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【更新中】第七章 完成することがない言葉(2)

初めてお越しの方は、下記の記事をご一読ください。


 

 レモーノは、バルコニーに出て、風に当たっている。

「ミエル、夕日が美しいよ。少しここに来て」

 本に栞を挟むと、僕もバルコニーに出た。レモーノはすっかり夕焼け色に染まっていた。彼の腕の中に収まると、頬をぷにぷにとつつく。

「オレンゾさん」
「おれんぞさん? ああ、ふふっ、今のボクはレモンの色ではなく、オレンジの色だ」
「わかった?」 

 夕日は眩しすぎるので、光を透かしてキラキラと輝くレモーノの髪を撫でれば十分だった。

「キスしてもいい?」
「いいよ、してほしい」 

 僕は目を閉じてキスを待つが、レモーノの気配は近付いた後、唇を重ねることなく離れていった。手を繋がれて、部屋に戻ろうと囁かれる。他の人でもいたのだろうか。
 ソファーに導かれて、膝の上に横抱きにされる。僕はレモーノの肩に掴まると、彼の頬をいたずらに吸った。

 「オレンジの味する?」
「どうかな、噛んでいい?」
「うん、ダメ」 

 キスにしてほしい、と言われて、唇を撫でられる。その手もちゅっと吸ってから、僕はレモーノの唇に自分の唇を重ねた。唇には軽くふれられるだけで、彼は僕の頬や耳、首を吸う。

「レモーノ、き、キス以外も、したい?」

 夕暗がりの中で、薄い色の目が輝く。

「したい。でも、今はキスだけにする」
「う、うん」
「ごめん、夕日、見てたのに。ボクの髪を撫でるキミの笑顔が……いや……ごめんね……」

 

「レモーノ、あの、言いたいこと、言っていいよ」
「でも……」
「君の言葉は、僕のための言葉でしょ? 僕だって、聞きたい」

 

「怖いって顔、してる?」
「行かないで、ここにいてと言ったときと同じ顔」
「君は表情ソムリエだ」
「なに?」
「ソムリエは、ワインの味を見て、こういう味のワインですって説明する仕事の人のこと。ワインの味や味の違いをよく知ってる」


「ボクはミエルソムリエだ。他の人の顔はどうでもいいから」
「人前で言わないでね、それ」 

 それに興味や労力を自分以外に振り向けないでほしいと思った。レモーノの視界では、僕以外の人間が彼の興味のないものになる魔法とかないのだろうか。

「あのさ、前に、美しいとか、可愛いとか、聞きたくないって言ったのも、人が怖かったのも、全部同じ理由なんだ。そろそろ、君に話さないと……」
「大切な、話だね? 座り方を、」
「このまま、このままでいい、ぎゅってして」
「大丈夫? ミエルは冷たくなってきた」
「さわって、レモーノ、あたためてほしい」 

 レモーノのあたたかな手がお腹に乗る。 

「ミエルは、自分のことを話すのは苦しいだから、すぐに大切なことを話さない方がいいね。ボクのことを聞くといい。ボクは何でも答えられる」
「ふふ、それがいいな」


「レモーノは、前に、美しいと言いたいのは、僕の見た目だけじゃなくて、自分の心に満ちる光だって、言ったよね?」
「言った。幸せや嬉しいの方が、似てるかもしれない。でも、君の姿を見て感じることで、君といて感じる幸せとは、少し違うから、言葉も違うと思う。海を見て感じるのと、海で泳いで感じるの違い。月や湖の光は、形が変わるから、ミエルの色々な表情と似ているとも思った」
「そっか。じゃあ、美しいや綺麗にもなるね……僕もそれは、一言では言えないけど、レモーノが感じている気持ちはわかった」 

 ”大切”の言葉を教えたときの気持ちに似ている。レモーノの独特な感性には、僕の力では適切な表現を与えられない。海を見るときと泳ぐときの気持ちでは、感じているものは違う。海を見たときの気持ちも、美しいだけでは表しきれない、ざわめきやきらめきが心の内にある。

