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それはまるで宝石箱のように (2)卑劣な罠

 前日のことである。グスタフは開拓団宿舎の自室で、差出人不明の郵便物を受け取った。それは麻ひもで封印された木箱で、なかには手紙と鉄製の仮面が入っている。
 手紙にはこう書かれている。

グスタフ殿
 貴殿の妻を預かった。返して欲しくば、日没後、同封している仮面を着け、西の共同墓地で待て。
 そして、仮面を着けたもうひとりの男が現れたら、これと対決し倒せ。そうすれば、妻を返してやろう。
 なお、このことは他言無用である。妻と連絡を取ろうともするな。少しでもそのそぶりを見せれば、お前の妻の命は無いものと思え。貴様のことは常に見ているぞ。

 グスタフは目眩を覚え、危うく床に倒れそうになった。かろうじて、すぐそばにあった椅子につかまる。
 彼は、しばらく動悸が静まるのを待ち、その後、手紙といっしょに入っていた仮面を手に取った。仮面は狼を模したもので、その口は大きく禍々しく開かれている。
 グスタフは素早く周囲を見回したが、窓の外にも廊下にも人影はない。
 これは罠だと、グスタフの直感は告げていた。彼が妻帯者であることを知るものは少なく、ましてや妻が住んでいる村のことを知るものとなると、数人の開拓者に限られる。彼らがグスタフの妻の居場所を、たやすく漏らすとは考えられなかった。
 しかし、それでも妻の命を盾に脅されている以上、グスタフはその脅迫に屈するほかなかった。
 グスタフは武器を装備し、背負い袋に手紙と仮面を入れ部屋を出ようとする。だが、すぐに考え直して、机へと引き返した。
 机のうえの羽ペンを手に取り、ペン先をインク壺に浸すと、文字を覚えるために広げてあるアルファベット表にしるしをつける。
 仮に自分が帰還しなかった場合、何か証跡を残しておく必要がある。それも、彼を見張っているであろう脅迫者に気付かれることなくだ。
 グスタフは今度こそ指定された場所に向かうため、部屋の入口のドアを開けると、ちょうど通りかかった古参の開拓者と鉢合わせする。
「どうした、血相をかえて」〈ハンター〉のクリストファーが話しかけてくる。
「ああ、クリスか」グスタフはうわずった声で応えた。
 一瞬、グスタフは、クリストファーに脅迫状の件を相談しようかと考えた。だが、今このときも、自分を監視している者の存在を思い出し、すんでのところで踏みとどまった。
「いや、なんでもないんだ」グスタフはそう言って、その場をあとにした。
 クリストファーは少し腑に落ちない表情で、グスタフを見送った。

***

 グスタフは壁外にある共同墓地で日没を待っていた。
 墓地のなかは、大小のさまざまな形の墓石が不規則に並んでいる。また、墓地の内外に群生するブナなどの広葉樹で日光を遮られているため、辺りは日中でも薄暗い。
 やがて日が陰り、墓地のなかがいっそう暗さを増すころ、グスタフはすぐ近くの茂みに気配を感じた。
 グスタフは静かに剣を抜き、墓石のひとつを背にして、気配のする茂みの方をじっと窺う。
 しばらくの間、彼は微動だにせず、茂みを凝視し続ける。
 そうしているうちに、とうとう日が沈み、辺りが暗闇に包まれる。すると、茂みから人影があらわれた。
 人影はゆっくりとした足取りで、グスタフの方へ歩いてくる。
 近づくにつれ、相手はフードを目深にかぶり、顔にはグスタフと同じように仮面をつけていることがわかる。狐の顔を模した仮面だ。
 突然、狐の仮面の者が、腰に吊っているレイピアを抜刀し、グスタフに飛びかかってきた。
 狐面の者は、グスタフの喉首めがけて鋭い突きを放つ。
 グスタフはステップを踏み、体を右にひねってこれを交わした。レイピアの切っ先がグスタフの鼻先をかすめていく。
 グスタフは体勢を崩しつつも、左手に持っていた盾を突きだし、相手を牽制する。狐面は素早く身を引き、次の攻撃を繰り出すべくレイピアを構え直す。グスタフも体勢を立て直し、次の攻撃に備える。

 しばらくの間、暗い墓地のなか、仮面を付けたふたりの者が死闘を繰り広げる。辺りには剣や盾がぶつかり合う音だけが響き渡る。
 戦いながらグスタフは、ある違和感を感じていた。
 それは、この敵がグスタフがよく知っている男ではないかという疑念だった。敵の剣さばきや足の運びに、見覚えがあるように思えたのだ。彼は思い切って声をかけた。
「グスタフだ! あんたアーロンじゃないのか?」
 グスタフの呼びかけに、狐面の者は動きを止める。そして、双方ともしばらくの間、にらみ合いを続けた。
 そして、ついに狐面の男が口を開く。
「本当にグスタフの旦那かい?」
「ああ、俺だ」グスタフは狼の仮面を外し素顔をさらす。
 それにならい狐面の男も仮面を外した。仮面の下から黒毛の柴犬の顔があらわれる。
 果たして、グスタフが予想したとおり、〈ラッター〉のアーロンであった。
「旦那、なぜここに?」
 グスタフは、背負い袋から取り出したオイルランプに灯をともすと、自分あてに届いた脅迫状をアーロンに見せた。
 手紙を読んだアーロンは言った。
「なるほど、あらかたの事情はわかったよ。旦那も俺も、誰かにはめられたってわけだ」そう言ってアーロンは懐から羊皮紙を取り出し、グスタフに見せた。それは、アーロン宛の脅迫状であった。

