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ときに川は橋となる

東京都現代美術館で行われているオラファー・エリアソンの展覧会に行ってきた。オラファー・エリアソンはSustainableな社会の実現へ向かって芸術を通して主張してきた方である。資本主義に染まりきっているが、同じように環境問題に興味を持つ一人として大変興味深い展示であった。

会場には、分かりやすく氷河の後退を映した写真で地球温暖化を訴える展示から、もっと抽象的で、個人個人の意識に訴えかけるコンセプチュアルな仕掛けまであった。記録用に私自身の解釈をここにとどめておきたい。果たして数年後に見返した時に同じ解釈をするのか、はたまた今の浅い理解に恥ずかしくなるのか楽しみである。

ビューティー(1993年)

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暗い部屋にさーっと細雨で水のカーテンを作った上に光が当てられて虹が作られる。正面から見れば虹が見えるが角度によっては、もしくはこのカーテンの裏に行くと虹は見えない。「光があなたの目に入らないかぎり虹はどこにもない」というのがパンフレットの解説である。確かに虹を作る要素はあってもその光が届く範囲に自分の目がなければ見えない。もちろん、その人の立つ位置によって虹が見えている場所も変わってくる。

同じものを見ているはずなのに、立場や視界によってその像の映る場所、有無が左右されるのは現代社会でも同じだと思う。人間の目で直接見えるものは生活圏の数十キロに収まっているだろう。その外に何があるかは知ることもなかったはずである。しかしインターネットが普及した今、見ようと思えば地球の裏側の実情も認識する事はできる。それがこの作品が作成された1993年とは大きく違っている。この世界の現状をあなたの目にいれれば、それは問題として顕在化する。そんな逆説を突き付けられているような気持ちになった。そして、それはビューティーを探す旅ではなくて、厳しい現実に目を覆いたくなるような、それでも探求しに行きたくなるような、そしてその先にビューティーを少しでも取り戻せるように、そんな好奇心を植え付けてくれたような気もする。


ときに川は橋となる(2020)

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中央に水が張られたシャーレが置かれた中に12個の光源から光を当てて、それを上に反射させている。水面が揺れると頭上のスクリーンには捉えがたいさざなみのイメージが映し出される。絶えず変化しつつ徐々に広がるさざなみのような流動する状況をエリアソンは限界を超えるための欠かせない要素ととらえている。(展覧会パンフレットより)

どれが川で、どれが橋で、静水がどうして川になるのか…頭の上に?が浮かぶ作品であった。シャーレの中の水が揺れるとスクリーンの反射光が大きく揺れてしずかなさざなみを拡大して映し出すようにできている。絶えず変化しつつ徐々に広がるさざなみがテーマであることをベースに考えると、静かな水面に起こった静かな流れは反響を繰り返しながらより大きな波(反射光)に変わっていく。この大きな波というのはきっと近年の環境問題に対する世論をさしているのではないかと想像する。広がった波はやがて川のように大きな濁流となって世界をとある方向に向かって流す力をもつのだろう。ではなぜ川が橋になるのか。これは作者に聞かないとわからないが、おそらくは、川となった世の中の動きが新しい世界につながる橋になると期待してのことではないだろうか。特に欧州では、学者ではなく、グレタさんを筆頭として多くの若者が環境問題に真剣に取り組むよう政府などに働きかけている。小さなさざ波はやがて大きな波に、それが川となって次の世代への橋となっていくことをエリアソンさんが考えてくれたのなら嬉しいなと思う。

…と同時に、私もぼやっとしていられないなと身が引き締まる思いである。

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