🍋🍯本編　第一部第六章　熱い紅茶はいらない（3）

初めてお越しの方は、下記の記事をご一読ください。

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　翌朝、僕は珍しく早く目が覚めた。昨日、レモーノと話して、彼の過去とこれまでの行動の理由がわかって、安心したからだろう。寝覚めも今までになくスッキリしていた。
　レモーノも同じように、いつもなら起こしに来てくれるところを、まだ隣で眠っている。夜は眠らないと話していたし、長くもだが、恐らく深くも眠れなかったのだろう。過酷な幼少期を経て、流浪の旅を続けていたら、浅い睡眠習慣にもなる。緩みきった彼の寝顔に、これからはずっと安眠できることを願った。

「レモーノ」
「んん……ミエル……」
「おはよう」
「おはよう……もっと傍に……」 

　一歩間を詰めると、レモーノは気怠そうに微笑んだ。

「もう起きる？」
「今日は仕事ではない。ミエルは？」
「僕も休み」
「ボクも休み」

 

「ミエルは、すごいね」
「何が？」
「キミがいると、ボクは何でも覚える。二人でベッドで眠る、初めての感じだ」 

　僕は何もしていないが、レモーノの感動を損ねるのも野暮な気がして、黙って頬を撫でた。メルバンカでも、ずっと寝てなかったのだろうか。
　彼の眼差しが、だいぶ喧しいが、それでももう、恐怖や嫌悪は感じなかった。散々僕の恐怖を薄めたいと話した彼は、今とても嬉しそうなので、きっとそれが伝わっているのだろう。

「昨日は、ボクの話、たくさんすぎたかな？」
「確かに、たくさんだったね。でも、そのおかげで、レモーノが怖くなくなったよ。君はずっと傍にいて、僕と話したいと言うのに、なぜ僕らが恋愛関係にならないのかの疑問も解けた」
「この前、ボクがキスすれば、もっと簡単だったね。好きだ、恋人になってほしいと言えば、この国の生き方をわかってる人なら、それでよかった。でも、ごめん、それはボクが許さないだった。ミエルが安心すること、ボクに嫌なことは嫌だと言えること、ボクはそれが、何よりも先にしたかった。したいことは、その後でする方が、きっと喜びも大きい」 

　レモーノの方が、余程恋愛をわかっているような気がしてしまう。恋愛があると思い込んで、いつかはできるようになるものだと、覚えることに手を抜くから、恋の仕方を間違えて、相手のことを傷付けてしまうのかもしれない。恋愛だって、元はと言えば、人との信頼関係の構築だ。

「いっぱい悲しいにさせて、ごめんね。まだ、これからも、悲しいになるかも」
「うん……僕も臆病だから、悲しいになりやすいんだ。でも、レモーノが傍にいてくれるなら、大丈夫になれる。僕も君がいてくれて、できることが増えたよ。君に助けられることも、たくさんあった」
「そう……悲しいだけじゃなくて良かった」

  

「今、抱きしめてもいい？　上だけ、脱いでほしい。はずかしいなら、布団で……隠すから……」
「うん……まだ、その方がいいな……」 

　布団を肩までかけてもらって、パジャマの上着を脱ぐ。そこまでしなくてもいいのに、レモーノは皺が寄るほど目を強く瞑っていた。悪戯心を擽られた僕は、彼の鼻先にキスをした。瞬く間に、彼の頬は赤く染まった。

「可愛いなあ、レモーノは」
「可愛い？　ありがとう」
「ふふ、可愛い。目を開けて。僕を抱きしめて」 

　レモーノは瞼を上げたが、今度は眼球が零れ落ちそうなほどに開ける。何かを言おうとして口も開くが、無意味な音を羅列するばかりだった。ただ一言、聞き慣れない言葉を発した後、目の縁に涙を浮かべた。

「レモーノ？」
「あ……いや……悲しいではない……言葉に、できない……」
「今日はレモーノが壊れそう？」
「壊れそう。本当に」
「じゃあ、ハグしよう」
「完全に壊れるかもしれない」 

　そう言いつつも、僕らは互いに腕を伸ばす。レモーノは、生まれたてのひよこでも持ち上げるかのように、恐る恐る僕の肌にふれた。そんなさわられ方をしたら、普通はくすぐったいだろうに、僕の感覚はいたって冷静だった。僕の眼鏡を手に取った日のレモーノも、確かこんな風だったな、と考える余裕があるほどだった。

