夏の終わり(短編小説)

 例年を通り越すほど、今年の夏は暑い。
 メディアでは六月にも拘わらず、熱中症対策を伝え、ワイドショーでは猛暑猛暑と繰り返し、大学では毎日誰かしら、熱中症で倒れていた。

 そんな誰もかれもが、暑さで頭が可笑しくなる季節。ついにこいつも可笑しくなったのかと、目を点にさせる。

「ぇ~っと、今、なんつった?」
「いや、だから~、僕はナツを終わらせたいんだ! って言ってるんでしょ」
 目の前に仁王立ちして、胸の前に拳を握って変なことを言い出す友人の佐々倉に、俺は呆れる。

「お前が終わらせなくても、ナツは勝手に終わるんだ。時期がくればな」

「その時期っていつくるの? このままだと、永遠にナツは続いてくんだよ?」
 大学特有のベンチのような机に両掌を付き、俺の方にズズいと迫ってくる。

「ぉ、落ち着けよ。つーか、ちけーし!」
 俺は佐々倉の額に人差し指を突き当て、これ以上近づけぬようにする。
 佐々倉はしょんぼり顔をしたかと思うと、拗ねたように口を尖らかす。

「これだから、ナツは嫌なんだ」
 トイプードルみたいなゆるふわした焦げ茶色の髪を左右に踊らせる佐々倉は、駄々っ子のようだ。

「何が嫌なんだよ」

「ナツだと、近づいたら避けられる。ある程度のパーソナルスペースを作らないといけなくなるじゃん」

「まぁ〜あちぃしな。プラス、お前は興奮すると暑苦しいから、余計に暑く感じる。大学はクーラー聞いているぶんありがてぇ」
 俺は大学ノートを団扇がわりにして、顔を涼ませる。

「なら、ハグする? 暑くないんでしょ?」
 佐々倉は両手を広げて微笑む。同じ年齢とはいえ、童顔に小柄で華奢な見目に、ころころ変わる表情と何をしでかすか分からないところが、ハムスターのような小動物感が否めない。

 僕っ子で優しくて、ちょっぴり不思議ちゃん。甘いものとふわふわしたものが大好きで、ファッションやメイクにも気を使っているせいか、老若男女問わずに恐ろしいほどモテる。それでも、誰かと付き合ったとは聞いたことがない。

「しねぇよ。今暑くないとは言ってねーしな」

「ちぇっ」
 佐々倉は舌打ちにならない舌打ちを声で表し、口を尖らかせる。

「いくつだよ!」
 佐々倉の言動に、思わず勢いよく突っ込んでしまう。この時期は省エネで生きてゆきたいのに、また無駄なエネルギーを使ってしまった。 


「つーか、大体、お前は人にベタベタとひっつき虫して、暑くないのかよ? 今この教室、クーラーの一部が壊れてんだぞ?」


「僕は暑くないよ〜。今はね。流石に外出ると溶ける~。だって猛暑だもん」

 左右の人差し指を両頬に付き当てながら、きゅるるんと言う姿は、どこぞのぶりっ子アイドルのようだ。

 持っている大学ノートで頭をはたいてやろうかと思ったが、その後の面倒臭さが容易に想像ができ、その衝動をグッと抑えた。


「ほらな? お前だって暑いんじゃねーかよ。もう俺、秋まで引き篭もろうかな〜。もうすぐ大学も夏休み入るし。涼しくなるまでズル休みしても、単位取ってたら留年は免れんだろ?」

