🍋🍯本編　第一部第五章　僕と君で思っていることが違う（1）

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　向かいの道をレモーノが台車を押して歩いているのを見掛けたので、僕は名前を呼んで、軽く手を振った。彼は僕の声にすぐ気付いて、台車の速度を緩めて、手を振り返してくる。
　合流できないかと思ったが、レモーノの陰から誰かが顔を覗かせた。公園のカフェで働いているコスミだった。彼女も手を振って応えてくれたが、僕は自分の行動を後悔した。 

「馬鹿な真似を……」 

　手を下げて、すぐにその場を立ち去ったので、二人がその後どうしていたかは知らない。レモーノは台車を押していたから、カフェに食材を届ける道すがらだろう。行き先が同じで、レモーノに想いを寄せているコスミには、話をするチャンスだ。レモーノはコスミの想いに気付いているのだろうか。二人はどこまで親しくなったのだろう。

「僕には、関係ないだろ」

　家の玄関で蹲って、膝を抱えて顔をうずめる。
　僕の知らない言葉で話しているのだろうか。それとも僕の教えた言葉で話しているのだろうか。どっちにしても関係のないことなのに、僕の胸は裂かれるように痛む。 

「この前は、ごめんね」
「何にごめん？」
「あの、二人で……いや、仕事の邪魔して……」
「ミエルは、いつの話をしているか、わからない」
「コスミと、歩いているときに、僕がレモーノを呼んだとき」

 

「手を繋ぎたい。できる？」
「できる。僕も、繋ぎたい」

 

「まず、ボクはわからないと思うことを、ミエルに聞く。ミエルは、合ってるか、違うか、話せないかで答えてほしい。できる？」
「うん……」
「レモーノは、仕事をしているときに、ミエルに挨拶をされて、ミエルを仕事の邪魔だと思った。ミエルは、そう考えている？」

「考えている」
「そう……」
「ごめん」 
「ごめんは、言わないでほしい。ミエルは悪いことをしていない。ボクは怒っていない」

「それから、ボクは、ミエルに挨拶されたとき、仕事の邪魔だとは思っていなかった。キミが元気そうで、嬉しかった。ミエルと話したいのに、仕事は邪魔だと思った。このボクの考えは、話さないとわからないね？」
「レモーノ……そうだね、話さないと、わからない……」
「最後に、ボクは挨拶を間違えた？　ミエルが邪魔だと言っているように聞いた？　声は出してなかった。見た？」
「ううん、レモーノは、間違えてないよ。僕が、コスミとの話や仕事を邪魔したかと思った。挨拶だけで、話さなかったから」
「そうだね。ミエルは、いつも邪魔ではない。ミエルと話すことは、ボクにとって、とても大切なことだ。ボクはどう思ったか、ボクに聞いてくれてよかった。これからも聞いてほしい。わかる？」

 

「どうして泣いている？　ボクは嫌なことを言った？」
「言われ、たこと、ない……からっ……」
「ボクは嫌なことを言った？　どれ？」
「ううん、嫌なことを言ったのは、レモーノではない。ずっと、僕は、邪魔だって、他の人から、言われてて」
「他の人は、ミエルを仕事や話の邪魔だと言った……」

 

「そういう人もいる。なんという？　本を読む、料理をするときの気持ち。人と話すことや他のことをするはできないとき」
「集中する」
「しゅうちゅうするときに、話しかけられる。失敗する。忘れる。怪我をする。そしたら、話しかけた人を怒ることはある。しゅうちゅうの使い方は合ってる？」
「半分合ってる。集中しているときに、話しかけられたら、話してかけてきた人を怒ることもある」

 

「でも、ボクはミエルを邪魔だとは思わない。食べ物を運ぶの仕事は、周りを見ながらする仕事だ。集中する必要はない。声をかけてくれて嬉しかった。それは、大丈夫？」

 

「大丈夫ではないね。ミエルが話せるまで、少しボクの話をする」

 

「ミエルと話したい。その気持ちは、ボクの頭の中で大きい。理由は、ボクもわからない。ボクは、たくさんを良いことと思う人ではない。また会いたい、長く話したい、幸せでいてほしい、そう思う人は、ミエルだけだ」 

　レモーノの気持ちは、わかるようでわからない。 

「でも、ミエルを強く思うほど、他のことが邪魔に思えてくる。暫く、そのことは悩んでいた。難しい」
「そうだったね。レモーノは、自分の気持ちがわからないと言った」
「今も、わからない。ボクは、キミと出会うまで、ボクの命を生きることが、一番大切なことだった。仕事をして、お金をもらって、服と食べ物を買う。他の人が、どう生きる、興味がない。ボクはスフィリットの人と話せない、普通のことだった。話せなくて悲しい、キミが苦しかったらボクも苦しいと思ったのは、ミエルだけだ。でも、ミエルはボクといる時間をどう思うか、ボクは知ることができない」

 

「長く住むの紙を書く前に、キミがいない、ボクの命に集中する人生と、キミと一緒にいて、焦ったり、困ったり、悲しんだり悲しませたりする人生の、どちらを選ぶのか、ボクはたくさん考えた」
「レモーノは、この家に住むとき、結婚式をするかって聞いたよね？　大切な決断だと考えていたの？」

 

「ミエルは？　大切な決断だと思わなかった？　ああ、キミはボクにネックレスを返せばいいだけか……」
「レモーノほどには……悩まなかった……僕は、君といることしか考えてなかったから……」

 

「酷いことを言ってもいい？」
「……何？」
「ミエルは、自分の手？　足？　すぐ近くが見えていない人？　それとも、もっと近くしか見えていない？　他の人の気持ちや過去の苦しみを見ることはできても、今、目の前にある大切なことが見えていない。ボクにはそう見える」

 　言葉を覚えてきてから顕著になってきたが、レモーノは痛いところを臆せず突いてくる。しかし、聞こえのいい褒め言葉よりも、彼への信用は上がる。正確に言えば、言葉の意図が見えない苦しみが減る。

 「レモーノの、言う通りだ。僕は自分の手元が疎かになってる。今と向き合うのが嫌で、過去の苦しみの中にいるのかもしれない。今ここにあることを、大切にできていない」
「ミエルも。まずは、ミエルを大切にする」
「そうだね」

　しかし、自分を大切にするとは、どういうことだろう。僕は恵まれた環境にいるし、本を読んだり、大学に通ったりして、色んな知識を得られている。
　それなのに、レモーノと比べて、僕は幼稚で、未熟だと感じる原因はなんだろうか。人付き合いが苦手だからだろうか。すぐに平静を失い、節度を欠いた行動をしてしまうからだろうか。それらは全て、原因ではなく、結果だ。 

「落ち着いた？」
「うん……」
「一つ聞いてもいい？　辛いかもしれない。でも、本当の答えを教えてほしい」
「何？」

「ミエルは、大学にいるとき、ボクに挨拶をされたら、迷惑と思う？　ボクは、汚い労働者だ。貴族ではない」