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絵本の記憶に助けられること

年明けから新しい仕事が増えて、思い悩むことが増えた。
蓄積するタスク、関わる方への皺寄せや自分の不甲斐なさ等々でやや疲労気味というある日、いつもより遅い時間帯に移動中のこと、乗換え先の電車で改札が近い車両へと進みながら、ふと足が止まった。

車両の一画に、自分にとっては懐かしい絵本である『ぐるんぱのようちえん』の絵が現れたから。


※後から調べて、東京都交通局が都営地下鉄各線に設置した「子育て応援スペース」であることを知る(利用時間帯が違っていたのと乗る車両の位置から、全く気づかなかった…)

https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/subway/schedule/kosodate/index.html


その時はたまたま人がおらず、意外なのとよく見たいのとで、近づいて絵を眺めてみた。
すると、不思議と子どもの頃に読んだ『ぐるんぱのようちえん』が自然に思い出されてきた。

ぐるんぱは
しょんぼり
しょんぼり
しょんぼり

仕事で失敗して、その時点での“失敗作”を抱えてトボトボ歩くシーン。

何回かの失敗を経て最終的にぐるんぱが開いた幼稚園では、“失敗作”は子どもが大喜びの遊具となり、
ひとりぼっちで寂しがりで泣いてばかりだったぐるんぱは、不器用な失敗を重ねた後、楽しそうに幼稚園の「仕事」をしている…。

結末まで思い返してから、しょんぼりしょんぼり…と頭の中で繰り返し、さらに近づいて表紙の絵を見た時、ぐるんぱの大きな耳に重ねられた様々な色・筆遣い・陰影、そんな細部に目を止めて絵の持つ優しさに気づかされた。

不覚にも一瞬、電車の中で涙腺が緩んだ。
そして何となく救われたような気がした。

・・・・・・

今読めば色々と考えさせられることが多いだろうけれど、子どもの頃『ぐるんぱのようちえん』を読んだ当時は、「仕事」がどんなものかわかっておらず、ただただ、幸せそうな結末や文章のリズム、カラフルな絵を楽しんでいただけだった(と思う、それだけ遠い記憶になってしまっている)。

好きな絵本ではあった(ように思う)が、何回も読み聞かせをねだったとか毎日繰り返し読んだとかそんなことはなく、ふと家の本棚を見て何回か手に取っただけの絵本。

まだまだ年数が浅いとはいえ少しは『仕事』のあれやこれやを経験し自分なりの葛藤の只中で、その記憶がよみがえり、これほど救われるとは思ってもいなかった。

また、ほのぼのとした優しいタッチの絵とは思っていたが、よくよく見返して、その寄り添うかのような絵自体が持つ優しさの様なものを感じる日が来るとも思っていなかった。

頭の底にしまわれていた子どもの頃の記憶が、大人になったある日、ふとした瞬間に自分を助けてくれる、そんな貴重な体験だった。

あまり絵本の読み聞かせをしてもらったことはなかったように思うけれど、絵本は家にそれなりにあって、その中に『ぐるんぱのようちえん』があったことに感謝したい。

なんとなく、本屋さんや図書館で親子連れや子どもを見かけたら、おこがましい気もするものの、いつかその絵本の記憶がその子を助けてくれる日がくるかもなと思い願うようになった。

あと、大人だからこそ絵本を手に取ろう、そう思うようになった。
純粋に絵本そのものを楽しみながらも、今手にとったこの絵本が穏やかに自分に蓄積されていく、そんなイメージで。
日々に追われる中でも、本屋や図書館の片隅でふと絵本を手に取れるような大人でありたい。


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