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クリスマスケーキが誘う思い出

クリスマスの販促が始まるのは毎年ハロウィンが終わってから!

…と思っていたら、
ここ最近、コンビニやらスーパーやら多くの場所でクリスマスケーキのパンフレットが目に入ることに気がついた。

まだ昼は半袖という日もある中、流石に早いのでは…と思いつつ、毎年の習慣で色々なパンフレットを見つける度に持ち帰ってきては、あれやこれやと見比べている。

老舗ブランドの高級ケーキも多い中で畏れ多く思いつつ、華やかなケーキを眺めながら、「号数と値段を比較してこのケーキはお高いなぁ」だの「横長じゃないブッシュドノエルがあるんだなぁ」だの、とりとめのないことを考えていると、あっという間に時が経つので恐ろしい。

ただ、多種多様なケーキに目移りしては、どれもこれも美味しそうだなぁと思うものの、実際に食べたいと思うかというとそうでもないので、我ながら不思議な感覚。

食べたい気持ちもそれ程無いのに、パンフレットをこんなに持ち帰ってきてしまう理由はなんなのか。

何となく家族で食べるものだと思うから、が、すっと浮かんだ答えだった。

・・・・・・

昔、実家にいた頃、姉達が進学し家を出る前は、クリスマスは父が仕事帰りにケーキを買ってきたものだった。

オーソドックスな、苺の乗ったホールのショートケーキ。
真っ赤な苺と白い生クリームのコントラストが目に鮮やかで、当時は生クリームも大好きで、側面のフィルムについた生クリームでさえも争いながら食べた記憶がある。

ある年のクリスマスは両親の喧嘩中で、家族全体が気まずい雰囲気の中で迎えたクリスマス当日に、父がケーキを買って帰ってきた日の驚きやなんとなく嬉しくなる気持ち、文句を言いながらケーキを食べる母に覚えたハラハラはよく覚えているし、なんならあの時のクリスマスケーキの飾りのサンタは今でも実家の自室にしまい込んである。

ただ、他所ではずっと仲良く続くという所もあるかもしれないが、我が家の家族行事は、子どもが大きくなる度に、姉が家を出て子どもが少なくなる度に、両親間の不仲の進行もあって廃れていったので、
家に残ったのが自分1人となった高校時代は、家でクリスマスらしい何かがあった記憶がない。

自由な校風だったこともありクラスでクリスマスを絡めて騒いだりもしたので、その期間クリスマスらしいことが全く無かった訳ではないものの、
姉の時は自分が幼いのもあった方が家族で祝ったのにと羨ましい気持ちや、家族っぽさを感じられる機会がなくなる寂しさがあって、どうも執着してしまう。

思えばその頃から、ケーキ屋さんのチラシを集めてみたり眺めてみたりが始まった気がする。

クリスマスに限らず、季節の色とりどりのケーキやその他お菓子は、眺めて味を想像するだけでも気が晴れ、当時学生なりにあれこれあって鬱屈した心の良いガス抜きだった。

ただ、中でもクリスマスは特別で、というのも、こんなに飾りに飾った煌びやかなケーキを、しかも大きなホールケーキを売り出す時なんて他にそうそうないし、
それに、(普段はあまり好きではないが「一般的な想定」でいくと)、ホールケーキはおひとりさまが1人で食べるものでも、カップルが2人で食べるものでもないからだ。

もちろん色々な食べ方があって良いけれど(実際に1人でホールケーキを食べた強者を知っているし、4号サイズなら頑張れば2人で食べられるだろうし)、
ホールケーキは複数人で、クリスマスならとりわけ家族で分け合って食べるもの、という偏見が自身に根強い。

家族でホールケーキを分け合って食べるなんて幸せだなぁと、過ぎた思い出と重ね合わせながら思っていて、
それが今も続く「クリスマスケーキのパンフレットの収集」になってしまった。

…ような気がする。

・・・

年を重ねると子どもの頃とは感覚が変わるのは当たり前で、時々大人になるということがやけに寂しいものに感じられることがある。

クリスマス1つとってもそれは同様で、
今では生クリームより高カカオチョコの方が好きだし、
家族みんなで食べるにしても確実に数切れ余るホールケーキより個々に好きなケーキを買った方が良いと思うし(翌朝余ったケーキを食べていた記憶がある)、
なんならクリスマスとはいえ夜にケーキを食べるのはどうかとさえ思う。

それでも自分にとっては、今でもクリスマスのホールケーキは理性が追いつかない家族の幸せの象徴なのだと、しみじみ思った。


ただ、こんな感傷的な思い出ばかりでもなく…

印象的なクリスマスケーキの思い出に、高校時代の英語の先生が話してくれた
「恋人のいない男子学生達でホールケーキを買ってきて、いざ食べると言う時に包丁が無いことに気づき、箸を包丁代わりにみんなでギコギコやっていたら、虚しくなってそこで解散した」というよい意味でちょっと馬鹿らしいエピソードがある。

幸せから一周回って、苦々しく馬鹿らしいけれどあっという間の青春のどこか直向きで懸命な気配が感じられる、これもある意味幸せな思い出だと思う。


クリスマスの幸せにも色々あって良いし、
クリスマスだからと言って幸せでなくても良いし、まったく無関係に過ごしても良い。

いつか、心からそう思えている日がくるとよいものだと思う。

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