「レモーノは、僕の顔、普段は、どう思う? 月や美しい以外の言葉で教えて」
「ミエルの顔? 表情がたくさんで……ボクはキミを知りたいがたくさんになる。ボクは、キミが笑顔のときが一番嬉しいけど、たくさんの表情なのも、素晴らしいことだと思う。キミが生きていることや、たくさんの気持ちを感じていることがわかる」
「嬉しいとか、幸せとか?」
「うーん……でも、最近は、それだけじゃないかも……」

 

「ミエルとキスするようになって……キスしたい、は増えた……でも、いつもじゃない……キスをするのは、人が見てないときと、ミエルがしたいと言ったときだ。焦るときもある。泣いているミエルを見ると、ボクも悲しい。でも、知りたい、話したいが強くなると、ミエルに夢中になってしまって、焦る。嫌われたら、ボクを嫌いになるほどキミを苦しませたら、どうしようかと、怖い気持ちもある。たくさんとか、色々とかが似ている」

 僕とキスするようになって、感情の種類が育ってきたのだろうか。さっきも海辺で色んな人を見て、海で何をするものなのか学んでいたと言った。レモーノが恋愛に関する知識が一切ないという話は、本当のことなのだろう。とはいえ、僕もない。

「僕は、怖い気持ちを減らして、できることを増やしたい。レモーノには、僕と一緒にいて、安心する言葉を言ってほしい」
「わかった。ボクもそれがいい」
「あの、でも、僕は、君とキスやハグ以外のこともしたいんだ。もっと、君にふれられたい。気持ちいいことがしたい。でも、僕は、人とセックスしたことがないから、また、怖いって顔をすると思う。レモーノには、その理由を、話すときかなって、思うんだ」


「ミエル、その、大人の……セックスの……気持ちは、何て言う?」
「性欲のこと? セックスがしたい気持ち?」

 

「セックスがしたい気持ちは、人によって違う気持ちだね? 気持ちがいいことをしたいと、子供がほしいとある。ボクも、それは、知ってる。女性は、子供を産む人だから、気持ちいいことではないと思う人もいる。二人で楽しい時間を過ごすことと、気持ちいいことをすることと、子供を産んで育てることは、全部違う。ボクの知ってる話だけど、ミエルもそう習った?」
「僕もそう習った。レモーノは、その違いをどう考えてきた? セックスしたいとか、子供がほしいと思ったこと、一度もないの? 誰にもないの?」
「どちらも、一度も、誰にもない」

 

「ミエルの怖いの話の前に、話さないといけないことがある。ボクは、まず、考え方が変かもしれない」
「変?」
「感情と行動が、ミエルと反対かもしれないと思う」

 

「ボクは、ずっと、生き物を殺す仕事をしてきた。人の死を目の当たりにすることもあった。死ぬ恐怖は、勿論わかる。でも、生き物を仕留めるとき、可哀想だと思わない。狩りなら、少し嬉しい。それは、自分たちが生きるために、生き物を殺すのが普通の人にしか、わからない感覚だと思う。今日の食べ物がある安心感もある。ミエルはきっと、可哀想だとか、酷いことをしているとか、感じるかな? 違う?」
「そうだね、僕は猫がネズミを捕まえてても、可哀想だと感じるかな」


「だから、ボクは、人の感情を、特別に考えている。ミエルにとっての普通は、殺すなんて可哀想、お肉を得るために特別に殺している、だと思う。ボクにとっての普通は、お肉にできるから殺す、お肉にならないから殺さない、食べ物にしないのに殺すのは、酷いことだと思う。お肉にできるかどうかが頭にあって、可哀想とか考えないのが普通。迷ってたら、ボクがお肉になる。普通と特別が違う、はわかる?」
「君には、可哀想だと感じることの方が特別だってこと? 確かにお肉にできるかどうかは、レモーノの感情を必要としないし、狩りのときに迷ったら、獲物が逃げたり、やり返されたりするだろうね」
「そう。感情を考えるのは、ボクにとって特別なとき。可哀想と感じることが普通になってしまったら、生きていくことができない。行動があって、感情がある。でも、ミエルは、感情があって、行動を決めるのかな、と思う。可哀想と思うから殺さない。怖いと思うから逃げる。安心できるから話す。好きだからキスをする。きっと、セックスをすることにも、体のこと以外に、感情の条件があると思う。歩くのに左足から出すか、右足から出すかの違いで、あまり気にする必要はないことだけど、ボクとミエルは、反対だろうという話」
「ああ、わかる。僕は感情が先か……レモーノの言う通りだな……」


