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1981年の雑誌「図書」を読んだ話

はじめに

 出版社が発行する本の雑誌があることをご存知でしょうか。もしかすると書店のレジ横で見かけたことがあるかもしれません。雑誌ですので価格が裏表紙に印字されているのですが、場所によっては無償配布している場合もあり、通常の雑誌とは少し趣が異なります。

 雑誌はA5サイズ、各号は100ページ前後、雑誌の半分は作家や研究者が数ページずつ記したエッセイが、もう半分は雑誌発行元の新刊紹介という構成が一般的です。21世紀初頭まではこうした本の雑誌は主要な出版社から発行されていましたが、広告チャネルの多様化により現在は僅かに数社の出版社が発行するのみです。今回紹介する岩波書店『図書』は、こうしたジャンルの雑誌としては最も歴史の長い雑誌の一つで、公式の紹介によると初号は1938年とあります。

 私の実家では以前から『図書』を定期購読しており、バックナンバーがそこかしこに転がっていました。前述の通り、一つのエッセイは数ページで終わるため、幼い頃からパラパラと眺めていた記憶があります。こうした経緯があり、成人し実家を離れてからも特に明確な理由もなく定期購読を続けています(惰性という表現が適切かもしれません)。私にとって生活の視線範囲にある身近なこの雑誌、

「自分が生まれた年月には一体何が記されていたのだろう」

 と、思いたったことが記事のきっかけとなります。

1. バックナンバーの入手

 当初は図書館で借りることを検討していましたが、極端に高価でなければ古書を買っても良いなと思い直し、Amazonに並ぶ古本を注文します。(価格は1,000円程でした)

『図書 892号』と『図書 380号』の表紙

 写真は今月号である『図書 892号』と、1981年4月の『図書 380号』です。書体こそ異なるものの、雑誌の表紙から受ける印象は40年を経った今でも一貫性を感じます。誌面を確認していきましょう。

2. 『図書 380号』 1981年4月号

 表紙をめくると他の雑誌同様に目次が配されています。著者の名には、最近鬼籍入りされた大江健三郎の名前も見えます。現在もご健在の方がいらっしゃるか、私はまず気になったため、Wikipediaと照らし合わせ調べていくことにしました。

『図書 380号』1981年4月号 - 目次

辞書人と青銅の腸 …… 忍足欽四郎 (1932-2008)
<対談> 小説とエッセイの間 …… 大江健三郎 (1935-2023) / 柴田翔
木下利玄宛書簡 (上) …… 紅野敏郎 (1922-2010)
<新・歳時記> 除目 …… 吉野俊彦 (1915-2005)
「寒村自伝」遺聞 …… 石堂清倫 (1904-2001)
<自然の造形を歩く>
暢びやかな畑が分ける上川と富良野の水 …… 堀淳一 (1926-2017)
神と表彰としての世界 …… 大岡昇平 (909-1988)
<続 一月一話>
 復刻「公私月報」 …… 淮陰生 (中野好夫) (1903-1985)
「近代」科学の意味するもの …… 玉蟲文一 (玉虫文一) (1898-1982)
手・足・体で学ぶ算数 …… 相原昭 (Wikipedia情報無)
科学と絵本 …… 福田繁雄 (1932-2009)
ヒロさんの原稿用紙 …… 三宅菊子 (1938-2012)
<チュウリヒ便り> スイス女性の政治活動 …… 笹本駿二 (1912-1998)
こぼればなし
四月の新刊案内
(敬称略)

『図書 380号』目次 p.1

 確認の結果、大江健三郎と対談を行なっている柴田翔と、Wikipediaの項がなく生存が明らかではない相原昭以外は、すでに亡くなられていることがわかりました。40年という時間の重みを感じます。

 本来であれば当時の雰囲気を感じていただくために、全ての記事を個別に紹介したいところではあるのですが、記事のいくつかは専門性が高く、私には歯が立つものではありませんでした。このため当記事では、

a. 暢びやかな畑が分ける上川と富良野の水 - 堀淳一
b. ヒロさんの原稿用紙 - 三宅菊子
c. こぼればなし(編集後記)

 私の気に入った2つのエッセイと、編集後記を紹介することとします。どの記事も予備知識なく読むことのできる記事です。

a. 暢(の)びやかな畑が分ける上川と富良野の水

 皆様は地図がお好きですか。私は地図が好きです。Google Mapsに代表されるデジタル地図も良いのですが、印刷された地図が特に好きです。緻密に描かれた等高線や都市と都市を繋ぐ道路、河川や建物、そうした無数の情報が厳格なルールに従い一枚の紙に印刷されている、この高密度な情報を眺める体験は私の心を掴んで離しません。

