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「好きなことをして生きる」ってどういうこと?


◆本のタイトルにもあります

『好きなこと』⇒~だけで生きる。~をやって生きよう。~を仕事にする。~を仕事にする方法。~で稼ぐ方法。

こういうタイトルの本がたくさんあるようだ。私は読んでないので中身はわからない。本とは関係なく、「好きなことをして生きる」は賛成。できる限りそうしたいと思う。

でも! どういうことと捉えて賛成なのか。今の考えを少し記したいと思う。


◆日記帳に書いたむかしの言葉

私も昔々…10代の頃、日記帳に以下のようなことを綴っていた。(好きな道には進めなかった)


「人生には好きなこと1つくらいしかやる時間はないのではないか? ひとつのことを学んで経験積んで、、、。ああ時間は刻々と過ぎていく。それなのに自分はなにも始められずにいる」

とか。


お金や時間の問題以前に、好きなこと1つを定めるのが難しい。いかに生きるか。真面目な進路の悩みだ。


好きなことがはっきりしても親や教師に大して助けてもらえない。メジャーでない進路は特に。一人でチャレンジを企てるが、自分の中の葛藤がすごくて迷う(私の若い頃)。


未熟な若者には真剣に考えてくれる誰かが必要かもしれない。


そういう誰かがいなくても「どうしてもこれだ!」と思えるならチャレンジすべきだ。今の自分なら若い頃の自分に「やってみろ」って絶対言うと思う。


若い頃大好きでよくつぶやいていた言葉がある。

  
 Look if you like, but you'll have to leap.

    『見るまえに跳べ』大江健三郎著


「見たきゃ見な。でもどうせ跳ぶんだよ」って?

私はこの言葉が好きだけど行動はどうにもならない。怖がりなのに先の景色をつぶさに見ようとするから余計跳べない。パッと跳べない。跳ぶ寸前で押さて押さえて跳ぶのをやめる。情熱の火は、、、やがて消えてしまう。


年月が経って「それでよかった」と解釈はできる。でも1つの罪には違いないと思う。「進みたい道」に誘う強烈な力をそれ以上の力で押さえつけてしまうことは。


※引用は大江健三郎の『見るまえに跳べ』に出てきたフレーズですが、元々はオーデンの詩からの引用のようです。


◆「好きなことをやる」手順

「好きなことをやって生きる」を実践しようと思ったら、以下の手順しかない。本のタイトルのようなフレーズは分解され、補足も必要。

好きなことの
⇒ 実体(何なのか)を「知る」
⇒「始める」
⇒ 「続ける」
⇒ その道で「生きていく」
⇒その道で収入を得れば「仕事になる」


◆やっぱり好きなことに戻る

私も40代頃からまた好きなことを始めて、数年かけてささやかなことを1つ完成させた。それだけ。「その道」という段階では全然ないが、完成までの経緯を抽象的なレベルでまとめてみる。

端っこを少しつかんだ平凡な実感にすぎないが嘘はない。


・好きなことを始めてたのしい
昔から好きだったことに着手できた。たのしい。なぜ好きなのか? 「あなたはこれが好きであれ!!」ってどこからかやってきた力とも言える。時にとても強い力。火。


・好きなことが苦痛になる

好きなことを進めていくと向上心が湧いてくる。もっと真剣にプロから学びながらやろうと思う。苦手なことも出てくる。ハードルが上がっていくから、歯が立たない局面がでてくる。たのしいだけじゃなくなる。

がんばってやらなきゃ(⇒ 義務感)
疲れたからたまには息抜きしよう(⇒ サボり)
難しくなってきた。おもしろくない。やりたいけど、、、「辛い」


・自分には無理かも? 放棄する

思うように進まない。やっぱり自分には無理? 他にやらなきゃいけないこともあって忙しい。時間がとれない。後回し。ていうかやる気がでない!

しばらく放棄。

でも時折思っている「がんばってやろう!どうしてもやりたいことなんだ!でもいつ?どうする気?」(⇒自問自答。自責の念)

・再び取り組み始める
もう一人の自分に責められるのも辛くて、なんとか好きなことを再開。

ほんの少し進む(辛い。放棄するのも取り組むのも辛いのだ)
ポツポツ進む(少したのしい。元々好きなことだから ⇒ 大事)
リズムができてくる(たのしい)
暗礁に乗り上げるときもある(苦痛)

夢中になるときがある。ちらっと時計みたら5,6時間過ぎててびっくりする。もっと時間がほしいと思う。

・完全に捕まる
最優先で取りかかる。時間が惜しい。あっという間に5,6時間過ぎる。我に返ると充実感がある。できる限り良いものになるよう能力駆使して作らなければという辛さもある。


・完成を迎えるとき

もう少しで終わると確信したとき「あと少し!」と言って気合を入れ直す。泣きそうになる。まだ早いと抑える。

完成。この充実感、多幸感。「こんな私でも? 気がついたらここにたどり着けてた」静かな感動。

受験生と似ているかも。


◆「困難の壁は必ず越える」が大前提

「好きなことをやって生きよう」とは、「楽しいよ!」ではなく「困難なこともあって大変だけど乗り越え甲斐があり、十分過ぎる見返りがあるから、絶対こっち」という意味であるなら、本当にその通りと思う。


好きなことの中には辛いこともある。そんなの込み込み、あたりまえ。その上で「好きなことをやろう!」だということ。


それに一度達成感、充実感を味わったら、またそこ目指してやっていこう!と前向きになれる。個人的な小さな成功体験で十分。その記憶に助けられて努力したくなる。


◆「好きなこと」が決め手

困難とその先の充実感がセットで仕込まれているのは好きな道ならではじゃないだろうか。「好き」という感情は、充実感という宝物の場所まで私を連れていく撒き餌みたいなものかもしれない。


撒き餌はその人のおかれた状況や財布の中身なんか考慮しない。忙しいとかお金がないとか知ったこっちゃない。ただこっちだよって誘う。あなたの宝物こっち方面にあるよと。


たいして好きじゃない道を安易に選んだ場合、つまり「こっちだよ」の呼び声なしに進んだ道にも、困難はある。


好きじゃないし得意でもないからイヤな困難だ。そして乗り越えたときは充実感よりただただほっとする。私が逃げ腰だったからだろうか。でも比較にならないほど充実感は違っていた。

その意味でもどうせなら好きな方面へ行ってみるほうがいい。





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