 俺はそう言いながら、目の前の机に突っ伏す。


「おぉ〜。ナイスアイデア!」

「だろ?」

 指パッチンさせながら満面の笑顔を向けてくる佐々倉に、思わずドヤ顔を晒してしまう。


「じゃぁ、僕は今日から大学来ない」

「……は?」

 また変なこと言い出したと、俺は素っ頓狂な声を上げる。


「じゃ〜ね」

 マジで来なくなるつもりなのか、荷物を纏めて立ち上がる佐々倉を、「ちょ、ちょっと待てよ」と、焦って引き止める。


「何? もちかちて、僕と会えなくなるのがそんなに寂しいのかちら?」


「んっなんじゃねーし。マジで大学こないかつもりかよ?」


「うん。暑いしね〜。ナツの終わりにまた会おうね」

 佐々倉はそう言って、大学を後にした。


  *


 その後、夏休み前も、夏休み後も、佐々倉はマジで大学に来なかった。


 心配になった俺は、家に行って見たが、佐々倉が出てくることはなかった。


 不定期ではあるが、携帯で連絡が取れていたから、生存していることだけは分かっていたことだけが救いだった。


  †


「たろー君」


「犬みたいに呼ぶなって言ってんだろ! 大体、たろーじゃなくて、健太郎だし」

 俺は狂犬のように、耳馴染みのある声のする方へ振り向く。


 健太郎という名前のおかげで、幼少期からいじられまくられていた俺だ。桃太郎だとか、小太郎侍だとか、たろ犬だとか、散々である。


「?」

 俺は幻聴でも聞こえたのかと、視線を彷徨わせる。


 先程聞えて来た声は佐々倉のものだと感じたが、今俺の目の前にいる人間は、俺の予測していた人間ではなかった。


 ゆるふわに巻かれた蜂蜜色の髪は胸下辺りまで伸ばされ、それに伴い眉色やカラコンも彩られている。


 メイクや洋服は清楚なお嬢様スタイルに統一されている。爽やかで落ち着きのある花柄のスカートは女の子らしく、そこから見える足は美しかった。


 ハッキリ言って、ドストライクな見目である。


 こんな人、この学科教室で初めて見た。のにも関わらず、どこか懐かしさを感じた。


「ちょっと……ジロジロ見過ぎじゃない?」

 目の前に立つ人は、苦笑いを浮かべそう言った。


「す、すみません」

 俺は慌てて、視線を机に落とす。


「相変わらずだね。たろー君。まだ、なっちゃんのこと、苦手なの?」

 くすくすと微笑む声が耳に響く。


「?」

 俺は怪訝な顔をしながら、もう一度視線を合わせた。


 カラーコンタクトをしているため、瞳の奥までは見えない。そもそも、見たことがない奴だ。だけど、どこかで覚えている懐かしさがあった。

――たろー君。一緒に遊ぼ?


 蜂蜜色の髪色に、ヘーゼル色の瞳をした六歳程の子供がウサギのぬいぐるみ片手に、同じ年代の子供に駆け寄る。


――やだよ。なんでおままごとなんてしなきゃなんないんだよ! 男の夏の遊びといったら、虫取りとかじゃねーの?


 その子供は両手を腰に当て、ふんぞり返るように言った。


――わぁ〜。元気いっぱいだね。なっちゃんはいーや。虫苦手だもん。


――なっちゃん。健太郎も虫は苦手よ。なっちゃんと遊ぶの恥ずかしいから、嘘ついてんのよ。シャイな子だから。それに、男兄弟で女の子にはなれてないのよ。ごめんなさいね。


 男の子の母親はそう言って、優しい笑みを浮かべる。


――お母さんうるさいよ。よけいなこと言うなよ。別にはずずかしがってねーし!


 健太郎と呼ばれた男の子は、ガルルルという勢いで反論した。


 そんな昔の記憶が走馬灯のごとく、健太郎の脳裏にフラッシュバックした。

「な、なっちゃんって……まさか、あの時の⁉」

 俺は人差し指でその子を指しながら、震える声音で問いかける。きっとそうなのであろうという確信と、どうかそうでなかってくれという懇願が胸の内でバトルする。


「うん」

 目の前のその人が満面の笑みを見せながら頷いたことで、勝敗は瞬殺でついてしまった。


「いや、でも……今のお前、俺の知ってる佐々倉じゃねーじゃん。その声音はすっげぇ耳馴染みあるけどさ」

 分ってはいても、俺はまだぐずる。そんな簡単に受け入れられるものじゃない。脳内処理は容量オーバーでエラー警告注意報だ。


「うん。でも、そうだから。あと、ナツは終わったんだよ」

「?」

 言葉の真意が分からず、おとぼけ顔を晒す。季節は九月下旬。確かに暦上では、余裕で夏は終わっている。だが、暑い。恐ろしいほどに猛暑が続いている。そんな中、夏が終わったなどと、到底思えなかった。