 最初に紹介するエッセイ「暢びやかな畑が分ける上川と富良野の水」の著者である堀淳一は北海道で活動していた紀行作家です。彼をWikipediaの印象的な言葉を借り紹介するのであれば、

ブラタモリ』などに代表される地図散策趣味の先駆者といえる紀行作家であり、晩年まで各地を精力的に歩き続けた。

Wikipedia - 堀淳一 より 

 地図が大好きな紀行作家です。エッセイはもちろん、このような書き出しから始まります。

 二万五千分一地形図の「美馬牛」には奇妙な流れ方をしている川がいくつかある。

『図書 380号』暢びやかな畑が分ける上川と富良野の水 p.31

 信ずるに足る地図愛好者の書き出しです。エッセイは僅かに3ページと短い構成ではありますが、著者はその1ページを地図に割いています。限られたページの中で大きく地図を配している点、彼の地図へのこだわりを感じずにはいられません。

『図書 380号』暢びやかな畑が分ける上川と富良野の水 p.32 (5万分1地形図)

 唯一残念な点を挙げるとするならば、掲載された地図が著者の望むサイズではなかったと推測される点です。A5サイズという誌面制約のせいか、文の書き出しにある縮尺ではなく、5万分の1地形図をさらに0.7倍したものが印刷されています。このため、本来記事を支えるはずの「地図を読む体験」はあまり良くありません。彼が実際にどの地図をなぞり記事を記したのか、私はこの点が気になり地図を入手することにしました。

 過去の地図を入手するにはいくつかの方法があります。国土交通省の「旧版地図の謄抄本交付申請」が一般的な旧地形図の入手方法ではありますが、国土地理院Webを確認していくと、過去の「治水地形分類図」を日本地図センターから取り寄せることができることを発見します。今回の記事は水源が主題でしたので、少し趣を変えこの地図を取り寄せることにします。また、比較用に現在の地形図も取り寄せます。

・2万5千分の1地形図 治水地形分類図 美馬牛 昭和49年発行(複製)
・2万5千分の1地形図 美馬牛 NK-54-7-11-2 平成29年1月発行

 少し張り切りすぎかもしれませんが、折角ですので現在の5万分1地図も大型書店で入手します。

・5万分の1地形図 美瑛 NK54-7-11 平成12年7月発行

購入した3枚の地図。複製された治水地形分類図は若干シャープネスに欠けます。

 これで著者と一緒に美馬牛を散歩する準備が整いました。雑誌へと戻りましょう。後半の意味段落、フィールドワークの書き出しはこのようなものでした。

 秋の一日、私は美馬牛駅に降り立って、北西へ歩いて行った。国道二三七号を横切り、低い峠を越えると、道は江幌完別川の谷の東側の緩斜面を北へ遡ってゆく。といっても、一キロ北はもう留辺蘂三線川との間の谷中分水界になるので、他にはすでに平行に近く、さかのぼって行くとは一向に見えない。

『図書 380号』暢びやかな畑が分ける上川と富良野の水 p.33

 取り寄せた「美馬牛」2万5千分の1地形図を眺めます。

国土地理院 2万5千分の1地形図 美馬牛 NK-54-7-11-2 (平成29年6月 復調) を一部分抜粋

 彼が記す「秋の一日」がいつであったかは、残念ながら文中にそれを正確に掴む手がかりはありません。しかし、引用した文章の後半には丘陵地帯の様子が丁寧に記され、(これは私の推測ではありますが)おそらくは9月下旬から10月上旬、落葉前の時期ではないかと想像できます。

 彼は美馬牛の駅を降り、左手側に学校を望みながら小さな集落を抜け、国道237号線(地図を左右に二分している淡い朱色で描かれている道です)を渡り赤丸の場所へと向かったのでしょう。「平らである」と記されるように、あたりの等高線は間隔が広く、その様子が見て取れます。地図に目を凝らすと、ちょうど上富良野と美唄を分割する境界線が引かれています。記事に指摘のある谷中分水界と一致しているように見えます。

 楽しい。地図の解像度が上がるだけで、著者と自分がそこを歩き、秋の一日を一緒に過ごしているような気分になります。やはり彼の物語を100%体験するには、2万5千分の1地形図が不可欠でした。

 前述通り短いエッセイですので、これ以上抜粋しその全てを説明することはやや無粋です。図書館などによってはバックナンバーを抱えている場合があります。素敵な記事ですので、機会があれば是非ご一読ください。