「今のは余計な話で、ボクは、セックスをしたことがないから、何も感じていない。ミエルが恋愛や性欲を怖いと感じているのは、ボクも知っている。キスも、恋も、キミがしたいと言ったから、最近は周りの人を見て、どうするものだろうと思っている。もうできる人を見て真似をしたら、キミを怖いや悲しいにすることも少なくできるかなと思った。料理をするのに、いきなり包丁を持たない、火を使わないの感じ。包丁や火を使う人を傍で見て、手の使い方を真似る。ボクは、料理の仕方を知ったのは、カフェで働いたり、ミエルの家に住み始めてからだ。それまで、作ってもらうか、お肉を焼いて、食べられる草を食べて生きていた」

 レモーノは手を開いたり閉じたりした後、包丁の柄を持つフリをして、僕の膝でリンゴの皮でも剥くような動作をした。それで時折、彼の心情が僕の理解の範疇を超えるのだなと思った。

「料理なら、やり方を間違えて怪我するのは、ボクだけだ。たくさんの人がキッチンにいるときは違うけど、料理は一人でもできる。でも、恋愛は、違う。一人ではしないかと思う。とても好きで、大切な人とする。恋愛は、感情が行動の先にくる、行動の先に他の人の感情がある、特別で不思議なことだ」

 本ではなく空を読むと、レモーノのような物の見方ができるようになるのだろうか。感情と行動のどちらが先かとか、恋愛は感情が行動より先にきて、行動の先に他の人の感情があるだとか、僕は考えたことがない。それなのに、すんなりと僕の意識に入ってくる。

「キミが恋愛や性欲を怖いと感じていて、理由も話したくない……これまでは、ボクが聞いてもわからないもあったね……理由を話さないことも、ボクはミエルが話したくないなら、話さないでいい。ボクは、キミがボクにしてほしいとしてほしくないの約束を守るだけ」
「面倒だと、思わないの?」
「嫌だな、面倒だな、迷惑だなと思うこともない。それは全部、感情が行動の前に来る人の、やらないの行動のための感情だと思う。嫌だから遠ざける、面倒だから後にする、迷惑だから避ける。違う? ボクが何をするかには、キミが喜んでほしい、嫌がることをしたくないの考えは、ある。ボクの感情は、行動の前に起きない。ないものを考えることはできない。感情が行動の後に来る人、感情を持つのが特別だと考える人だと思ってほしい。行動をするのか、しないのか、行動をするなら、その行動はしていいのか、してはいけないのかしか、考えていない」 

 ”感情が行動の前に来る人の、やらないの行動のための感情”という表現が痛いところをついてくる。

「セックスしたいか、子供がほしいかという話は、どちらも要らない。ミエルの家に住むまで、レモーノの家はなかったから、できないもあった。女性と会話することも、嫌いだった。ミエルとボクは、セックスしても子供はできないね? 気持ちいいことをしたいだけの気持ちだ。ミエルが怖いと思うから、ボクはしない。怖いと思っていたら、気持ちいいにならない。する意味がない」


「レモーノは、僕とキスとハグ以外の気持ちいいこと、してみたいと思わないの?」
「思わない。でも、したくないもない。キスと同じ。ミエルがレモーノと一緒にしたい、してみたいと思うことは、ボクもできたらいいと思う。ボクは知らないが多いから、したいことを考えるができない。ごめんね」
「そっか……謝らなくていいよ……僕もレモーノの中に性欲がないから、安心できるんだと思う」
「そう? 気持ちいいになる方法は、知ってる。ただ、それは、腕や唇よりも大切なとこにさわる。いいよって言われてない人が、さわっていい場所ではない。ミエルがいいよって言うなら、その、一緒にさわってもいい」
「色々知ってるんじゃん!」
「男女のセックスと、自分で体の世話をする方法は知ってる。男同士のセックスも、もう人に聞いた」
「……ふーん」 

