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種子島でロケットの打上げを見る話

はじめに

 職場の前所属先に特殊な理由によって旅行を繰り返す友人がいました。もし、何らかの分類が必要ならば彼は「追っかけ」というジャンルに属するのでしょうか。

ロケットの打上げは、いいぞ。

今回は彼の力強い言葉で種子島を訪れた「ロケット打上げの追っかけ話」です。

旅行金額: 約 70,000 円(東京✈️鹿児島の往復航空券, 現地での食費除く)
旅行日数: 2018/6/8 から 2018/6/14 まで 7日間

※ 記事中では同行する友人を「教授」と表記します。何かの博士号を取得しているわけではありませんが、しているのかもしれませんが、ともかくニックネームが教授です。記事に際し本人の了承を得ているため、彼のTwitterアカウントもここに記しておきます。

旅程立案

 一期一会の物事を嗜む人にとって、事前の情報収集がその後の体験に大きな影響を与えることは多々あります。これは単にイベントに関する体験だけではなく、現場までの移動手段や、宿泊施設の確保にも及びます。社会人であればその間の休暇申請といったことも含まれるでしょう。ロケットの打上げを見物をする人々にとっても例外ではありません。彼らもまた巧みに情報を収集し次回の打上げ観覧を検討します。例えば、彼らは打上げの初期微動を捉える情報として「鹿児島✈️種子島」間の航空券予約状況を利用しているようです。こんな具合にです。

多くの打上げ関係者が一般へ情報公開される前に航空券を確保します。このため、打上げ日自体は公開前であっても航空券の空席状況から打上げ日を推定することができるようです。手慣れた人々はこうした情報から打上げ日を事前に推測し旅程を準備します。今回は旅程判断を教授に一任しました。彼が組んだ旅程は以下の通りです。

6/8: 移動日 (東京 - 鹿児島 - 種子島)
6/9-13: 打上げ日、及び予備日
6/14: 移動日 (種子島 - 鹿児島 - 東京)

一見すると予備日が多いように見えます。しかしロケットの打上げは天候に依るところが大きく、打上げ条件を満たさない場合は延期されます。(実際、今回も打上げが一日延期されました)教授自身も度重なる延期で打上げ地点だけ眺めて帰ることになった体験があるそうです。そういえば彼はこんなこともTweetしていました。

興味深い視点です。

以下、旅行記となりますが、淡々と時系列に並べてあります。緩い旅行の感じが伝わると良いのですが。ロケットの打上げのみ興味がある方は、DAY 4に直接お進みください。

DAY 0: 6/8 羽田空港前泊

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土曜早朝便のため羽田空港内にある宿泊施設へ移動します。ターミナルの屋上に上ると滑走路や誘導路に設置された灯火が見えます。

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チェックインを済ませ深夜の空港をぶらぶらと歩きながら、酩酊するまで水割りを飲みました。この日は他に記すべきことがありません。

DAY 1: 6/9 羽田✈️鹿児島🚢種子島

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[6/9 6:00] 宿酔いです。「冷えもんでござい」と宿泊施設の共同浴場に入り、朝食にすけろく寿司を食べ搭乗を済ませます。サヨナラ、江戸。

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[6/9 8:30] 鹿児島湾東側です。海上に雲が降りているのが見えます。教授とは鹿児島空港で待ち合わせでした。着陸後に合流し鹿児島市内へ向かいます。

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[6/9 10:30] 二度目の朝食です。鹿児島駅前にあった九州を中心に展開されているジョイフルというファミリーレストランで食事をします。関東では見かけない「豚みぞれ煮朝食」を注文しました。

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[6/9 12:00] 鹿児島駅前から徒歩で鹿児島港に向かう途中、柳川氷室という氷店に寄ります。ふかふかの氷です。有名店のようで客足が途切れませんでした。

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[6/8 12:30] ボーイング929という高速船に搭乗します。便名はこの旅行にぴったりの「ロケット3号」でした。航空機と同様にシートベルトや緊急避難を説明するリーフレットがありました。

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[6/9 13:00] この日の鹿児島港は晴れ桜島がよく見えました。種子島へ向け出港です。

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そういえば種子島の位置はご存知でしょうか。鹿児島から高速船で2時間足らずの場所にあります。鉄砲伝来の地として有名ですが、私も訪れるまで島の大きさや鹿児島からの距離は知りませんでした。

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[6/9 14:00] 種子島到着です。高速船は島の北西に位置する西之表市という場所に接岸しました。下船するとロケットを模したモニュメントがありました。

