発達障がいの子どもたちと世間の目
長男が小学生の時から支援学級にいたので、私と長男の世界は発達障がいと向き合うようになっています。特にADHDの子どもたちが多く、それは職場でも同じです。
放デイ(放課後等デイサービス)の子どもたちはまさに「困った子」と言われてきた回数がとにかく多く自身の生きにくさに拍車をかけています。
集団行動ができない時点で「困った子」
授業中に席に座っていられない「輪を乱す迷惑な子」
彼らは通常級に在籍すると、とにかく「またあの子か…」という目で大人から見られがち。悲しいことに支援級でも先生によってはそのような目で見る方もいらっしゃいます。
そうなると一番近くにいるママもくたくたです。とにかく誤解を生まないように、それでも世間の目は厳しい。言っても言っても止まれない我が子。時には「お母さんしっかりして」なんて言われてしまう。そんな状態が続くと「いいかげんにして!」とわが子に思うのは自然の事です。ママだって人間ですし感情もありますものね。
このお話、誰も悪者はいないのです。
大人の理解が少ないからという話もありますが、世の中にはいろいろな価値観を持つ人がいるのが当たり前。全ての人間を福祉人間にすることは不可能ですし、福祉関係の人もみんながみんな理解しているわけではありません。
ただ、「知らない」人は多い。現代社会は核家族が進み周りとの関りを少なくしていきたいという傾向にあります(私もそうでした)昔の時代は良かったと比べるものではありませんが、以前は近所に誰が住んでいて、あそこにはこういう子がいる。とコミュニティができていました。
こんな話を聞いたことがあります。公園で子どもの声がうるさいとクレームが入る時代。なぜうるさく感じてしまうのか。それは「知らない子」の声だからつい厳しくなってしまうのだそうです。「〇〇さんの家の〇〇ちゃんが遊んでいる」のと「知らない子が大声で騒いでいる」では受け取り方が違うのだそうです。なんだか分かりますね。知っている子なら許容範囲がそこで広がりやすいですし、声もかけやすいですね。
発達障がいは近年認知されてきた障がいです。情報はネット社会なのでとても多く頭にはどんどん入っていくのですが、では実際にADHDっ子を目の前にすると?情報そっちのけで怒ったり困ったり…。
情報よりもまずその子自身を見て欲しい。情報は情報です。それを活かせるかどうかは自分次第です。教科書通りに支援できる子どもなんていません。定型発達の子どもだって育児書通りではないでしょう。
私たちは情報を信じすぎてそれを正義か正解かのように勝手に枠を作ってしまい、いつしか常識にまで変わっていく。はみ出る子には容赦なく「困った子」レッテルを貼ってしまっているのです。
発達障がいの子どもたちは「困った子」なのでしょうか?
一番困っているのは誰でしょうか?
それは誤解を作ってしまい、その通り誤解され心では悲しんでいるのに更に怒られることをしてしまう「発達障がいに困っている子ども自身」なのではないかと私は考えています。
そして、彼らに向き合うには知識も経験も確かに大切ですが、その子がどんな子か、どんな気持ちと苦しさを抱えて生きているのか心と心を向き合わせることだと思うのです。
そんな大人が一人でも多く子どもたちの前に現れますように。
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