 レモーノだって、成人した男性だ。友達だと思っているのは、ジルバノだけだと言っても、僕より交流の幅は広い。僕の知らないところで、彼が誰と何をしているかなんて、わかるはずがない。嫉妬心がぐつぐつと煮えくり返る。

「男女のセックスをしたことはあるの?」
「ない」
「男同士のセックスは?」
「ない」
「人の体にさわったことは?」
「生まれた国のハグと、メルバンカの握手と、ミエルとだけ。ボクの体にさわられることは、たまにある。ぶつかる?」
「本当に? 嘘はない?」
「あとは人以外の動物だけ。それは、あまり聞かない方がいいと思う。動物をお肉にすることだから、これからもお肉を食べたいなら、」
「ああ、うん、話さなくていい。僕が初めて? 僕は特別? レモーノが、他の人のこと、特別扱いするの、絶対に嫌。本当に嫌だけど……」

 

「嫌だけど、でも、君は、僕の喜ぶことばかりしてくれるから、それが、他の人としたことがあるからじゃないかって、思ってしまう。それが、それも嫌、レモーノに大切にされて、嬉しいのに、僕はそんなことばかり考えて、別に、キミが他の人と恋してたって、セックスしてたって、自由なのに」
「ミエルがそんなレモーノと恋するのは嫌だ、と思うことも自由だよ」

 冷たい声の響きに、レモーノを怒らせてしまったかと、全身から血の毛が引いて、体が震え出す。 

「今の言葉は、ひどかったね。大丈夫、ミエル、キミだけだ。怖いにさせてごめん。ボクでいいなら、傍にいる」
「う……っ……レム……がっ……レモーノが、いい……っ」


「ミエルは、ミエルだけの宝物が幸せの人だと、ボクは考えている。人も物も時間もたくさんの国で、それは本当に叶いにくいお願いだと思う。難しいお願いだとわかってるから、ミエルは他の人に言えなかった。願ってはダメのように思ってる。違う?」
「あってる……」
「自分だけを特別にしてほしいと、願っていいよ、ミエル。ボクにとって、ミエルが初めての気持ちを感じた人だ。本当に特別な人。嘘はない。他の人のやり方を見て、話を聞いて、ミエルも喜ぶかなあと、真似をしたことはある。ボクは何もわからなくて、たくさん間違えて、キミをいっぱい悲しいにさせている。キミしか、キミのことも、知らないからだ。ミエル、ボクはキミだけだよ。ミエルが嫌なら、ボクはこの世界の人を全員お肉にして、猫のごはんにしてもいい」
「絶対ダメ。僕以外の人にさわらないで。そんなことに時間を使わないで」
「そうだね、二人で楽しいことをした方がいい」

 

「僕がこうしてほしいって言ったら、レモーノはその行動をできるかだけ考えているということ? その行動をして、僕が喜んだら、レモーノの中に感情が起こる? 行動する前は、僕の話を聞いてるときは、何も感じてない?」
「そう。ミエルの言葉を聞いて、意味を考えるので、とても忙しいとは感じている」

  

「怖い理由、話したい? ボクともっと他のことがしたい? ボクはミエルが嫌だと思うなら、怖い理由を話さなくていいし、今でもとても幸せ」

 

「僕は、レモーノと、キスやハグ以外の、気持ちいいことがしたい」
「うん」
「でも、僕は、色んなことが怖い。レモーノは、僕が怖いと感じているの、すぐにわかる。わかって、やめてしまう。人と話すのも、自分の気持ちを話すのも、君が相手になってくれて、できるようになった。気持ちいいことも、できるようになりたい。怖いの理由も、君に話したら、怖くなくなるかも」


