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感情は自分のものだ。あなたが何とかするしかない。誰かが何とかしてくれるのは赤ん坊だけ。

よく凪のように落ち着いてるねと言われる。


感情の揺れがないように見えるみたいだ。
仙人のようだとも。

確かに昔から怒りや悲しみの感情を誰かにぶつけている人を見ると不思議に思っていた。
何で自分のことなのに誰かに何とかしてもらおうとしているんだろうと。
赤ん坊が泣いてるみたいだ。
よく分かんないけど何とかして欲しいから私のことをどうにかしてって。

私自身、怒りも悲しみも表には出さないが感じてはいる。
これはイメージの問題だ。
目に見えないものはイメージがしっかりしていないとコントロールなんてできない。
だって触れないんだから自分で設計して触れるようにしてあげなければ。
理屈で考えて理解してても感情が昂ってる時はそんなもの役には立たない。
感情と理屈は相容れない。そんなこと直観的に分かってるはずなのに。

私のイメージは”凪”だ。


風もなく水も揺れていない穏やか。
自分の感情はいつも自然にこの状態になる。
そうはっきりとイメージできる。根拠なんていらない。
多分脳がそのように動いてくれる。

脳は賢いようで賢くない。
脳への理解は感情の理解につながる。

耳から入ってきた言葉は、自分が言った言葉も自分が言われているように認識するらしい。
悪口も褒め言葉もあなたが相手に言ってるとしても、自分に言われたと思う。
さらに脳は身体的ダメージと精神的ダメージを区別できない。
”痛い”という刺激は一つしかなく、身体からと精神からの痛みの刺激が合流し脳に刺激を与える。
よく考えると皮肉なもので、誰かの悪口を言うと自分の顔を自分で殴っているかのようだ。だって区別しないんだから。

加えて、脳は想像したものと実際に存在しているものを区別しない。
これは梅干しを想像するだけで唾が出てくることからも直観的に分かる。
あなたが考えたことは全て脳の中では現実だ。
自動演算装置としてあなたが考えたことをもとに計算を始める。

例えば、あなたが誰かにひどいことを言われたとする。
私はあの人に傷つけられたと思う。あなたは怒っている。
そう考えた時点で現実になる。
脳はその現実から計算を始める。
あなたは怒っているんだから、怒っていなければいけない。
怒っている状態を継続するために。
傷ついてるのだから、傷ついていなければいけないんだ。

脳は賢いようで賢くない。


脳の特徴を理解すればあとはイメージの問題だ。
イメージさえ出来ていれば自動で計算を継続してくれるんだから使わない手はない。

私は普段の感情のイメージは凪のような水面だ。
水に傷がつくイメージができるだろうか。
水が私で、波が感情だ。
確かに刺激で揺れることはあるだろう。
けれど自然と凪に向かう。
それを周りに愚痴を言ったり怒りを爆発させたりする必要はない。
余計な刺激を加えて波を継続する必要はないんだ。
何もしないのが一番早く波がおさまる。
ただ見てれば良いんだ。今揺れてると。

赤ん坊はそんなイメージを意識的に出来ないだろう。
だから助けてあげる。
それを大人になってからやってもらおうとするのはお互いが辛そう。
みんな波立ってる。
私は傷ついてる。イラついてる。
自分で言ったって誰かが言ったって関係ない。
耳から入ってくるものは全て刺激になる。
脳は関係なく計算を始める。波が立ち始める。

これもイメージの問題だ。
どの刺激を受け入れるか意識的に選ぶこともできるかもしれない。
誰が何言っても自分のことのように脳が勝手に計算し始めないように。

そう意識し始めたら誰かに感情をぶつけられてもあの人の感情はあの人のものなんだから私には関係ないものと思えるようになった。
例え私に怒っている人がいたとしても、その感情は私には関係ない。
赤ん坊が泣いてるところや、犬が吠えてるところを勝手に想像している。

何かを伝えようとするときに怒りの感情は必要ない。


誰かを傷つける必要はない。

悲しむのも続けなくていい。
脳が勝手に計算を続けているだけだ。あなたは悪くない。
イメージで脳を使いこなさないと、刺激に反応するだけで一生終わってしまいそう。
脳が自動で考えててくれるから自分で考える必要ないしね。

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