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傷と再生

お灸というのはやはり良いな、と、たびたび感じることがあります。

(以前より無力感に打ちのめされていた患者さんが、せっせとセルフケアお灸を楽しそうにされている姿をみたときなどにそのように思いました)

特に鍼はなかなか難しいかもしれませんが(円皮針はおいといて)お灸はセルフケアが比較的容易だったりします。

ところで、一生懸命わたしが鍼をしたりストレッチをするのもよいですが、患者さんご本人がご自身で自分の体に触れ、感じ、つぼを探し、願いを込めてお灸に火をつけ、熱さを味わい、効果を実感するといったプロセスは何にもまして意味がたくさんあるように思ったりします。

お灸をしようと自分のからだを見て、触れて、感じるプロセスには、おそらく病院がみているからだへのまなざしとは非常に大きく異なる、何か面白い要素(当人には怖さもありますが)が含まれているように思うのです。

もちろん東洋医学のもつからだへのまなざしがガイドになるのですが、現代では野蛮にも思えたり、まかり間違えば自傷行為のようにも勘違いされそうな、肌を焼くという行為には、免疫系の医学的解釈以上に「傷と再生」の深い人類の知恵が隠されているように感じるのです。

鍼灸師からするとリストカットといった世間からは不適応気味な行為は、手首の肺の経絡を切る、シャする、胸の熱をとるといった、非常に理にかなったセルフケアとして解釈できたりします。熱の発生源は七情(悲怒喜思憂恐驚)といったところでしょうか。

からだの情報はネットにあふれていてとてもセルフケアには適した環境が整っている今日ですが、からだのもつ再生や回復のパワーを扱うには単なる知識というよりも、知恵や経験が必要だったりします。

セルフケアに関心があるものの、多くの文脈がありすぎて迷われている方は東洋医学、特に日本の伝統に深く根差しているお灸から標準医療のみる「からだ」とは異なったもう一つの「からだ」への小さな冒険をワクワクドキドキしながら始めることをおすすめいたします。


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