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国語の教科書が好きでした4:太宰治「斜陽」

*実は「斜陽」はまだ通して読んだことがなくて、これは中学校の国語の教科書に載っていた「斜陽」の一部分とその思い出のお話です。

教科書の最後の方に、有名な作品とその著者名が並ぶ文学年表、みたいなものがありました。先生はそれを順に追っていき、「うん、そうだね、これは知っておかないとね」などとコメントしていくのです。生徒たちは、先生が大事だと言った作品には蛍光ペンや色ペン、シャープペンシルなどで年表に線を引いていきます。テストに出るかもしれないので。太宰治さんの作品になったとき、「これはね、君たちはまだ読まない方がいい」と、はっきりと言ったのが印象的でした。母親から聞いた話から「暗い作品が多い」という漠然としたイメージがあったのでそのこと自体に驚きはしませんでしたが、教師が教科書に載っている作品に対して「読まない方がいい」という否定的な言葉を放ったのが珍しかったのを覚えています。(実際、教科書だから正しいわけではないし、教師だから正しいわけでもありませんが、当時は意外だったのです。)

教科書には、そんな太宰治さんの作品、「斜陽」の一部が載っていました:

朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
 と幽かすかな叫び声をお挙げになった。
「髪の毛?」
 スウプに何か、イヤなものでも入っていたのかしら、と思った。
「いいえ」
 お母さまは、何事も無かったように、またひらりと一さじ、スウプをお口に流し込み、すましてお顔を横に向け、お勝手の窓の、満開の山桜に視線を送り、そうしてお顔を横に向けたまま、またひらりと一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。

(記憶に残っているのはこの部分で、実際はこれに続くこの段落全て載っていたかもしれません。)

何故かこの数行が気になってしまって、繰り返し読んでいました。「お母様はどんな人なんだろう」「なぜスープを飲むときに声をあげたのだろう?」「異物が入っていたのか、という問いは否定しているし...」

「ひらり」や「お唇のあいだに滑り込ませた」という表現も気に入ってしまい、スープを飲むたびにゆっくり掬い、コンソメの色を通してみるスプーンの銀色や浮かぶ野菜のかけらを眺め、できるだけ音を立てずに口を開けずに「唇のあいだに滑り込ませる...」。「ひらり、ひらり」と心の中で唱えながら、自分なりのひらりを求めるごっこ遊びを1人でしてました。

こんなに印象に残っているものなのに、不思議と「斜陽」を読んでみようとは、当時もそれからしばらく経っても思いませんでした。母親や教師がいい顔をしなかったこと(少し怖かったのかもしれません)、授業で読んだ太宰治さんの他の作品にそこまで惹かれなかったこと、が理由でしょうか。小学生の頃は冒険ファンタジー、中学生になるとミステリ小説にハマり始めた頃だったので、単純な好みの問題もあったのでしょう。

今でも国語の教科書を思い出す時には、あの一節と中学校の給食とスープを思い出します。これは、中学校の国語の授業という時間に、「斜陽」の手元にあった限定的な一部分の思い出を書いたものなので、ここまでとします。近々通して読み、感想なんかを書けたらな、と思います。

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