ルッキズム脱却への道

「ルッキズムに囚われている自分、ヤダ!」ということで、なんとかしてルッキズム脱却に向かっていこう、と心に決めたのが4月1日。
一番のきっかけは、苦手だなーと思う男の人に、めちゃくちゃ可愛い彼女がいると知った時に異常に傷ついている自分に気づいて。心理的には、あんなどうしようもないやつに、あんな可愛い彼女がいるなんて許せない!ということなんだと思うんですけど、不思議と、男女逆のパターンにはなんの感情も湧かないんですよね。これってつまり、私がその男の人に対して、ずるい、とかそういう嫉妬心を抱いてるわけではなくて、その彼女の可愛さに対して、自分と比較して強いコンプレックスを抱いてるという状態だと思うんですけど、それは彼女を顔面でしか評価していないから起きることだよなーと。多分、無意識のうちに、自分より可愛い顔面の女性に対して、勝手に敗北感みたいなものを感じるようになっちゃってたんですよ。あれ、なんか良くないなーこの感じ、と思って。めちゃくちゃ囚われてんじゃん、私、みたいな。

(0509追記:あんなどうしようもないやつに、あんな可愛い彼女がいるなんて許せない!という気持ちももちろんあるけど、多分、可愛い彼女がいることによってお前の価値が上がったと思うなよ!思い上がるなよ!という、嫌いな奴へのシンプル憤慨もあるな、と後から思いました。どちらにせよ、「可愛い彼女」の部分に突っかかっているのは変わらないんですけど。結局は、彼女が「可愛い」からこそ突っかかっているわけで。)

じゃあどうすればこの凝り固まった意識から抜け出せるんだろうと考えたんです。
で、まず実践したのが「人の容姿についてのネガティブな発言をしない」ということ。明らかにポジティブな発言は良しとして、それ以外は思っても絶対に口に出さない。本人に直接言うのはもちろん、間接的にも。思ってしまうのは人間脳みそがあるんである程度は仕方ないと思うんですが、まずは自分が、自分だけのものさしで測った意見をわざわざ人に言うことで、普遍的な意見のように思い込んでしまうのをやめたいなーと。
結論、これがすごくよかったんですよ。誰にも言わないからか、顔面に関する否定的な意見があんまり生まれてこなくなったんですよね。なんというか、今までは人の顔に対して「粗」を探してたんじゃないかなって思うんです、ほんとサイテーだけど。例えば、この人可愛いけど肌が汚いなーとか鼻の形が変だなーとかそんな風に。そう思うことによって自分を維持してたみたいなところがあったんだと思う。で、それに気づいてたからこそ余計にキツかったんですよね、自分の性格の悪さに絶望しちゃって。
でも、思っても絶対に口に出さないと決めてしまってからは、思ってもしょうがねーなとなってきて、粗を探すのをやめたら、これが不思議でみんな可愛いじゃんと思えるようになってきたんですよね。。そもそも、「自分より可愛い人」なんて独自の概念すぎて、なんでその基準に真面目に従って一喜一憂しちゃってんのって話で。私だけのランキングが全世界共通じゃないなんて、今考えたら当たり前だろって思うけど、頭が閉鎖的になっているとどうしてもそれが分からなくなっちゃうんですよね。そのオリジナルの基準を一旦無視していろんな女の子を眺めてみると、上とか下とかそんなものを考えないから、シンプルな感想としてそれぞれに「可愛いな〜」と思えるようになった。思えるようになったのが、ハイパー嬉しかった。

最近は、どんな場面でもルッキズムを踏み台にしてはいけないな、ということを思います。特に、自分を保つためのルッキズムは危険。例えば、誰かに対してすごく悔しい思いをした時に「でも私はあの人よりも可愛いからいいや!」というようなもの。ルッキズムによって解決させる者は、同じようにルッキズムによって苦しめられる。表裏一体、どちらも囚われてる。
結局、何が良くないかって、容姿による他人との比較が良くない。ほんと、普通のこと言うけど、容姿じゃ人を測れないですからね・・。飲み屋でバイトをしてたりすると、本当にそれを実感する。
私は私で可愛いし、みんなはみんなで可愛いんですよ、マジで。自分の容姿を受け入れられるようになってから、心からそう思えるようになった。人の容姿をギャーギャー言うやつもたくさんいるけど、そういう人たちはつまり自分を愛せていないだけ。お疲れって感じですわね。頑張ってる自分、可愛すぎるし、あなたもそうですよ。ってマジ思う。ルッキズム脱却への道!



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