 岩波書店からの出版ではありませんが、もしあなたが地図好きであれば彼の晩年作である『北海道 地図の中の鉄路(亜璃西社)』が大変に良い本ですのでお勧めです。私も本棚に挿しています。

北海道 地図の中の鉄路(亜璃西社)
表紙カバーを開いた状態 - 北海道 地図の中の鉄路

 表紙カバーも凝った作りで、折り畳まれた表紙を開くとニセコ付近の地図が見えます。巻末には1994年の鉄道路線図(まだ樺太が日本であった頃の地図です)と、1966年の路線図が付録として同梱されています。

美馬牛付近の鉄路を説明する頁 - 北海道 地図の中の鉄路 (p.16-17)

 今回紹介した美馬牛周辺の説明も、2万5千分1地図を拡大して掲載されています。地図は目的にあった縮尺を読んでいくことが醍醐味です。(これは完全な私見ではありますが)彼が図書に本来掲載したかった縮尺だったろうなと、このページを眺めながら改めて感じていました。

b. ヒロさんの原稿用紙

 三宅菊子のエッセイは、東京は浅草の原稿用紙ブランド、満寿屋の販売する特別な原稿用紙についての話です。この店の主である川口ヒロさんがエッセイの主人公です。

 満寿屋の販売する原稿用紙は当時どのように特別であったか、本文から少し引用してみます。どうやら当時は、名だたる作家が愛用する特別な原稿用紙として認知されていたようです。

満寿屋の原稿用紙を(名入り特製、並製いずれか)使っている作家は、丹波文雄、水上勉、小林秀雄、吉行淳之介、畑正憲……物故者では川端康成、吉田健一、高見順、船橋聖一、青山二郎……ちょっと思いつく名前を名前を並べただけで、昭和文壇名鑑のごとく、きらきら輝いてしまう。

『図書 380号』ヒロさんの原稿用紙 p.55

 1981年当時、パソコンのような情報機器で文章を書くことが一般的ではありませんでした(ワープロとよばれる文章を編集することに特化した情報機器は、1980年代中期に一般消費者に手の届く金額となります)。このため作家が文章を記す場合、チラシの裏でもなんら問題はありませんが、基本的には原稿用紙に文章を記すことになります。

 作家こだわりの逸品があるということは、愛読者(推し)としてはそれが欲しくなるのが人情です。著者はどう感じているのでしょうか。

 文学志望者の中には、いつか偉くなったら、自分の名前入り原稿用紙を満寿屋に注文して …… と、そのデザインを考えたりしながらあこがれる人も多かったはずだ。名入り特製ではなく、一般向けとして売っている「萬寿屋製」も、一般の人よりもの書きの人が多く買う。たとえば私がこれを買おうとすると、何人もの偉い先生方とお揃いになるわけで、十年か二十年早いよ、なんて言われそうな気もする。

『図書 380号』ヒロさんの原稿用紙 p.55 (原文にあった強調部分を太字にて表記)

 著者も職業作家であり、同時に立派な原稿用紙沼の住人に見えます。

 ところでこの満寿屋の原稿用紙、今も買うことができるのか気になりませんか。形から入る私は大いに気になりました。調べてみると現在も丸善などの書店で購入することができるようです。買わない理由が特に見当たりません。取扱書店へと足を運びます。

『満寿屋の原稿用紙 No.101』と『コクヨ Campus 原稿用紙 (ケ-30N)』

 ありました。価格は100枚で600円ほどです。馴染みのあるコクヨの原稿用紙が50枚で300円ほどですので、良心的な価格と言えるでしょう。普段見かけない長方形の升目もあったのですが、今回は見慣れた正方形のものを購入します。折角ですので比較用にコクヨの原稿用紙を一緒に買い、書き比べをしてみます。

 クリーム色の原稿用紙に文字を書くと、確かに昭和の大文豪になった気分ではありますが、肝心の書き味は違いを感じることができませんでした。私は今後、チラシの裏にでも原稿を認めようと思います。

 満寿屋の原稿用紙ですが、作家の名前入りの原稿用紙を注文できるなど、細やかな注文に対応できることがセールスポイントの一つであったことは前述の引用通りです。言い換えるのであれば、個性豊かな作家のご要望を伺い商いを行うことになりますので、気苦労もあったことは想像に難くありません。いくつか引用してみましょう。

