🍋🍯短編　おはようのハグ

第六章の数日後
レモーノ視点の話です。

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　最後によく寝たと思ったのは、いつだっただろう。生まれた森はとにかく寒かったので、短く何度も寝ることが習慣だった。

　一人になってからも、やはり長く眠ることはできず、一日以上起きていることの方が多かった。

　メルバンカに着いてからは、眠りに落ちて汗だくで目覚めるよりも、水を浴びて木陰で微睡んでいる方が、気持ちは良かった。

「レモーノ、まだ寝てるの？」

　もしかしたら、ミエルと並んで寝るようになって、初めてよく眠るという感覚を知ったかもしれない。

　柔らかく温かな布団と、敵意のない気配、穏やかで優しい声。自分の人生で、安らかな眠りが叶うとは、ゆめにも思わなかった。

「起きている」
「だろうね」

　瞼を上げると、ミエルはどこか不満げな表情をしている。腕か足でも当たってしまっただろうかと聞こうとしたが、彼は距離を詰めた後、俺の腕を掴んだ。

「ハグをする？」
「うん」
「わかった。左腕を……変えたい？」
「左腕を伸ばしたい？」
「はい」

　自分の体の下になっていた腕を抜いて、少し振ったり伸ばしたりしてから、ミエルの体の下に差し込む。彼の重さが一向に腕に乗ってこないので、また此方を気にしているのだと察する。先程から少しベッドが震えているのは、彼がついている肘からだろう。

「ミエル」
「ん？」
「もっと近付いて、ボクの上に乗る」
「……でも、」
「その方が二人とも楽と思う。大丈夫」

　俺が仰向けになると、やはり無理をしていたのか、ミエルは一度起き上がって右腕を回した。照れくさそうに微笑むその顔は、カーテンの隙間から差し込む朝日のようだ。

　もう少しだけ見ていたいと思ったが、ミエルはまるで覆い隠すように、俺の胸に飛び込んできた。俺は枕ではないので、普通に苦しい。

「おはよう、レモーノ」
「おはよう、ミエル。痛いや苦しいはない？」
「ないよ、元気だ。レモーノは？　元気？」
「元気だけど、少し胸が痛い」
「えっ！　ごめん！」
「ミエルも、苦しいね？」
「う、うん。少しズレていい？」
「はい。楽な場所を探してほしい」

　ミエルはベッドの方に下りようとしたが、それは違うと思ったのか、俺の体に上り直す。頭を乗せる位置を変える度に、彼のサラサラとした髪が肌を撫でて、くすぐったい。

「ここだな」
「見つかった？」
「うん」

　最後にズンと勢いをつけてのしかかってくると、軽く脚を絡ませて、落ち着いたようだった。

　俺もミエルの腰の上で指を組むと、深めに呼吸をする。最初は不自然だった彼の呼吸も、段々とゆっくりになり、どちらがどちらのものかわからなくなった。

「幸せ……」
「うん」

　組んでいた指を解いて、頬に当たる髪を避けがてら、ミエルの後頭部を撫でてしまう。了承を取らなかったなと焦ったのも束の間、伝わってくる彼の体温が上がり、震えと湿りが胸に染みてくる。

　急にさわられたのが気に障っただろうかと焦ってしまうが、涙の理由を問いかけるのも適切ではなさそうだ。やめてほしいと言われるまで、肩を抱いて、震えるその薄い輪郭を親指で撫でる。

　ミエルの抱える苦しみは、大きい。今も、喜びと自責の念で板挟みになっているのだろう。嫌がっているように見えても、おはようのハグを必ずしてほしいと言ったのは、まだ打ち明けられていない苦しみが故だったか。

　涙と共に、その苦しみも溶け出して、俺に染み込んできたらいいのに。せめてどれほどの痛みかわかればいいのに。

「ミエル、ボクは嬉しいよ。今日もキミが生きている。キミに会える朝は、とても幸せだ」
「……も……っ、ぼく、も……」
「無理に話さなくて大丈夫。ボクの話をする。そうだ、ボクは、作ってみたい朝ごはんがある。昨日、新商品のパンをもらった。あと、そろそろヨーグルトもできていると思う。この前一緒に作ったあんずのジャムを食べる」

　こんな四方山話をせずに、何がそんなに苦しいのかと聞ければいいのに。

　しかし、ミエルの過去や感情の話は、言葉も内容も難しい。聞かせろと求めておきながら、理解できないのは、彼の悲しみを増やすだけだ。それとも、自分が無能だと思われたくないという意地や保身だろうか。

「レモーノ」
「はい」
「ありがとう、朝ごはんが楽しみだよ。お腹が空いてきた」

　どちらのものともわからぬ腹の虫が鳴く。ミエルの震えが、笑いによるものに変わった。

「すごい音。まるで熊の咆哮みたいだ」

　まだミエルの胸の内にあるものが何かを聞けない無力感を埋めるために、間抜けな空腹音を立てたのは誰かを、俺が引き受けることにした。

　　　終わり

🍋🍯本編

『君の言葉がわかりたい』本編｜キロ｜note

使用する言語の異なる二人が出会い、共に暮らす物語です。
二人の努力と歩みを、一緒に見守っていただければ幸いです。

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