「ナツが終わったら会おうねって言ったじゃん。もう忘れちゃった? もうボケちゃった⁉︎」


「ぼ、ボケてねーし! 頭がついて行かねーんだよ」


「んーもぉ。どう足掻いたって、小さい頃一緒に遊んだなっちゃんは、僕のことなの! っても、お父さんの会社が主催したファミリーバーベキュー大会で、一回会っただけだけどさ。それでもなっちゃんのこも覚えてくれてて、僕は嬉しい。

 ってなわけで、なっちゃんもナツも僕。同一人物。唯一違うのは、健太郎と健太郎のお母さんが、僕のことを、女の子だと認識したこと」

 仕方ないなぁ、とでも言うように説明するその子は、俺の右隣に腰を下ろす。


「……マジかよ」

 俺はありえない過去の勘違いに、左手で顔を覆う。頭が痛い。


「マジだよ」

「ぁ、ありえねぇ……」

「まぁ、勘違いするのも無理ないよ。だって、あの時の僕可愛かったもん。今も可愛いけど〜」

 佐々倉は両人差し指で左右の頬を突き当て、お得意のぶりっ子アイドルポーズを決める。


「すっげぇ言い草だな。アイドル雑誌のオーディションにでも応募してやろうか?」

「マジ? 勝っちゃうけどいいの? たろ君の僕から、全国の僕になっちゃうけど?」

 本当にいいの? と言うふうに、両拳を顎に当てて、腹正しい程の瞬きを繰り返す。


「もう勝手にほざいてろよぉ」

 なんだか自分が情けなくて、どこか不憫になり、負け犬の遠吠えのように言う声は、なんともか細いものしか出なかった。

「ねぇ、ナツを終わらせてきたんだからさ、僕とデートしよ? 涼しくなってきたからさ、遊園地なんてどぉ? ん~でも、ショッピングとか食べ歩き系のデートも捨てがたい。なにぶん今の僕に似合う手持ちの洋服がないからさ。今シーズン着る洋服を、たろ君が選んでもらいたいな~って。あぁ、でも――」

 佐々倉は人差し指を顎先に当てながら、一人大暴走でデートプランを考え始める。このあざとぶりっ子がさまになるのは、神のおふざけとしか思えん。


「あのなっちゃんが、佐々倉夏希。ナツがなっちゃん。……マジかよ。俺の初恋が……」

 俺はあまりの衝撃とショックに、ブツブツとぼやくことしか出来ない。


「わぉ。初恋が実って良かったじゃん」

「ふざけんなよっ」

 俺はナツこと佐々倉夏希のふざけた戯言に、ガルルルと威嚇する。


「ふざけてないよ。そっちが勝手に勘違いしてただけじゃん」


「……な、なんもいえねー」

 消す言葉もない俺は、両手で頭を抱えることしか出来ない。


「はい、僕の勝ち〜。じゃぁ、今度の日曜日、僕とデートしてね? デートするために、ナツを終わらせてきたんだからさ」


 佐々倉はそう言いながら俺の腕に自身の腕を絡ませ、にこにこ笑顔を見せる。


 可愛いのが腹正しい。

 もっと腹正しいのは、佐々倉を受け入れてしまっている俺だった。


**


 夏の終わり、ナツがナツを終わらせて、俺の前に現れた。


 ナツの終わり。


 それは、俺達の新たな関係性が始まる季節がやってくることを、告げているのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?