ハッピーパピデイ

15/05/2023

今日はパピの誕生日なので、昨日のマミの流れでパピについてかいてみる。(5月はパピと兄の誕生日、母の日があるので大忙しですねえ)(兄の誕生日に兄について書くかねえ)

パピと私は頑固なところが似ている。どうやってもこの似ている頑固さはありがたく無い時もある。けど、意志が強いってことで。あとは耳がいいのも似てる。父の唯一の自慢がフランスに仕事で行った際に、すぐにフランス語が聞き取れるようになって現地の人に褒められたっていうエピソード。(嘘じゃなく100回以上聞いてる)わたしも言語の勉強をするときにそこそこ上手に聞いた音がそのまま出せるらしく、そこが似ている。(ありがたい方の遺伝)

子供のときのパピのことを思い出すと”不思議な人”。
遮光カーテンじゃないと、コットンのパジャマじゃないと、いびきが聞こえてくると、寝れないって言っていて、どこでも寝れたわたしは信じられない父だなあって思って。
朝起こしに行くとなんかぶつぶつ言ってる音を聞いていることがあって、わたしたちはそれを”オバケ”と呼んでいた。だから、起こしに行って”オバケ”が流れていると、「お父さん、オバケ聞いてる。だから起きてこないね」って母に伝達してた。大きくなってわかったことだけど、それは今でいう”メディテーションセラピー音源”だったらしい。当時は怖くて一瞬でドア閉めてた。で、パピはそのまま仕事を休んだり、午前中だけ休んだりしていたので、なんでうちのお父さんだけ働いてないんだろう。って疑問に思ってた。今では別に有給使っていただけだなってわかるんだけど、当時は不思議で。他のお父さんはいないのにうちのお父さんだけ17時過ぎにうちに帰ってきて家のまえでわたしと兄と他の家の子供と遊んで夕飯できるの待ちしてるのも不思議で。マミと兄とわたしの3人がマミの実家にまるまる1ヶ月帰って、自分は家でひとりで過ごす夏がうちの定番で、なぜパピはついてこないのか不思議で。(飛行機に乗れなかったからだと大きくなって知った。)
だから、パピは小さい頃のわたしにとっては不思議な人だった。

ほんで、わたしたちはよくケンカする。小学生の時から今日まで。小さい時のケンカの多くはわたしが部屋を片付けないことに怒ったパピがそこから関係ない話を持ってきては膨らませて結局言った言わないで揉めるパターン。小さいケンカが大きくなって、過呼吸で倒れるギリギリで終わる。
兄はそれをみながら呆れていて、母はガッツリ止めるか呆れるか。

ただ、ケンカの量とは反比例して理解度は高い。わたしがしたいと言ったことを頭ごなしに否定したことは一度もない。ケンカの内容が超くだらないことで、こういう人生の大事なこと、とかじゃないのはなんぜ??って思うくらい、そこの話は聞いてくれるし、プレゼンの機会もくれる。
アメリカ進学も、イギリス行きも、オランダ進学も、全部プレゼンしたら承知してくれた。そういう時はパピというよりもクライアントって感じで、全てはわたしの熱意によるし、予算を伝えてきてそこに合わせられたら大丈夫。(昭和の頑固親父みある)みたいな。パソコンをテレビに繋いで、「なぜ、次の進学や編入がいまのわたし必要か。なぜしたいのか。」ということをプレゼンしたこともある。自分に子供ができて同じこと言われたらさせてあげられるのかってことを考えるたび、いつも感謝しか出てこなくなる。経済力も、決断力も。

あとは、書類の管理とかは徹底してるんだけど、娘の管理はなかなか適当。高校生の時から夜遅く帰ってきても、23時に遊びに行ってくると言っても、おかえり。いってら。って具合だし、東京に面接で一週間いなくなる朝とかもあれ?今日だっけ?いってら。みたいに、かなりチルである。ありがたい。(友達に話すと、それはあんたのこと信頼してるからよ〜!って言ってくれるけど、本当のところはどうなのか。笑)

わたしが知っている限り、2枚のアルバムを車でかけていて。一つは大瀧詠一で、もう一つは大黒摩季。わたしが今でも夏になると必ず "A LONG VACATION"をリピしちゃうのは、ドライブの曲だからだと思う。細胞に刷り込まれた。
あと、大黒摩季の"OH-MENI-MITE-YO!!"と言う曲については、”恋はルンバ・人生はサンバ”と高らかに歌われている。 「俺的にはマミのテーマソング 。歌詞がマミっぽいよな〜!だから好きなんだよこの曲。」って言ってて、高校生のわたしは確かに、と納得した。そもそもタイトルが大目に見てよ。だしな。

正直、わたしとパピの距離感はこの9000キロ離れてるくらいがちょうどいいと本当に思う。お互いのことありがたい存在だと思いあうためには9000キロを要すみたい。(遠い) 夏にケンカする前のわたしはもうパピとケンカすることは二度とないんだろうな〜くらいの達観した気持ちでいたんだけど、ぜんっぜんそんなことはなくて。わたしが子供であるのと同じくらいパピも子供であって、大人であるのと同じくらい大人で。自分の意見を曲げない同士なんだと思う。
はいはい、って喧嘩しなくなったら大人になった証拠。みたいなものかもしれないけど、それでも、やっぱり喧嘩をしなくなったら寂しく思うんだろうな。いや、ケンカの火種がほんまにしょうもなすぎるから二度とケンカせずにすみたい。笑

趣味でも見つけて一人で楽しい人生を送れるようになってほしいと願うのであった。。

つづく、、!

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