注文のとき、血の滴るような赤と指定されたのだが、出来上がったのは少しえんじがかった渋い赤だった … (中略) … 先生、それはお怒りになって悪口雑言、大変なお叱りを受けました。もうこの仕事はよそう、と思って涙ぽろぽろ流しながら帰ってきたのよ。

『図書 380号』ヒロさんの原稿用紙 p.58

 現代であれば完全にカスタマーハラスメントの範囲です。

インクがにじんで原稿が書けない

『図書 380号』ヒロさんの原稿用紙 p.58

 「先生、インクを変えてはいかがでしょうか」と、私であれば思わず口にしてしまいたくなるような逸話ではありますが、店主は負けじと作家の注文に応えていく、といった話です。5ページほどで読みやすいエッセイです。

c. こぼればなし

 1981年には、組版(原稿や図などをレイアウトする作業)もグーテンベルク印刷から変わらない方法「活版印刷」が主流であったことが、編集後記である「こぼればなし」に記されていました。

 この新版にはコンピュータ写植によるオフセット印刷である。近年、文字オフセットの技術的進歩等によって、活版印刷から平版印刷への移行が広く見られ始めている。活版印刷の有効性は今後も存続するであろうし、岩波書店の出版物でも、今日以前として活版印刷が主流を占めているが、『サムエルソン経済学』のように、改訂を重ねることによって長い生命を持つテキスト版の場合には、こうした新しい印刷技術の適用が必要になっている。

『図書 380号』こぼればなし p.64

 ここにある「コンピュータ写植によるオフセット印刷」という表記は、レーザ写植機であると推測されますが、このことが編集後記で触れられる程度には、当時としては先進的な製作技術、ワークフローであったことが窺い知れます。また、活版印刷の有効性(存続)をこの時点では疑っていない点も、2023年から振り返ると大変興味深く感じられました(現時点での本作りは、そのほとんどがコンピュータによる組版に置き変わっています。やや乱暴な表現とはなりますが、本作りに於ける活版印刷はその役目を終えています)。

 以上が1981年記事の拾い読み紹介となります。

3. 『図書 892号』2023年4月号

 380号と同様にこちらも目次を書き出してみます。確認してみると著者16人中、9人が現役の研究者でした。漠然と作家が多いと思っていたので、これは意外な結果でした(著者が現在研究者である方は🔬アイコンを付し、科学技術振興機構の提供するサービスであるreserchmapをリンク先としています)。

『図書 892号』2023年4月号 - 目次

・「越境」して見る、考える …… 清水展 
・ロジャー・ケイスメントの見果てぬ夢 …… 野谷文昭 🔬
・祇園甲部歌舞練場新装再開場によせて …… 井上八千代 (五世家元)
・『鬼滅の刃』と柳田国男 …… 松居竜五 🔬
・二人の明治期日本人のアフリカ …… 永原陽子 🔬
・午前四時の試写室(前編)…… 川内有緒 🔬
・はじまりの京都文学レジデンシー …… 吉田恭子 🔬
・造本の使命 …… 新島龍彦
・ラテンアメリカの冷戦と文学 …… 久野量一
・父母の書棚から …… 谷川俊太郎
・レースはいかが? …… 近藤ようこ
・灰色の男の葉巻のけむり …… 吉田篤弘
・ウィーン万博に始まったデザインの国家指導 …… 新関公子 🔬
・ラッコとコンブと大型カイギュウ …… 川端裕人
・バーリンとドイチャ、論敵と友人 …… 近藤和彦 🔬
・商業出版の成立 …… 佐々木孝浩 🔬
・こぼればなし
・四月の新刊案内
(敬称略)

『図書 892号』目次 p.1

 いくつかのエッセイの感想を同様に書こうかとも検討したのですが、場合によっては本人からマサカリが飛んでくるワイルドウェストなSNS社会ですので、ここで細かく記すことは控えます。

 1981年時点では、誰も比較対象として取り合わなかったであろう、アニメ作品と過去の文学作品の比較や、漫画や児童文学、映画の批評が掲載されるなど、文学作品に限らず多様な文化現象を取り扱うようになっていることが印象的です。素直に良い時代になったのだなと感じます。

 岩波書店では「Web岩波 たねをまく」には図書の内容を一部掲載している場所があります。前述のアニメ作品と過去の文学作品の比較なども公開されていますので覗いてみると良いかもしれません。

 また、毎月『図書』がポストに届くという体験も悪くありません。紙媒体の図書は年間購読料が1,000円です。一体どのような収益モデルになっているか見当もつきませんが、慈善事業のような価格ですので軽率に購読をお勧めし、この記事の終わりとしたいと思います。