「そうだね、やりたいことが、できるかわからないことの方が、怖いかもしれない。やってみて、できなかったら、やめてもいい。でも、ミエルには、言った方がいいかもしれないと思うことがある」
「何? 話してほしい」

  

「ミエルは、ボクが好きだから、キスや気持ちいいことをしたいと思うかもしれない。でも、気持ち悪いになったら、ボクがキミを嫌いになるかもしれない。その怖いもある?」

 

「前に、キスしたいの話で、キミがした話。レモーノをキスしたいと思うミエルを、気持ち悪い、嫌いだと思うかと、キミはボクに聞いた。ボクは、二人で気持ちいいことをできるか、できないかと、ミエルを好きだ、一緒にいたいと思うことは、関係がない。気持ちいいことができないからと言って、嫌いにはならない。何が好きか嫌いかを決めるのかは、よくわからないけど、キミと他のことをするのでも幸せだから、嫌いにならないだと思う」
「僕より僕のことわかってるね、レモーノは。そっか、セックスして気持ちよくなれないこと、それで君に嫌われてしまうことが、僕は怖いんだ……」

  

「セックスできなくても、レモーノは幸せ?」
「うん、幸せ」
「でも、僕は君と気持ちいいことがしたい。キスと、同じ。レモーノに、ふれてほしい」
「わかった。一つだけ怖いを話して、一つだけ気持ちいいことをしよう。ミエルができそうなことからでいい」
「うん」


「僕の顔、他の男性より、綺麗なんだ。子供が持ってる、人形みたいに」

 

「だから、かな、人は、僕を、人形のように、思うんだ。心が、なくて、遊ぶための、おもちゃ、みたいな」
「……ああ……にんぎょう……それで、ミエルに服の話をすると、嫌な気持ちになる? 服を変えて遊ぶ人形がある」
「そう、かも。そう。母が、特に、そうだったんだ。僕に、色んな服を作って、着せたがった。サラにも。でも、母が僕に作るような服は、サラの方が、好きだった。昔はね」
「朝も話したことだ。母には美しい人でいてほしいと言われた」
「そう」


「母には、好きではない服を着ろと言われた。サラには、僕ばかり可愛い服でズルいと言われた。たまに帰ってくる父には、性別にあった格好をさせろ、気持ち悪いと言われて、母も僕も怒られた。妹は叱ると父の腕に噛み付くから、怒られなかったけど……よく僕の服も着てたしね……」

 

「でも、写真を見ると、わかる。母は、僕にも妹にも、それぞれに似合う服を作ってた。子供の頃の僕は、知ってるだろうけど、異様に可愛いんだ。可愛いと言われたり、顔を羨ましがられたりが、僕は本当に嫌だった。こんな顔、僕はほしくなかった」
「それで……可愛いや美しいは、嫌だと言った……服は選べても、顔は選べないね……顔の話をしても、あまり楽しくない」
「そう、でも、言わないでほしいと言えたのは、レモーノだけ。君だけが、褒められても、僕が喜んでないことに、気付いてくれたし、自分の言葉が悪いと思ってくれた」

 

「前に君が紅茶で例えた話があったね。喜んでほしいと思って作られたものの前で、いらないと言えるかと、君は聞いた。言えるわけがない。可愛いという言葉、似合うと思って作られた服、実際に可愛い僕と、可愛い服。喜ばない僕だけが、おかしかった。僕とこれまで僕の周りにいた人は、言葉はわかるけど、気持ちはわからない、伝えられない関係だった」

 

「だから、僕は大きくなってから、いつも同じ、白いシャツと青いズボンを着てた。髪も伸ばして、眼鏡もかけて、顔を隠した。ダサいとか、汚いとか言われるようになった。女性は、色んな服や凝った服を着るのが、オシャレだと思う。そうでない人は、醜いんだ。美しくても醜くても、嫌な目にしか遭わない」
「ミエルは、周りを怒った?」
「怒ったら、よかったかな? 怒らないから、何をしてもいいと思われた。汚いから洗ってあげるって、よく水をかけられたよ。折角伸ばした髪を無理やり切られたこともある。レモーノと、一緒だね。なんで、汚いとか臭いとか、他人に向かって言えるんだろう。嫌なら離れていればいいのに、なんで無理矢理、自分たちの良いように変えてこようとするんだろう」
「ミエルを人形だと思う……やっとわかった。それは、とても恐ろしいことだ。なんてひどいことをするんだ。ひどすぎる」 