アーロン殿
 貴殿の妹を預かった。返して欲しくば、日没後、同封している仮面を着け、西の共同墓地で待て。
 そして、仮面を着けたもうひとりの男が現れたら、これと対決し倒せ。そうすれば、妹を返してやろう。
 なお、このことは他言無用である。妹と連絡を取ろうともするな。少しでもそのそぶりを見せれば、お前の妹の命は無いものと思え。貴様のことは常に見ているぞ。

 脅迫状には、グスタフのものと全く同じ内容が書かれている。ただひとつ、誘拐したとする人物が、グスタフの妻とアーロンの妹という違いがあることを除いて。

「つまり、何者かが俺たちをこの墓地におびき寄せて、同士討ちさせようとしたわけか」グスタフが苦い顔で言った。
「そういうことだ。どうやら俺たちは、そいつに相当の恨みを買っているようだな」アーロンが言った。
「心当たりはないな」グスタフが言った。
「知らずに恨みを買っているということもあるさ」アーロンはそう言って、近頃、D大公の別荘で見聞きしたことを手短に話す。
アーロンの話を聞くにつれ、グスタフの表情は深刻さを増していった。
話を聞き終わると、グスタフは言った。
「それでは、俺の農場を襲ったアナグマは、D大公の手先だったというのか。そして、大公はアナグマを倒した俺に恨みを持っていると」
「それは確かだ。現に大公の日記には、そういったことが書かれてあったからな。俺自身に対する恨みについては、別に思い当たる節が多すぎてなんとも言えんが、最近起こった出来事のなかでは、やはりD大公の件が筆頭に挙がるな。ところで旦那、さっきから囲まれているのに気づいているかい?」
グスタフが身構えて周囲に注意を向けると、アーロンが言うように墓石や樹木の陰にいくつかの気配を感じた。気配の数は五、いや、もっと多いか。
「まあ、このまま何事もなく帰れるとは思ってないけどな」アーロンは墓石のそばにしゃがみ込んで、何やらごそごそしながら言った。

 やがて、黒いローブをまとった一団が、グスタフたちを取り囲む形で姿をあらわす。
 そして、その中のひとりが進み出て言った。
「誠に残念なことだ。先ほどの戦闘で、お前たちのうち一人でも死んでくれていれば、こちらの手間も少しは省けただろうに」
 グスタフは男が仮面を付けていることに気がつく。銀製の仮面で鷲の顔を模している。暗闇のなか、銀の仮面が周囲のわずかな光を反射し輝いている。
「何者だ? 誰の手の者だ? 俺の妻はどこだ?」グスタフは剣と盾を構え、立て続けに言った。
 いつの間にかアーロンも立ち上がっており、レイピアを構え直している。
「おいおい、質問はひとつずつにしてくれよ。まあ、どの質問にも答えてはやらんがね」銀仮面の男が言う。
「だが、我々の目的は教えてやろう。それは、この世からお前たちを葬ることだ」そう言って銀仮面が合図する。たちまち数人の暗殺者たちが武器を抜き、グスタフたちに殺到する。

 暗殺者のひとりがレイピアを抜き、グスタフに鋭い突きを入れてくる。
 グスタフはステップを踏み、半身の状態で剣を突き出し、敵のレイピアの軌道に割り込ませる。敵の剣先の軌道はグスタフから外れ、替わりにグスタフの剣が敵の喉首に深々と突き刺さった。
喉を刺された敵は、血煙を上げながらどうと倒れる。
 すかさず、別の暗殺者がグスタフに長剣を振り下ろす。グスタフは先の攻撃で体勢を崩したままであり、敵の攻撃をかわすことができない。
そのとき、グスタフの背後に隠れていたアーロンが、電光石火、敵の側面に飛び出す。
 アーロンのレイピアが敵の喉をとらえ、二人目の暗殺者も地面に倒れ伏した。

