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レモーノとミエルの「自分の力を相手のために使う」の違い

※公開している範囲のネタバレを含みます。


ミエルは、レモーノと出会った頃、人生初の喪失を味わっていました。
両親の死、特に母親の死ですね。
親子関係の如何を問わず、やはり両親を喪失することは、哺乳類であれば大きな衝撃でしょう。
鳥類にも子育て期間があるので、喪失という感覚はあるのかもしれません。

何かに満たされるどころか、茫然自失のところに、レモーノとの出会いがあります。
レモーノとミエルの相性は、運命的なもの(感情的に結ばれた関係)と設定しておらず、出会ったときが需要と供給を一致させられるタイミングだったと設定しています。
ミエルは、自分の身に余る生活をどうやりくりしたらいいのか困っていましたし、レモーノは、一人で野営ができるので、スフィリットのようなインフラの整った環境では、生存能力が有り余っていました。
二人の感情的な繋がりは、時間と手間をかけて積み上げられたものを描く予定です。

ミエルもレモーノも、同性愛者ではありません。
同居を始めた理由は、第四章から第五章に描く予定ですし、なぜ私がこの物語をボーイズラブだと分類しないでいるのかは、第六章以降に描きます。
手の内を明かすのが趣味なので、簡単に言うと、私が「人生を共に歩むにあたって、相手に向ける“感情”や“欲望”は、その日吹く風のようなものに過ぎないのではないか」と思っているからです。
人間関係の構築とは、その吹き付ける風によって、心の芯のようなものが冷やされたり、火傷させられたりして、互いの心が死んでしまわないように、小屋を作るような作業なのではないでしょうか。

感情や欲望の風に揺るがない小屋を作るには、何が必要ですかね。

まずは、既に作られている自己愛の小屋を出ることか、相手を招き入れることでしょうか。
ミエルの方が対人恐怖症に描いているために、自己愛の壁が高いように読まれている方もいるかと思いますが、逆です。
レモーノの方が、むしろ、頑強に作られた自己愛の小屋を持っています。
ミエルは、周りから色々指図、干渉されて、心の中に何があって、何が建っているのかもわからない状況です。
どのような条件下でも生き延びてくれるような自己愛がないので、生まれた家を出る、親と離れる、他の人と接するなどのことが怖いんですよね。

自己愛とは何も、「自分が好き」「自分は素敵」のような良い面を褒めることだけではなく、どのような環境においても、最初の選択肢は、迷うことなく、「今の自分を生きる」になることではないかと、私は考えています。

最初の関係は、レモーノの頑強な自己愛から生み出される、「ミエルはいつも辛そうにしている。その理由を知りたい。何か力になれないだろうか」の気持ちから始まります。
「人の力になりたい」は、大きく二分すると、「相手の役に立つかは知らないが、自分にも力はあるのだから、使える先がほしい」か、「相手から役に立つと思われて、居場所や信用を得たい」かのどちらかかと思いますが、レモーノは前者、ミエルは後者です。
ミエルは「言葉を教えることで、自分も役に立つと思われたい」と思い、レモーノは「言葉を覚えることで、自分がミエルの力になれるか知りたい」と思っている。
「自分の力を相手のために使う」と同じ動機にありながら、ミエルは、理想的な状態(役に立つと思われること)に重心を置き、レモーノは、現実的に可能なのか(どんな助け方ができるか)に重心を置いています。

最初は、恋愛感情の認識ではありません。
後になって「一目惚れだった」と認識を改めるのですが、「相手の力になりたい」が果たして恋愛感情なのかというと、私は違うと思っています。
あくまで「自分の力を使える先がほしい」という自己愛の延長、拡大です。

一応、弁明をしておきますが、私は自己愛を確立することをよかれと思っています。
自己を生かせずして、他者を生かせるものなのでしょうか?
ミエルのように「人から役に立つと思われて、居場所を得る」人生観になりませんかね?
それはそれで一つの生き様ですが、巡り合わせ次第では、役に立たせてくれる相手の道具に成り果てそうですね。
私たちは、常にどのように在っても、なぜだか地球という居場所があります。
居場所がなくなるときは、誰かの胃の中か、土の下か、オゾン層の向こう側です。
誰かの役に立つ前に、ご自身を精一杯生かして、思う存分ご自身を満足させてください。
「自分を生きるのには余裕出来てきたし、ちょっと人のことも助けるか!」くらいのノリでいいんじゃないでしょうか。

ミエルは、友情にも恋愛感情にも難を抱えていますし、第二章でレモーノに言わせた通り、仕事の関係から始めさせました。
第一部の段階では、ミエルがレモーノの自己愛の小屋に身を寄せる関係までにしかならないと思います。
二人の間に関係を築くには、ミエルの自己愛が弱すぎますし、レモーノの自己愛が強すぎます。
言い換えれば、ミエルが一人の人間として「自分が生きるのに必要だ」と選ぶ力が弱く、レモーノが一個体の生き物として「自分が生きるのには必要ない」と選ばない力が強い。
「二人(一人と一人)で生きる」の段階には、第一部では到達しません。
ただ、二人とも「自分の心が死に始めている」「このまま一人きりで、誰とも心を通わせずに死ぬのか」と無意識の恐怖を感じていて、「相手なら身の内に住まわせても危険ではない」と手を取ったのが、第一部です。
ミエルがレモーノと物理的に共に暮らす中で、己の心の掃除をして、レモーノの自己愛の小屋を出て、自分なりの小屋を建て直して初めて、二人はレモーノとミエルの愛の小屋を建てられるのだと思います。

2024年3月20日に第三章の有料記事化(仕上げ)と第六章の途中経過の公開を行います。
二人の物語を見守っていただけると幸いです。


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