「ごめんね、レモーノ」
「何を謝っている？」
「僕の怖いを、昨日、君に移したみたいだ。君にふれられると、僕はすごく安心する。でも、君は僕にふれると、すごく緊張してる」
「ふふ、そっか……ミエルの怖いが、ボクに移ったのか……謝らなくていいよ。嬉しくなってきた」
「嬉しい？」
「とても嬉しい。ずっと願っていた。キミがボクで楽をすること」 

　独特な感性だ。
　レモーノは僕を少し強く抱きしめると、自分が下敷きになるように体勢を変えた。 

「キミは昨日、はだかで抱きしめる、と言ったね」
「裸は、一枚も服を着てないこと」
「今は半分はだか」
「そうだね」 

　裸という言葉を教えながら、レモーノに恋愛経験もないとなると、その手の言葉をゼロから教える必要があるのだろうか。いや、本当に経験がないかもわからないし、僕が下手に教えるよりも、彼の愛情表現は豊かだ。いっそ下世話な言葉なんて、覚えないでほしいとさえ思う。

「半分、裸で、人とハグすることがあるなんて」
「レモーノの生まれた国では考えられないね」
「本当に。生きている人の体をさわるのも、久しぶりだな。気持ちがいい、とても……ミエルは？　痛いや苦しいはない？」
「大丈夫。レモーノこそ、重くないの？」
「重くない。もっと重くなるといい。楽をしてほしい」 

　もう少し安定する場所を探して、僕は力を抜いた。

「嬉しい、ミエルが今日も生きている」
「僕も、嬉しいよ、レモーノ。今日も君に会えた」
「そうだね、ボクも幸せだ。キミに会える朝は、とても幸せ」 

　なんだかもう一度寝てしまいそうだ。レモーノの目も半分落ちかけているし、呼吸もだいぶゆったりとしている。昨晩、レモーノが話していた、相手の命を感じるだけでいいとは、こういうことだろうか。呼吸の一つが、なじんでいく肌の感触が、ただ素直に愛しい。 

「君相手には、想像しにくいけどさ」
「ん？」
「喧嘩しても、僕が嫌がってるように見えても、これだけはしてほしい。一緒に寝て、朝、おはようってハグするの」
「ミエルが嫌がってるように見えても？」
「うん……多分……レモーノが嫌なんじゃなくて……その……話せない……」
「わかった。何があっても、一緒に寝て、朝、おはようのハグをする。話すのがつらいことは、話さなくてもいい」

　少しだけ抱き寄せる力が強くなって、大丈夫だと囁かれる。すっかり泣き虫の甘えん坊扱いだが、深入りされることなく、お願いを許容してもらえることが嬉しい。我儘なのに、お願いを言うのが、まだどうしても苦手だ。

「うーん」
「どうしたの？　眠い？」
「いや……歯を、みがく……ミエルとキスしたい……それに、朝ごはん……この後の順番を考えている」

　キスは歯を磨いてから、その発想にチリッと胸が焼ける。

「ねえ、それ、誰のルール？」
「ルール？」
「レモーノは、キスしてくれないことを怒った人がいたんだよね？　最近のこと？」
「何の話……ああ、キスまでの順番？　キスのルール？」

 

「えっと、それは、大切な話、だね？」
「……うん」
「ここで話してほしい？」 

　きちんと話すなら、仕度を終えて、朝ごはんの後にでも聞いた方がいいだろう。でも、僕の幼稚な心は、今ここで説明しろと泣き喚く。

「どうしたの、ミエル。どこか痛い？」
「なんで、しょもな、ことで…っ、いい、空気、こわし…っちゃ、たんだろ…っ」
「痛くはない？」
「胸、は…っ…いたい…っ」

 

「無理に止めないで。泣いても大丈夫。何をしても大丈夫。しなくても大丈夫。ミエルは悪くない、大丈夫だよ」
「レム……っ……く……」
「キスの話、ミエルは何か、つらいことを感じるだね。ルールと言った？　昨日もちょっと怒っていた。落ち着いたら、少し話そう。ボクは話せる、大丈夫、我慢しないで」

　背中を撫でてほしいと頼むと、レモーノは恐る恐るふれた。ほとんどそのまま手を乗せられるだけで、その手際の悪さが今は丁度良かった。