 その光景を見ていた銀仮面の男は、右手を挙げる。暗殺者たちはいっせいに動きをとめた。
「ほう、なかなかやるではないか。面白い、今度は俺が相手をしてやろう」銀仮面はレイピアを抜いた。
「お前たちは手を出すな」銀仮面が部下たちに命令する。彼らは少し離れ、戦いを静観する姿勢をとる。
「あの男、手強いぞ」敵の立ち振る舞いから、その技量を見抜いたグスタフは、小声でアーロンに警告する。
「ああ、旦那。わかっているさ」アーロンが応える。
 銀仮面は音も立てずに、グスタフたちとの間合いを詰めてくる。
 そして、両者の距離が十フィートほどに縮まったとき、突然、銀仮面が地面を蹴り、グスタフに突きを放ってきた。
 グスタフは盾を構えて攻撃に備える。
 だが、その攻撃はおとりであった。
 銀仮面は着地と同時に体をひねり、攻撃の矛先をグスタフのすぐ横にいたアーロンへ向けた。
 アーロンは意表をつかれたものの、すぐに冷静さを取り戻し、敵のレイピアを自らのレイピアで払う。
 そして、アーロンはそのまま反撃にでた。敵の喉元を狙って、レイピアの鋭い突きを繰り出す。
 一瞬、アーロンの突きが敵の喉をとらえるかに見えた。だが、敵は空中で体をひねり、攻撃の軌道から逃れると、着地するなり後ろへ飛び下がり、ふたりとの距離を取る。
「やるな若いの」銀仮面はうれしそうに言った。
「では、これならどうかな?」
 銀仮面は再び前に飛び出し、間合いを詰めてくる。
 グスタフとアーロンは敵の頭部を狙い、同時に攻撃を繰り出した。しかし、銀仮面は素早く地面すれすれに体を沈み込ませ、身をかわす。ふたりの攻撃は空振りに終わる。
 と同時に、アーロンは胸部にすさまじい衝撃を受け、後方へふっ飛ばされる。
 攻撃をかわした銀仮面が、そのままアーロンへと体当たりを食らわせたのだ。
 アーロンは十フィート後方の墓石に叩きつけられ、衝撃で気を失ってしまう。
「やはり、同時に二人を相手するのは分が悪いのでね。差しでの勝負とさせてもらうぞ」銀仮面はそう言うと、グスタフに襲いかかる。
銀仮面は正確無比な突きを幾度も放ち、その尋常ではない攻撃にグスタフは防戦一方となる。グスタフは剣と盾を使い、銀仮面の攻撃をかろうじてかわし続ける。
 敵の絶えざる攻撃なかで、グスタフは反撃の機会を待ち続けた。いかに優れた武芸者であっても、疲労と無縁なものはいない。攻撃を続けていれば、必ず何らかの隙が生まれるはずであった。グスタフは、敵の攻撃を避けつつ、銀仮面の挙動を観察し続けた。
 グスタフが思ったとおり、ごくわずかであるが、敵の動きが鈍くなってきている。心なしか、銀仮面が肩で息をしているようにも見える。
そして、敵が突きを放とうと一歩を踏み出したとき、誤って足下の石につまずき、体勢を崩す。
 グスタフは機会の到来を確信し、素早く上段に振り上げた剣を、銀仮面の頭部目がけて振り下ろした。
 だが、それこそ敵の思うつぼであった。
銀仮面はわざと石につまずいたように見せかけて、グスタフの攻撃を誘ったのだ。
 グスタフの鋭い斬撃はかわされ、その剣先は、銀仮面の男が来ていたローブの端をわずかに切り裂いただけであった。そして次の瞬間、敵のレイピアがグスタフの肩を深々と刺しつらぬいていた。
 グスタフは背後の墓石にもたれ掛かる格好で倒れる。肩にはレイピアが突き刺さったままだ。
 銀仮面はグスタフの肩からレイピアを抜くことはせず、そのまま話しかけてくる。
「農民出身と聞いていたが、なかなかどうして、たいした腕ではないか。いや、恐れ入ったよ」男は満足そうに言った。
 グスタフは激痛のなか、肩に刺さったレイピアをなんとか抜こうともがくが、びくともしなかった。肩を貫いたレイピアの剣先からは、血が滴り落ち、墓石を赤く染めはじめる。
 その様子を見て男が言った。
「ほう、まだ戦うつもりか。なんという強固な意志だ。何が貴様にそこまでさせる?」
「アルマを帰せ!」グスタフは出血と痛みでもうろうとしながら言った。
「アルマ? ああ、貴様の妻の名だったな」銀仮面は言った。
「ふむ、今の戦いに敬意を払い、その質問には答えてやろう。妻をさらったというのは、嘘だ。ここに貴様をおびき出すためのな」
 それを聞いたグスタフは、安堵の表情を浮かべる。憎き敵の言ではあったが、その言葉には、なにかしら信用に足るものを感じたのだった。
グスタフの手足から次第に力が抜けていく。
「(どうやら、俺もここまでのようだな)」グスタフは覚悟を決め、敵のとどめの一撃を待った。
「貴様は殺さん」その様子を見て、銀仮面が言う。
「その武芸の腕、揺るぎない意思、賞賛に値する。ここで殺すのは惜しい」銀仮面はそう言って、グスタフの肩に刺さっていたレイピアを引き抜く。
「手当てをしてやれ。向こうで寝ている奴もな。それが終わったら、例の場所に連れて行け」銀仮面が部下に指示する。

「(アルマ……)」遠ざかる意識のなか、グスタフは妻のことを想った。