 レモーノは顔をしわくちゃにすると、少し力を入れて僕を抱き寄せた。ただそれだけの慰めを、誰もしてくれなかったな、と思った。

「でも、今は、レモーノのためなら、オシャレもしたいなって思う。君が僕を美しいと言うのも、素直に喜びたかったんだ。美しい人だって、レモーノになら、思われたい。着てほしいなら、さっきのワンピースも、着てもいい。怒って、やめてって言って、ごめん……」
「ごめんではない。ミエルの苦しい過去を知らずに、ボクのしたいことだけを言った。でも、あのスミレの絵のワンピースを見たとき、着ているミエルが見たいと、思った。それだけだから、着るのがつらいなら、着なくていい。服の話も、顔の話も、してほしくないなら、話さない。要らない紅茶を我慢して飲まなくていい」

 そうは言っても、レモーノが淹れた紅茶なら、我慢して飲んでしまうのだろう。

「でも、見たいんでしょ? 僕のワンピース姿」
「……」
「本当のことを言って」
「見たい、とても見たい」
「二人きりのときなら、着てあげる。誰かが見てるとこでは着ない。君が僕に着てくださいってお願いして、僕を見て喜んでくれるなら着る」
「いいの?」
「いいよ。僕だって、君の喜ぶ顔が見たい。君が喜ぶことをしたい。レモーノのためだけ」
「ありがとう。でも、二人で選ぼう。ミエルの絶対に着たくないの服を買うのは、意味がないから。ボクは、ミエルに、色々な服を、着てみてほしい」


「話を、戻す。つらいことで、ごめん。確認したい」
「いや、大丈夫」
「ミエルがつらいのは、ミエルには心がない、何をしても怒らない、悲しいでもないと思われること? それは、誰でもつらいことだけど、えっと、ミエルにとっては、見た目や服の話で、やめてと言えない、周りもやめなかった、とてもつらかったと話した。合ってる?」
「合ってる。レモーノは僕に、ただ色んな服を着てほしいだけだと思うけど、僕は服の話になると、嫌な気持ちや怖い気持ちを思い出してしまう」
「わかった。気を付ける。ボクは、服の話が好きだ。生まれた国やメルバンカと違って、厚いとか短いとか、色んな服を着られる国だ。ミエルに着てほしいと思う服、実はたくさんある。大丈夫かを確認してから、話したり、買ったりする」
「なるほど……生まれた国では薄着になれないし、メルバンカでは厚着になれないんだもんね……」 

 メルバンカではともかく、生まれた国では服があったのだろうか。獣の皮とかを使っていたのだろうか。メルバンカを経て変わったかもしれないが、全体的にレモーノは毛が深かったかもしれない。髪の毛も絵本に出てくる羊のようであたたかそうだ。

「ボクも同じワンピースを着たらいいのかな。二人で同じことをしたら、ミエルのつらいを減らせるかもしれない」

 レモーノがワンピースを着たら、面白いことになりそうで、僕は必死で笑うのを堪えた。僕の苦しみに寄り添っての提案で、彼の中にはおそらく、男性が可愛い花柄のワンピースを着るものではないという感覚はないだろう。

「二人の体に合うサイズのワンピースなんてあるかな……」
「同じ布を買って作る」
「本気だ……」
「あっ、でも、ミエルは人が自分の服を作るのも嫌だね?」
「いや、二人一緒の服を作るんでしょ? それならいいよ。レモーノだけが見るなら、どんな服でもいい。君だけは、僕に可愛いとか美しいとか言っていい」

 

