノの感性は、僕には美しすぎるし、僕の感性は、彼にはややこしいだろう。

「完成、するかなあ」
「しなくてもいい」
「ちゃんと、お互いに感じられる気持ちがほしいんだよ」
「わかる。でも、探し続けたいとも思う。ミエルのことがわかりたいと、思い続けていたい。キミを失うことが怖いのも、それだけキミといることが幸せだからだ」

「そしたら、ちゃんと探し続けようね、僕と一緒に、僕たちだけの気持ち」
「約束する」

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