ポジティブとかネガティブとか簡単に言いますけどね
言葉の定義とか概念の話ってだいたい埒が明かないというか、言及しすぎんのも危険なのであまりしたくはないんですけど、最近突っかかってしょうがないから考えてみた、「ポジティブ」と「ネガティブ」という言葉についての考察。
「あの人ネガティブだよね」って言われて、「そうか?」と思ったりすることないですか。私、結構あるんですよ。むしろ「え、あの人ポジティブじゃない?」って思ったり。人によって真逆に感じることってこの世に多くはないはずなのに、この感じ方の違いは一体なんなんだ、どこに認識の齟齬が生まれてるんだとふと考えるようになって。
そこでまず、私は仮説を立ててみました。世の中には「ポジティブ=肯定的・積極的、ネガティブ=否定的・消極的」という捉え方の人(①)と、「ポジティブ=楽観的、ネガティブ=悲観的」という捉え方の人(②)、そしてそれらがごっちゃになっている人(③)、大きく分けて3パターンの人間がいて、これがまさに、認識の齟齬を生み出してる原因なのではないか。先に言っておくと辞書的にはどれも正解なんで、どっちがどうっていう話をしたいわけではなくて、この捉え方の違いで、人が「ポジティブ」なのか、はたまた「ネガティブ」なのか、これが全く違ってくる。いままで噛み合わなかったの、だからかーって勝手に腑に落ちた。そう。だからかー、とは確かになった。だけど、ほんとうに言葉の意味の捉え方だけの話カシラ、だって②のパターンだけみても「楽観的」と「悲観的」っていつも対の関係とは限らなかったりするよな、とか思い始めてしまったのです(だいぶややこしいトピックを取り上げてしまったかもしれないとこの時点でちょっぴり後悔)。
しょうがないので、つぎは自分自身について考えてみた。私はどちらかというとネガティブ思考だと言われることの方が多いんですが、「自分が傷つかない・絶望しないようにそうしている」という言動が多い自覚はあって、おそらくそれがネガティブだと捉えられる所以なのかな、というところまでなんとなく想像がつく。例えば恋愛でも、「相手に期待する」っていうのは意識的にしないようにしてるタイプで、仮にやたらと永遠の愛を誓うタイプのパートナーがいたとしてもいざ別れ話になったときに、「一生スキダヨって言ってくれたじゃん❗️涙」なんて、揚げ足取るようなセリフは言いたくないじゃないですか。だってダサいし。かといって、じゃあハナからそんな言葉を言ってくれるな、とまで相手に言ってしまうと恋愛が楽しくなくなっちゃうので(楽しくない恋愛はしたくな〜い)、あえて空気が悪くなることをするのはやめときたい。
人の気持ちは変わるものだ、不変なものなどこの世にない、という諸行無常を理解することこそ、世の中を絶望せずにいられる近道だと思っているので、ポロッと出た言葉を真に受けて期待するというのは私にとっては危険行為で、というか、相手に求めちゃってる時点で期待なんてエゴイズム丸出しなのでするもんじゃないと思ってますし、むしろ相手に嘘をつかれようが、ひどいことをされようがそれを丸ごと受け入れられる自分でいることのほうが俄然大切だと思ってる。
そう考えると、この例ひとつ取っても私の言動は①の「否定的・消極的」とはもちろん違うし②の「悲観的」ともちょっと違うかも、かといって決して「楽観」はしてないし・・・言うなれば、捉え方は悲観的だけど、目的は前向きというか、肯定的というか・・・でも現時点では的確に言い表せる気はしてない。えー、じゃあ私って一体どっちなのと余計に分からなくなったわけですが、そもそもどっちかにカチッと当てはめられるほど、人間シンプルじゃないよねというところに落ち着いてしまいました。そりゃそうだ、みんなどっちの面もあるよね。調子によっても変わるし。人は他人の中身を断片的にしか捉えられないからこそ、私のことを「ポジティブだ」と思う人もいれば「ネガティブだ」と思う人もいるワケで、じゃあ感じ方に違いが生まれるのはむしろ理の当然だという、最初の疑問に対しては答えにならない答えに行き着きました。が、こんなふうに考え込んだって自分自身のことでさえひとことで言えないんだから、なんだ、マジで当たり前じゃんねと、なんだかスッキリしちゃいました。あっけねー。おわり
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