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港では液体窒素のローリー車を何台か見つけました。液体窒素はロケット向けとして利用されるものでしょうか。

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[6/9 15:30] 西之表港から徒歩15分程度にある宿泊地「ビジネスイン種子島」に到着します。どこの地方都市にもある普通のビジネスホテルでした。最上階には男性のみ利用可能な共同浴場がありました。リゾートホテルでルームサービスを頼むような旅行も良いのですが私はこうしたビジネスホテルの方が好みです。

この日は共同浴場に入り、夜に少し外を散歩して眠ってしまいました。DAY 1はこれで終了です。

DAY 2: 6/10 島内散策

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[6/10 6:30] ホテルの食堂で供された食事です。私の他には建設関連の長期出張者が多い印象でした。食後にホテルから徒歩圏のレンタカー屋へ向かいます。

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向かう途中、東京ではあまり見ない南国植物とその種子を見つけます。アスファルトに落ちた種子は雨に濡れ一部は割れていました。

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[6/10 9:00] レンタカー屋のガレージに猫がいました。店主に名前を尋ねると「ニマン」と返ってきます。去勢手術が2万円だったので名付けられたそうです。

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今回のレンタカーは少し前のフィットでした。車にはカーナビが搭載されていませんでしたが、マフラーは社外製に変更されていました。アクセルを開くと心地よく吹き上がる挙動に好感が持てます。ロバ号と名付けました。教授は後ろに見えるもう一台のフィットを借ります。

私は少し神経質なところがあり、気のおけない友人であっても何日も寝食を共にすることに抵抗があります。教授もそれは同じであったようです。彼から「俺、割と人見知りだから」と前置きがあり、ホテルの部屋やレンタカーを別々に借りることを提案されます。私も喜んでこれに同意します。

相手を気にせず、好きな時間に好きなことができる状態というのは良いもので、朝からひとりドライブを楽しんだり、散髪に行ったりと、旅行を振り返っても、これは正しい判断であったと感じています。

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[6/10 10:00] この日は教授が島内を案内してくれるとのことでした。借りたロバ号をホテルに置き、彼の車に乗りこみ南端にある打上げセンターへ向かうこととなりました。大雨警報が出るような日で路面には茶色く濁った雨水が見えます。

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念の為、位置関係のおさらいです。宿泊地であるビジネスイン種子島は赤丸の西之表、打上げ場所である、種子島宇宙センターは青丸の南種子に位置しています。片道30-40km、小一時間程度の運転となります。

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[6/10 11:30] 宇宙センター近くの道には「打上げのお知らせ」の看板がありました。しばらく走ると遠くに打上げ場(以後、射点と表現します)が見えました。この日は午後も視程が悪く諦めてホテルに戻ります。

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ホテルに戻り近所をぼんやり散歩していると、軒先に大蒜が吊るされ、その下に猫がいるのを見つけます。DAY 2はこれで終了です。

DAY 3: 6/11 ひとりドライブ (🚀打上げ延期)

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[6/11 8:30] ロケットの打上げは延期となり丸一日することがありません。教授はまだ眠っていたのでロバ号と一緒に島を一周することにしました。

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画面左上にある西之表から時計回りに一周しました。地図中の番号と写真が対応します。

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[6/11 9:00] 1. 島の北東辺りです。ごつごつとした岩場が目につきます。停車し少し歩いてみると、ヒルガオ科の植物が自生していました。

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[6/11 9:30] 2. 先ほどより南下した位置です。窓を開けて運転していると甘い花の香りがしたので停車します。前日に降った雨のせいか、歩道には落ちた黄色い花が広がっていました。ミモザと呼ばれる種類の花に見えますが、わかりません。蝦夷の民には馴染みがない植物です。

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[6/11 9:45] 3. 「南国といえば白い砂浜」という勝手な思い込みで海岸線を走ったのですが意外にも岩場の海岸線が続きます。

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潮が引いているのか潮溜りがいくつも続いています。水中には小型の魚類の他に海洋生物の骨などが見えました。

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拾い上げてみると不思議な形のものもありました。骨のような素材に見えるのですが、とても薄く指が透けて見えました。

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[6/11 11:00] 4. 途中ルートを変更し秒速5センチメートルの第二話、コスモナウトの舞台となった中山海岸を訪れました。遠くに二人の人影が見えます。「自分の限界をわきまえ、絶対に無理はしないでください」という掲示がバックカントリーの精神と通底するなと感じました。

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漂着物の間にシオマネキという蟹を見かけます。

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[6/11 12:00] 5. 阿獄川(あたけがわ)マングローブという場所を通りかかったので車を止め散策します。マングローブとは、河口汽水域の塩性湿地に成立する森林のことを指すようです。私は樹木の名前かと勘違いしていました。