「レモーノ?」
「ごめん、なんだか、ミエルがとても可愛いと思った。今まで、可愛いを言ってはダメだと思い続けていたから……」 

 割とよく言っていたと思うが、嬉しそうなレモーノを前に、意地の悪い言葉は、喉の奥にしまいこんだ。これからはお互いもっと自由に、のびのびと会話できるようにしよう。

「ボクも、ミエルに似合う服を作りたい。写真のミエルもサラも、本当に可愛かった。ミエルのお母さんは、子供を可愛いにする天才だと思う。その服がミエルは嬉しくないだったけど、えっと、お母さんの服を作る力はすごい。ボクはお母さんの服を作る能力を尊敬している? ミエルに似合って、ミエルも喜ぶの服を作りたい。今のボクは、ミエルの気持ちを聞けるから、多分できる」
「言いたいことはわかるよ、ありがとう。きっと、母が生きていたら、そう思われることを喜ぶよ」 

 そもそも僕も、自分の気持ちを伝える方法を知らなかった。男だからと泣くことも許されず、妹のように父の腕に噛み付く勇気もなかった。レモーノのように、この国に男が可愛い服を着るのはおかしいという考えがなかったら、僕ももう少し母の作る服を喜べただろうか。
 いや、素直に自分の願望を伝える方が現実的だろう。レモーノは、冷たい炭酸水がほしいと言うだけでいい相手だ。裾の長いシャツくらいの長さにして、ズボンを履かせてほしいと言おう。

「ねえ、レモーノ」
「ん?」


(※やや性的な接触をしているので、noteでは省略します) 


 問いかけながら、どう答えられたいだろうと不安が過ぎる。そして、レモーノもその不安を察した顔をする。やりづらい。僕では、レモーノの鋼の理性と透視級の洞察力を説得するだけの自信がない。 

「あの、えっと、一緒に、お風呂に入るのは、どう? ボクは、やっぱり、少しずつ、できるを増やしたい。ミエルが、水着でも、ボクはずっと焦っていた。ボクが焦ると、ミエルは悲しいになる。お風呂なら、全部脱ぐの、理由が、違う……その……」
「名案だね。そうしよう。焦らせてごめん」

 

「レモーノ」
「ん?」
「ありがとう、いつも。賢い判断で、行動を考えてくれて。できることは、少しずつ、増やしていこう」
「大丈夫だった? ボクはまた自分のいいように言ってしまったなと思った」
「うん、大丈夫。僕も言いたいように言えているから。二人で言い合ったら、ちょうどいいところが見つかるよ」

 

「お風呂に入る前に、課題を終わらせてくるよ。食事も行こうか」
「それがいい。ボクは少しそこにいる」
「じゃあ、キスしてから行って」

 

「ミエル」
「ん?」
「あいしている。ボクはキミだけをあいしている」
「あ……う……」
「その反応、前にもしたね。キミに初めて美しいと言おうとしたときだ」
「ちょっと黙って!!」

 

「あ……違う……違うんだ、レモーノ……」
「大丈夫。ミエルが嬉しいと思えなくてごめん、怒ってごめん、雰囲気を壊してごめんと言うのも知ってる。言わなくていい。思う必要もない。今なら、ミエルに言うときかと思って言っただけだから、気にしなくていい」
「うん、愛してるを使うタイミングは、合ってるよ……」


「でも、あいしてるの言葉とミエルの強い悲しみは、つながってる。美しいや可愛いと同じ。キミがボクに言うときも、いつも苦しい声だ」
「良い意味の、言葉なのにね」
「使う人と聞く人が、良い意味だと思う必要がある。言葉は、いくらでも変えられる。違う言葉にしよう。大丈夫だよ、ミエル。キミの気持ちが、ボクには何よりも大切なんだ」

 

「ボクにいつでも、苦しみや悲しみを分けてほしい。聞きたくない言葉を言ってごめん。キミが楽をして、長く生きることが、ボクの幸せだ」 

 レモーノの生まれた国の愛情表現だ。好きだ、愛してるよりも、こっちの方がいいなと思ってしまう。 

「レモーノ……ありがとう、いつも……本当にありがとね……」
「うん」
「課題を早く終わらせる。美味しいものを食べて、一緒にお風呂に入ろう」
「それがいい。お気楽にね」

 

次の話


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