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🍋🍯本編 第一部第二章 空の色は美しい (2)

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初めてお越しの方は、下記の記事をご一読ください。

※注
・当話において、ミエルの過去の記憶に伴う、心身の不調が出ています。心身の健康に難を抱えている方、または強い不安を抱えている方の購読は推奨しておりません。
・当話以降、ミエルの過去をレモーノに話すにつれ、ミエルの心身の不調は顕著になります。不幸な結末ではありませんが、共感の強い方は、読む環境などにご注意ください。
・読んでいる際に、心身に影響が出た場合、直ちに読むのを止めてください。



 週末と月曜日は、亡霊のように彷徨い、次の火曜日、僕は重い足取りでカフェに向かった。しかし、店員と食材の受け渡しをしているのは、レモーノではなかった。

「あの――」
「ごめんなさーい! 開店はまだです!」
「いえ、お店で働いている方のことで、質問があるのですが、お時間よろしいですか?」
「はい! 私で答えられるなら!」

 僕はテラス席の掃除をしている店員に声をかけた。彼女がジルバノだろうか。ジルバノはうるさくないという評価だったが、割と溌溂として、声をかけるのを躊躇うような、派手な風貌だ。僕に自由奔放な妹がいて、その店員さんが女性だから話せるようなものだ。
 ジルバノだったら、レモーノの名を出す方が話は早そうだが、深入りされても困るので、差し障りのない質問を考える。

「此方のお店に、お肉を届ける方を知っていますか? 確か、火曜日には来ていると聞きました。見た目は、ふわふわの金髪で、肌が白くて、僕と同い年くらいの男性です」
「レモーノさんですね!? あ、ホントだ。今日は違う人だ……配達の人は、入れ替わりが激しいんすよ。担当がレモーノさんじゃなくなるのは、惜しいなー……心のオアシスが……彼に何か用でしたか?」
「カフェにした忘れ物を届けてもらって、御礼が言いたかったんです。ここで働いているような話を聞いて――」
「えっ! それはうらやま――良かったですね! レモーノさん、かっこいーですよね! 時間も軽量もきっちりで、肉切るのもすっごい上手なんですよ! サンドイッチ作るのが楽! 他の人と全然違う! レジからお金ぶん取ったり、コーヒー豆盗んで逃げたりしないし! 何ならコーヒー飲んでってくれるし! あーあ、でももう会えないのかなーやだー」
「気を落とさず……質問に答えてくださって、ありがとうございました。少し、外の席を借りてもいいですか? 開店したら、注文するので」
「はい、どうぞ! あっ、そうだ! 店長に店ン名前聞いてきますね! てんちょー! レモーノさんの店の名前教えてってー!」
「いや、あの、お構いなく」

 肉屋はどこにあるかも知っているのだが、店員たちの厚意を無碍にもできず、僕は店の名前と簡単な地図の書かれたメモを受け取った。なんとなく飲んで行けとも言われた気がして、僕は開店を待って、コーヒーを注文した。
 漂うコーヒーの香りと、店名を書いてもらったメモを前に、レモーノの数々の気配りを思い出して、涙が込み上げてくる。僕は彼の想いを、優しさを、懸命に紡がれる言葉を、過去の出来事と自分の妄執に囚われて、全て台無しにした。
 レモーノに避けられたのだろうか。それならまだいいが、彼が病に臥せっていたり、強盗に襲われていたりしたら、と不安が渦巻く。家はなく、ずっと歩いているように言っていた。野垂れ死ぬ彼の姿を想像して、涙はついにテーブルに落ちた。ボタボタとみっともない音が立つ。
 どうしていないのか気になるが、レモーノの勤め先に出向いて、彼の安否を確認する権利は、僕にはないだろう。僕はなんで、彼にキスされたいと思った挙げ句に、パニックを起こして逃げ去ってしまったのだろう。弁明の余地もなく、狂っている。

