父と向き合った日々2 ラドン療法

ラドン療法

川嶋先生との出会いはまさに父にとっての救世主でした。

生きようと思っている人が、一分一秒でもその可能性にかけて生きていくことは価値があること だと思います。
そこを医者としてどれだけ支えることができるか、
患者さんの希望を最後まで失わせるようなことを言わない、というのが私の信念です。

という川嶋先生の文章を読んだことがあるのですが、まさにこの通りに接してくださいました。
娘として今でも心から感謝しています。

父の腎臓は、病院の検査の結果当初はステージ 4 でした。
私は医療専門ではないので数字の意味がわからなかったのですが、調べてみると数値が1でもついているのは良くないらしく
2は気をつけましょう 3は本格的な治療をはじめましょう 4は現状維持と透析準備 5は透析しましょう
という段階の4でした。
通っていた病院の先生(西洋医学)からはそろそろ透析しないといけないと言われていましたが、父は何としても透析は避けたいと話していました。

その話を川嶋先生にしたら、もちろん現状の現実的な話しもしてくださいますが、奇跡を起こしましょうと励ましていただきラドン療法を勧めていただいたと話してくれました。
川嶋先生の素晴らしいところは先述した通りに何よりもどんな時も父のメンタルを落とさないところです。
通っている病院の医師にショックなことを言われて(といっても現実的な病状の話をしてくださっただけですが、改善策の提案やフォローがなかった)落ち込んだ後に川嶋先生の話しで気持ちを取り戻すということを繰り返しながら父はメンタルを保っていました。
私はこのやり取りをずっと目の当たりにした時に、現状を把握することは大切だけれども、病人に必要なことは、希望を持つこと、メンタルを落とさないことだと学びました。

ラドン療法・放射線ホルミシス療法とは下記のリンクからご覧ください。

オススメくださったのは、横浜にある医療用ラドン療法用のセンターで、医師の診断書がないと通えないきちんとしたところでした。
ガンの患者さんが多く通っておられるそうでした。
今思い返すと腎臓疾患からだと思いますが、父は当時は歩くのや動くのがおっくうでラドン療法がいいのはわかってはいるけれども怠くて行きたくないと言ってました。
そこで、子どもだましのようですが、まずは私が言って体験し、気持ちいいことを父に告げたらやりたくなるのではないかと思い、最初は私一人で下見に行きました。
下見に行ってお話しを伺い、私自身とても良いと思ったので、父にその話を何回かし続けていたらやっと行くと言ってくれたので、無理のない範囲で、通える時は月に3回、私も同伴しながら通いはじめました。
通ってみて、父もとても気持ちが良かったようでした。何よりラドンセンターの方々が父に温かく接してくださり、父のメンタル的にも良く、私は今もご親切にしてくださいましたことを感謝しています。
体調をみながらですが、1年半くらい続けることができました。
亡くなる数ヶ月前も ラドン気持ち良かったなぁ また行きたいなぁと話していました。

私はラドンに入りながら(病人の付き添いは入れる)父にマッサージをしていた(1時間くらい入り、そのうち30分くらいマッサージしました。)のですが、ある時に左足の中指が酷いことになっていることに気づきました。
本人は痛くもないので絆創膏を貼っていました。
私は驚いて即、病院に行くことを勧めました。
今、思い返してわかることは、壊疽がはじまっていました。
私は、もっと早く気づいてあげれば良かったとしばらく自分を責めましたが、そんなレベルではなかったようでした。
それ以来、体調悪化に加えて足も不自由になってきたので、ラドンには通えなくなりました。

エドガーケイシー療法では CARE が大切だとされています。
Circulation(循環)血液・リンパ液からなる体液の循環のこと
Assimilation(同化)食べた物を適切に消化吸収すること
Relaxation/Rest(休息/休眠)身体を十分に休めること
Elimination(排泄)体内の老廃物を適切に排泄すること

今、振り返ってみますと Elimination 毒素排出 の手段のひとつとしてラドン療法はとても良かったと思います。

株式会社リードアンドカンパニー
*医師の診断書がないと入れません。 

私自身も、仕事と父との両立で身体が疲れ切っていたのですが、付き合いとして毎回一緒に入っていたら体調が良くなりました。

ただ、どんなに良い療法をやっても父はお酒が大好きで、何があっても夜のお酒をやめる性分ではありませんでした。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?