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[6/11 15:00] 途中何度か休憩を挟み、眺めの良いところでアイスクリームを食べホテルまで戻ります。島一周はおおよそ160km、半日程度のドライブでした。

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そう、ホテル近くのFamilyMartに寄ると(種子島には二店しかFamilyMartがありません)鹿児島から冷蔵コンテナで輸送された物資が荷降ろしされているところでした。離島の物流、グッときます。

この日は深夜にロケットを格納庫から射点へ運び出す様子を見物するため、再度一度宇宙センターを訪れました。iPhoneでは焦点が合わず写真はありません。灯火されたロケットは神々しく宗教的でした。DAY 3はこれで終了です。

DAY 4: 6/12 🚀打上げ

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[6/12 10:00] 打上げ3時間前、眺望が有名な恵美之江展望公園に到着します。打上げ条件を満たす素晴らしい天候です。

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恵美之江展望公園は崖上にありました。崖下には蝦夷にはない白い砂浜が見えます。会場には露店が並び、地元のクラフトビール「からはな」も出店していました。

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[6/12 13:20:00] H-IIA は打上がりました。

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[6/12 13:23:13] 残された煙は空に影を造っていました。

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[6/12 14:30] 立入り規制解除後、遠くに射点が見える砂浜を歩きました。蝦夷の民は白い砂浜だけで感情失禁を起こします。

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[6/12 16:00] 見かねた教授が「もう少し良い砂浜がある」と、宿泊地近くの浦田海水浴場を教えてくれます。なんだここは。絵葉書か。

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白い砂浜、おっさんの足。

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白い砂浜、スーパーで買った地魚の寿司。

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なんかくれと寄ってきた猫。天国か。

DAY 4はこれで終了です。

DAY 5: 6/13 (予備日)

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[6/13 10:00] 特にすることもないので、もう一度射点を眺めに一人で宇宙センターを訪れます。

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[6/13 10:10] 前日は閉ざされていた射点近くまで続く道が開かれています。時間差で開く扉、ロールプレイングゲームのようです。

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射点に向かう海辺は、たくさんの漂着物がありました。

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中国でよく目にする給湯器(インスタント麺やお茶を作るのに使う)も漂着していました。

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[6/13 10:30] 崖上を見上げると巨大な射点が見えました。

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[6/13 11:30] からはなの醸造所を帰り道に見つけました。店主に会えるかなと、しばらくぼんやりしていると二人組が近づいてきます。「お世話になります。○○旅行のものです。からはなさんですね」残念ながら店主ではないことを伝え、お店を後にします。

この後、床屋で散髪をしたり、スーパーでパック寿司を買って食べたりと、最終日の午後を過ごします。

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[6/13 20:30] 「折角なので一回ぐらいは」と教授と飲むことにしました。西之表の一条という店です。平日にも拘らず地元客で賑わっていました。

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地元の焼酎を飲み(種子島は焼酎が有名です)

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刺身盛りを食べます。DAY 5はこれで終了です。

DAY 6: 6/14 種子島🚢鹿児島✈️羽田

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[6/14 9:00] ロバ号返却にレンタカー屋へ向かいます。 基本的には一人で乗り、ほとんどエアコンを利用しなかったせいもあるでしょうが、22km/Lという素晴らしい燃費でした。

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[6/14 11:00] ロケット2号に乗って鹿児島へ帰ります。ここも宇宙の一部ですし、往復にロケットを利用したので、今回の旅行は宇宙旅行と呼んでも過言ではありません。

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[6/14 12:30] 鹿児島へ戻ると桜島が噴火していました。

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[6/14 14:00] 夕方の飛行機まで時間があったので、鹿児島港から桜島へ定期便で渡ってみることにしました。この航路は24時間営業、日本で最も定期連絡船が往来している路線とのことです。この後、高速バスに乗車し鹿児島空港へ向かいます。

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[6/14 18:30] 鹿児島空港に到着すると、東京と変わらない慌ただしい時間の流れで、少しがっかりしてしまいます。

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空港のレストランで搭乗前まで焼酎を飲み続けていました。

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[6/14 21:30] 羽田は連絡橋ではなく連絡バスでした。タラップから降りバスに乗り込むと、ガラスに映った人々が都内の地下鉄を思い起こさせました。バスの中には、甲高いジェットエンジン音、たくさんの電子機器が発する音、それから人々の放つ空気がありました。

私はまた、東京に戻ってきました。