 悶々と後悔の念に駆られていると、ふとテーブルに影がさす。

「ミエルさん、大丈夫ですか?」

 レモーノかと思ったが、ヨセフだった。がっかりしてしまう心を取り繕うのに必死で、僕は返事を返せずにいた。少し具合の悪いフリをして、反応が遅れたのを誤魔化す。

「顔色、真っ青ですよ。今日のゼミは、休んだ方がいいのでは? 発表者ではありませんし」
「あ……いえ……そこまで体調が悪いわけでは……ただ、自分の失態に打ちひしがれているだけで……」
「失態……金曜日に構内で泣いていた件ですか?」
「見てらしたんですか!?」 

 恥ずかしすぎる。ヨセフは向かいの席に座ると、他の人といたために声をかけられなかったことを詫びた。謝るようなことはない。衆人環視の中で泣いていた僕が悪いのだし、誰かに話しかけられていたら、大学に二度と行けなかっただろう。

「何があったか、話せます?」

 あまり話したくないが、ヨセフもそれは承知の上なのか、困っているかどうかだけでも教えてほしいと言われる。

「先週、僕に忘れ物を届けてくれた人を覚えてますか?」
「先週……ああ、掲示板の前でお会いした時ですね」
「はい、彼と、あの後で、また会ったんです。彼もこの国の言葉を覚えたいそうで、僕は練習相手を買って出ました」
「そうですか。何か酷いことをされました?」
「逆です。僕が酷いことをしてしまいました。金曜日、途中でちょっと……パニックを起こしてしまって、逃げるみたいな別れ方を……また、本も忘れるくらい。謝ろうと思って、今日もここに来たんです。でも、会えなかった……」

 ヨセフは目を閉じて、少し考える仕草を見せる。僕はコーヒーを口に運ぶが、すっかり冷めていた。

「彼の方に非はありますか? 僅かにメルバンカの言葉は使えますから、何か間に入った方がいいことはありますか?」
「……いえ、ありません。僕が不慣れなことをして、やらかしてしまっただけですので、彼に非はありません」
「そうですか……でしたら、その、パニックの原因も、お聞きしません。もう、彼の気持ちも察していると思いますから、二人の関係にも言及しません。そもそも僕は、無関係ですしね」
「お気遣い、ありがとうございます」
「ただ、今日は帰って、休まれた方がいいですよ。何でしたら、大学の医務室まで同行します。お母様を亡くされてから、ずっと貴方は調子を崩されている。先週から特に、無理をされている気配を感じていました。そのご様子では、金曜日から休まれていないのでしょう?」 

 意外とヨセフは、僕のことを見ている。レモーノにもそう感じるのだから、普通は周囲にも気を配るもので、僕に周りを見る余裕がないのだろう。

 母が亡くなって半年、僕は心身の調子を崩して休学していた。夏季休暇明けから徐々に授業数を増やし、ようやく出席率が過半数まで回復したところだ。
 元々生活力が皆無の僕は、母のおかげで生きていたので、妹に教わるまで、洗濯の一つもできなかった。料理なんてもってのほかで、自分に妹がいなかったら、と想像すらしたくない。
 日に日に早まる夕暮れに急かされるように、遅れを取り戻そうと、少し根を詰めていた。カフェに本を忘れたのも、パニックが出やすくなったのも、食事の質が悪化したのと、課題を仕上げるために、睡眠時間が平均三時間程度だったのも大きいだろう。

「ヨセフさんの厚意に甘えて、今日は休みます。これだけ、提出をお願いできますか? 少しカフェで休んだら、家に帰ります」
「はい。あまり気を揉まずに、ゆっくり休まれてください」 

 課題のレポートをヨセフに渡し、彼を見送ると、大学に行かなければならない、という責任感で抑えていた不調が顔を出して、頭が痛くなってきた。コーヒーを少し横にずらすと、僕は眼鏡を外して、テーブルに頭を乗せた。額がひんやりとして気持ちがよかった。 

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