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清濁を併せ呑むこと
仕事上の立場が少し変化したことで、
これまでの自分なら内心反発していただろうが
今の自分では受け入れざるを得ないことが、ポツポツとあらわれてきた。
内心のもやもやはその時から少しずつ溜まり続けていたものの、言語化出来ないままのものが多く、未だ言葉にならないもやもやが心の大半を占めている。
その状況で今の心境や心構えを一言であらわすならば、
「清濁を併せ呑む」こと。
(…が必要だという気持ち)。
内心にある清濁の基準はあくまでも自分の基準で、由来である大海には及びもつかないものの、心境としてはこう。
せっかく言葉になったのだから、程度や的確さはさておいて、自分の表現を優先したいなと思う。
・・・・・・
言葉になった小さなことを並べてみると、
・実務を経験し「現場の知恵」があることを重視していたのが、
実務経験がない事柄について熟知・管理できていると言えないといけない立場に置かれたこと。
過去の自分は、組織を整える目的があるとはいえ、実務上の接点がない役職者の下に急について実務経験がない上司の管理を受けることになると、組織人としては必要性を認識できても、内心では反発してしまっていた。
それが上司や管理者とは違う立ち位置ながら、実務経験はないという点で共通点がある状況になり、自分自身に対して納得できない思いをいだいている。
経験を上回る知識習得や知識に基づく専門的・俯瞰的視点からの状況把握での克服が必要と知りつつ、進捗芳しくないこともあって反発する自分は居続けていて、それでも時間は進み今の立場でやるべきことを求められる。
加えて、自分が担当してきた実務経験からの話は出せずに、上記を求められる状況がある。
大袈裟ではあるが、自分の仕事上のアイデンティティ迷子というか、土台を失ったように感じてしまった。
この自分をいったん保留し状況を受け入れて淡々と取組むことが、日々の中では案外に難しい。
・全体として最適な選択を優先すること
個別の内容について、妥当性がある・筋が通るものであると判断できる場合でも、全体の状況から最適である別の選択や説明をすることを優先する。
特に異なる主張の板挟みでどちらの事情もわかる時に、主張として筋が通るものではなく、全体として最適なものを取る判断を受け入れることについて、頭ではわかっていても心情として消化しきれていない。
また、その全体としての最適の判断・判断プロセスは適切なのか・妥当なのか?の検証をし判断をし主張できるだけの力量が追いついていない。
全体としては些細であることは見逃すということも受け入れられていないことのひとつにあるかもしれない。
必要性があることはわかりつつ、板挟みとなる状態自体に、また、筋が通ると知りつつ全体としての選択を優先することに、内心の葛藤がある。
自身に弁証法的に主張できる力量や、全体を見る視点の高さ・度量がないのが課題だなとわかりつつ…
・・・・・・
些細なことしか言語化できていないけれど、
それでもこうして言葉にしてみて必要性は改めて認識するところがあって、
「清濁を併せ呑む」心構えで粛々と必要な取組を進めていきたい。
その一方で、些細なことでも少しずつ言語化して、より課題がわかる状態で受け入れていく自分のプロセスを大事にしようと思う。
また、ひとつの条件下での話でなくて、
本来的な「清濁を併せ呑む」の度量に相応しい人間になれればなぁ…と、これはまた別の問題として思う。
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